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第3話 新人Vtuber、紅音エリス

 僕は今、人生で一番緊張していた。

 これまでの暫定一位は失敗した大学受験の当日だったけれど、それすら超えている。


 理由は簡単。

 初配信まで、あと5分だったからだ。


 ……いや、言いたいことはわかるよ。


 さっきまでマイナーゲーで遊んでたのにいきなり初配信かよ、ってさ。


 違うんだ。

 あれから、色々あったんだよ?

 ナギさんからスカウトされたあの日から。


 スカウトとはいえいきなり採用とはいかなくて。

 マネージャーさんと面接して。

 なんやかんや合格して。


 でも提出書類の性別欄で一悶着あったり。


 ボイストレーニング受けたり。


 配信機材の設定が難しくて半泣きになりながらナギさんに教えてもらったり。


 他にも色々……。


 そんなこんなで、気づけば二ヶ月が経っていた。


 でもさ、そういう話を長々されても、きっと退屈してしまう。

 だからその辺の話は、また今度するよ。


 ……機会があれば。


 そんなことはどうでもよくてさ。

 問題はもう初配信が始まってしまうってことなんだよ。


 僕は震える手でマウスを握った。


 モニターには待機画面。


 コメント欄。


 そして、配信ソフトのプレビュー画面。

 そこには僕じゃない誰かが映っていた。


 黒髪のロングヘアに真紅のメッシュ。

 赤い瞳。

 少し幼く見える顔立ち。


 全体的な印象は、一言で言えば「ゲームが好きそうな女の子」だった。


 黒のキャミソールにショートパンツ。

 その上から羽織ったオーバーサイズのパーカーには、赤い差し色とサイバー調のデザインが散りばめられている。


 足元は左右非対称のニーソックスとルーズソックス。

 スポーツシューズも含めて、どちらかと言えばアイドルというよりストリート系のゲーマーファッションに近い。


 胸元や腰回りにはゲームコントローラーをモチーフにしたアクセサリーやベルト。

 首元にかけられたヘッドホン。


 細かい部分まで徹底していて、見れば見るほど「ゲーム配信者です」と主張しているような格好だった。


 自分で言うのも変だけど、かなり可愛い。

 いや、本当に。


 初めてこの姿を見せてもらったときは、正直僕なんかには似合わないって思った。

 どれだけ元の身体への執着がないとはいえ、自分を女の子だと思えるほど適応しているわけでもない。


 せめて、もう少し中性的というか、ボーイッシュな姿にしてほしかった。


 ナギさんやマネージャーさんにそう伝えてみたところ。


『え、そんなにかわいい声でボーイッシュは無理があるんじゃないかなあ?』

『朝陽ちゃんにぴったりだと思うけどなあ』


 とのことだった。

 結局僕の異議は却下され、この姿に落ち着いたわけである。


 たまゆらプロジェクト二期生。

 新人Vtuber、紅音(くのん)エリス。

 この姿、この名前こそが今の僕だった。


 ……うん。

 こうして現実逃避をしているうちに残り三分を切ってしまった。


 再び画面を見ると、待機視聴者数の数字が目に入る。


 ”待機人数:823”


 八百人。

 ……八百人?


 はっぴゃくって、八百?

 ……八百!?


 ちょっとまって、中学の時の全校生徒数より多くない?


