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第1話 僕を見つけてくれた日

 僕にとって、ゲームは逃げ場所だった。


 僕の名前は水瀬朝陽。

 少し前まで、ただの浪人生だった。


 受験に失敗して、浪人して。

 周りが少しずつ前に進んでいく中で、自分だけが同じ場所に取り残されているような気がしていた頃。


 なんとなく始めたゲームがあった。


 名前は、『Eclipse Protocol』。

 通称、エクプロ。


 韓国発のヒーローシューター系FPS。

 三人一組のチームが五つ、合計十五人で入り乱れて戦う、少し変わった対戦ゲームだ。


 バトルロワイヤルとは違って、倒されても一定時間後にリスポーンできる。

 縮んでいくステージの中で、敵の撃破や目標達成によってポイントを稼ぎ、最終的に一番多くポイントを取ったチームが勝つ。


 シンプルに聞こえるけれど、実際はかなり複雑だ。


 キャラクターごとに三つの基本スキルがあり、パッシブがあり、アルティメットがある。

 ロールもアタッカー、タンク、サポートとそれぞれできることが全く違う。


 だからこそ、面白かった。


 最初は何もかもうまくいかなかった。

 けれど、昨日できなかったことが、今日できるようになる。

 誰にも褒められなくても、頑張ればちゃんと勝利という報酬が返ってくる。


 それが、当時の僕にはとてもありがたかった。


 …とはいえ、エクプロは日本ではかなりのマイナーゲームだった。


 そもそも日本サーバーがない。

 マッチング時間は長い。

 ルールは複雑。

 過去にはずいぶんバランスの悪いキャラが暴れていた時期もあった。


 正直、流行る要素よりも、人を選ぶ要素の方が多い。


 でも、僕は好きだった。


 こんなに面白いのに、もったいない。

 陽の目の当たらない場所でこんなに熱い試合が毎日続いていることが、少し寂しかった。


 けれど、そんな日陰でも、僕にとっては大事な場所だった。


 ――まあ、その居場所すら一度、崩れかけたのだけれど。


「……よし」


 僕はマウスを握り直した。


 以前よりも小さくなった手に合わせて、今のマウスは軽いものに替えてある。

 最初はそれでも上手く扱えなかった。


 国内症例十件以下。未知の奇病。

 僕がかかったのはそんなわけのわからない病気だった。

 ある朝目覚めたら身体が女の子になっていた。


 身体が変わった直後は、散々だった。


 視点の高さも違う。

 指の長さも違う。

 力の入れ方も違う。

 今まで身体に染みついていた感覚が、全部少しずつズレていた。


 エイムが合わない。

 キャラコンが遅れる。

 撃ち合いに勝てない。


 それが何より怖かった。


 元の姿や声に、そこまで強い執着があったわけじゃない。

 けれど、ゲームまでできなくなったら、自分には本当に何も残らない気がした。


 だから、毎日ログインした。


 負けても。

 うまくいかなくても。

 誰にも見られていなくても。


 少しずつ、少しずつ、感覚を取り戻した。


 今ではもう、以前とほとんど変わらない。

 いや、細かい操作に関しては、前よりも良くなっている気さえする。


 それでも、ランクマッチ開始のボタンを押す時だけは、少しだけ緊張する。


 自分がまだ、このゲームのランカーとしていられるのか。

 自分自身の居場所がまだあるのか。

 それを毎回、確かめているような気がするから。


 画面に、マッチング完了の表示が出た。


 今日のマップは、夜の都市ステージ。

 ネオンの光が濡れた路面に反射して、高層ビルの間をジップラインが横切っている。


 僕は迷わず、いつものアタッカーを選んだ。


 キャラクター名は、カイナ。


 高機動で敵陣に切り込み、短い時間で相手の隊列を崩すストライカーだ。

 耐久は高くない。

 正面から雑に撃ち合えば、すぐに溶ける。


 でも、敵の不意を突いた時の火力でこのキャラより強いやつはいない。


 僕が一番長く使っているキャラクターだった。


 ゲーム内ネームは、asa_hi。


 深い意味はない。

 名前を考えるのが苦手で、自分の名前を少しもじっただけだ。


 味方は二人。

 一人はタンク系のキャラ。

 もう一人はサポート。

 オーソドックスなバランス型のチームになった。


 そのサポートのプレイヤー名が、目に留まった。


 ――Nagi。


 ナギ。

 聞き覚えはない。


 過疎ゲーであるエクプロの最上位ランク帯では、だいたいマッチする人の名前も一緒だから覚えてる。

 けれど、その名前には心当たりがなかった。


 名前的に日本人かな?珍しいな、と思った時。


『味方さん、聞こえますか?』


 ヘッドセットから、明るい女性の声が聞こえた。


 僕は反射的に肩を揺らした。


 エクプロで日本語のVCを聞くのは、少し…いやかなり珍しい。

 しかも、女の子の声なんて、過去に一度も聞いたことがなかったような気がする。

 

 VCそのものにも驚いたけど、その声の綺麗さにも驚いた。


 明るいけれど、うるさくはない。

 声に芯があって、どこか安心できる響きだった。


『初動、右の高台取れそうです。カイナさん、前に出られそうなら合わせます』


 カイナさん。


 野良マッチでは自然な呼び方だ。

 プレイヤー名より、使用キャラ名で呼ぶ方が早い。


 僕もそう呼ばれることには慣れている。


 けれど、その声で呼ばれると、少しだけ背筋が伸びた。


 僕はマイクを繋いでいない。

 普段から試合中にVCは使わない。

 知らない人と話しながらゲームをするのは、どうにも緊張する。


 だから、テキストチャットで短く返した。


 前 出ます


『ありがとう。じゃあ私、視界取りながら後ろで支援します。タンクさんは中央寄りでカバーお願いします』


 ナギというプレイヤーの指示は自然だった。

 押しつけがましくなく、でも迷いがない。


 試合開始のカウントダウンが終わる。


 三チーム分の銃声が、すぐ近くで鳴った。


 エクプロの序盤は忙しい。

 どのチームも、まず有利な位置と初動ポイントを取りに来る。

 ここで出遅れると、後半の展開が苦しくなる。


 僕は右の高台へ向かって走った。


 ジップラインを掴み、壁を蹴る。

 敵チームの一人が、こちらより先に高台へ上がろうとしていた。


 照準を置く。

 一瞬だけ息を止める。


 撃つ。


 相手のシールドが割れた音がした。

 続けてスキルを挟み、着地硬直をずらして二発目。


 落ちる。


『ナイス。右下にもう一人。詰めるなら合わせます』


 ナギの声がすぐに飛ぶ。


 早い。

 よく見えている。


 僕はテキストを打つ暇も惜しんで、キャラクターを前へ滑らせた。


 右下の路地。

 敵はもう一人、こちらの射線を切るように遮蔽へ入ろうとしている。


 逃がさない。


 着地と同時に、横移動。

 相手の弾を一拍遅らせて避け、スキルで距離を詰める。


 撃破。


『うわ、速い……! ごめん、続けます。中央、別チーム来ます』


 ナギの声が少しだけ弾んだ。

 けれどすぐに冷静なトーンに戻る。


『中央は今ぶつかると挟まれます。右高台維持、ポイントだけ拾いましょう』


 的確だった。


 このゲームは、敵を倒せばいいだけではない。

 どこで倒すか。

 どのタイミングで引くか。

 他チーム同士の戦闘をどう利用するか。


 それを間違えると、いくら個人技があっても一瞬で潰される。


 ナギは、戦場の流れを掴むのが上手かった。

 声に無駄がなく、判断が速い。


 僕は少しだけ驚きながら、指示に合わせて高台から射線を通す。


 中央で他チーム同士がぶつかる。

 こちらは横から削る。

 相手がこちらに気づく前に、シールドを割る。

 逃げ道に射線を通す。


 ナギが視界を取り、僕が削る。

 タンクの味方が中央で圧をかける。


 野良チームとは思えないくらい、動きが噛み合っていた。


『右、二人回ってます。カイナさん、無理せず引けますか?』


 僕は少し迷ってから、テキストを打った。


 右2 抑えます


『了解。じゃあカバー入れます』


 その返事が、妙に心強かった。


 僕は右側へ視点を振る。


 敵二人。

 一人はサポート、もう一人はアタッカー。


 こちらを挟みに来ている。


 普通なら引く場面だ。

 でも、今ならいける。


 先にサポートを落とす。

 回復と妨害がある方を残すと厄介だから。


 相手のスキル発動音。

 その一瞬前に、僕は横に抜けた。


 弾を置く。

 相手が飛び込む先に、先に照準を合わせる。


 一人目。


 すぐに振り返り、二人目。