 僕の初配信を、全校集会レベルの人数が待っている。

 その事実に、今さらながら戦慄した。


 一応、事前にそれくらいは見に来るだろうとは聞いていた。

 僕が所属することになった『たまゆらプロジェクト』は、今少しずつ勢いを伸ばしているVtuberグループだ。

 設立から二年ほど。

 僕ともう一人いる二期生は、一期生三人以来、約一年半ぶりに加入する新人らしい。


 久しぶりの新人ということもあり、ずいぶん大々的に宣伝したと聞いていた。

 ナギさんも告知配信で。


『大大大注目だから、みんな絶対見逃さないようにね!』


 なんて言っていた。


 本音を言えばやめてほしかった。

 ……いや、もちろんグループとして盛り上がることはいいことなんだけど。


 ともかく、その結果が今画面に表示されている「823」らしい。

 ……あ、今数が増えて850を超えた。


 ど、どうしよう。

 この日に備えてたくさん準備してきた。

 覚悟だって、僕なりにだけど固めてきたはずだった。


 けれど、そんなものはこの大勢の人たちを前にしてあっさりと崩れ去ってしまった。


 手の震えが、止まらなかった。


 不安に押しつぶされそうになっていた時、ふと待機画面のコメント欄が目に入った。


 〈待機〉


 〈きたー〉


 〈新人だ〉


 〈エナちゃんから来た〉


 〈昨日良かったから今日も楽しみ〉


 〈二期生ラスト!〉


 〈ナギがめっちゃ推してた子〉


 〈どんな子なんだろ〉


 〈ビジュ好き〉


 〈赤担当かわいい〉


 たくさんの、僕に期待してくれる人たち。


 〈情報少なすぎる〉


 〈マジで何者なんだろ〉


 〈ゲーム好きらしい〉


 〈それしか知らない〉


 〈逆に気になる〉


 〈SNS更新もっとしてくれてもいいんですよ〉


 〈告知しかしてないよな〉


 〈生存報告レベルだった〉


 〈どんな声なんだろ〉


 〈絶対低めの声だと思う〉


 〈いや見た目的に高そう〉


 〈クール系予想〉


 〈おっとり系と見た〉


 〈人見知りっぽい〉


 〈SNS見る限り陰キャ感ある〉


 〈わかる〉


 〈たぶんコミュ障〉


 ……当たってます。

 だってSNSとか、何書いたらいいかわからなかったから……。


 〈本人が一番緊張してそう〉


 〈頑張れー〉


 〈大丈夫だぞ新人〉


 〈噛んでもいいぞ〉


 〈むしろ噛め、先輩も噛んだんだからさ〉


 〈初配信は噛んでなんぼ〉


 〈噛んだらルミナの系譜〉


 いやだめでしょ!?

 初配信で噛んじゃったら、たぶんそのあとずっと擦られるよ……。

 あと、ルミナ先輩には悪いけどそんな系譜継ぎたくない……。


 〈今なら最古参〉


 〈歴史的瞬間に立ち会ってる〉


 〈古参会場はこちらですか〉


 〈まだ間に合う?〉


 〈間に合うぞ〉


 〈配信始まってないから余裕〉


 〈最古参名乗ります〉


 僕の古参ファンという称号にそんなに価値があるとは思えない。

 ……いや、それを決めるのは、これからの僕次第なんだ。


 期待、されている。

 その事実は正直怖い。


 だって、期待を裏切ったら失望されてしまう。

 見捨てられてしまう。


 ピコン。

 メッセージアプリの通知が鳴った。

 送り主は、ナギさんだった。


『緊張してる?』


 図星だった。


『してます』


 正直に返す。


 数秒も経たずに返事が来た。


『そっか』

『まあ、するよね!』


 軽い。

 僕は今、人生最大級に緊張しているというのに。


『でも大丈夫』

『みんな、エリスちゃんに会えるの楽しみにしてるだけだから』


 その言葉に、少しだけ視線をコメント欄へ戻す。


 期待。


 応援。


 楽しみ。


 さっきまで怖かった文字たち。


 けれど今は、少しだけ違って見えた。


『ありがとうございます』

『頑張ってみます』


 そうだ。

 僕は、ナギさんに見つけてもらった。

 あの日、ナギさんが僕を見つけてくれたから、今僕はここにいる。


 誰にも期待されないと思っていた僕を。

 誰にも選ばれないと思っていた僕を。


 期待を裏切るかもしれないのは怖い。

 怖い、……けど。


 今だけは。

 その『期待』を信じてみたい。


 配信開始まで三十秒。


 僕は深呼吸をした。


 一回。


 もう一回。


 ……うん、大丈夫。


 モニターの中。

 紅音エリスがこちらを見ている。


 まだ見慣れない、これから僕として生きていく姿。

 これから先、たくさんの人に知ってもらう名前。


 ……一緒に、頑張ろうね。


 配信開始まで十秒を切った。

 コメント欄が一気に流れ始める。


 〈きたきたきた〉


 〈始まるぞ〉


 〈がんばれ新人!〉


 〈こんエリ待機〉


 〈深呼吸しろー!〉


 深呼吸は、もうしました。


 配信開始まで三秒。


 二秒。


 一秒。


 僕はマウスを強く握る。


 そして。


 配信開始ボタンを、押した。


『こ、こんエリです!』

『た、たまゆらプロジェクト二期生!』

『紅音エリスです!』


『よろしくお願いしますっ!』


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