 相手のアタッカーは反応が速かった。

 でも、ほんの少しだけ、僕の方が早い。


 撃ち合いは一秒も続かなかった。


『……すご』


 ナギの小さな声が聞こえた。


 紛れもない、彼女の素の反応だった。


 胸の奥が、少しだけ熱くなる。


 誰かに見られている。

 それも、ちゃんと見てくれている。


 少し不思議な感覚だった。


 試合は中盤を過ぎ、ポイントは三チームがほぼ横並び。

 最終エリアは、都市中央の低層ビル群に寄っている。


 乱戦になる。


 エクプロの終盤は、情報量が一気に増える。


 銃声。

 スキル音。

 アルティメットの警告。

 リスポーンした敵の足音。

 味方の被弾音。


 ここで動きを間違えないのが、強いチームだ。


『一旦、ビル裏で立て直し。敵二チームが正面でぶつかるから、最後に入ります』


 ナギの声は、変わらず落ち着いていた。


 彼女はすごい。


 そう思った。


 広い視野で状況を見て、即座に判断して、正確に人を動かしている。

 それが自然にできる人なんだと思った。


 僕とは違う『強さ』を持っている。

 …少し、羨ましい。


 そう思った直後、戦況が動いた。


 別チームのアルティメットが、僕たちの退路を塞いだ。

 タンクの味方が足止めを食らう。


『まずい、左抜け――』


 ナギの指示が途中で途切れる。

 敵の弾が、彼女のサポートキャラを削っていた。


 リスポーンはできる。

 でも、この終盤で落ちると、戻るまでにポイント差が開く。


 間に合う。


 そう思った。


 僕は前に出た。


『カイナさん、無理しないで!』


 ナギの声が飛ぶ。


 でも、僕の両手はもう止まらない。


 正面に二人。

 左に一人。

 奥からリスポーン直後の敵が一人。


 四人分の射線。


 普通なら、無理だ。


 けれど僕の頭の中には、この状況を切り開く明確なビジョンが見えていた。


 遮蔽を一枚使い、最初の二人を分断する。

 スキルで射線を切り、左の敵に詰める。

 リロードの隙は、アルティメットで潰す。


 一人。

 二人。

 三人。


 キルログに、asa_hiの名前が流れる。


 ナギが何かを言いかけて、息を呑む音がした。


 最後の一人は、リスポーン直後でシールドが薄い。

 けれど動きは悪くない。

 こちらの体力もほとんど残っていない。


 相手が撃つ。


 僕はしゃがみを一瞬だけ挟み、弾を外させる。

 照準を合わせる。


 撃つ。


 画面中央に、撃破表示。


 同時に、試合終了を告げるシステム音が鳴った。


 表示された結果は――


 CHAMPION


 とたんに力が抜け、椅子の背に体が沈む。


 呼吸が浅い。

 指先が熱い。


 でも、心は妙に静かだった。


『…勝った』


 ナギが呟いた。


 それから、少し間を置いて。


『すごい…!今の、本当にすごい!最後、本当にきつかったのに、全員一人で倒しちゃった…!』


 その声には、隠しきれない興奮があった。


 僕はしばらく画面を見つめていた。


 いつもなら、このままロビーに戻って終わりだ。

 テキストで「gg」と打つくらいで、それ以上はしない。


 でも、その時は少しだけ、気持ちが高ぶっていた。


 たぶん、勝ったからだけではない。

 あの声が、ずっと僕を見てくれていたからだと思う。


 僕はマイクのミュートを外した。


 普段なら絶対にしない。

 知らない人とVCで話すなんて、考えただけで胃が痛くなる。


 それでも、今だけは言いたかった。


「あの…IGL、ありがとうございました。すごく、助かりました」


 自分の声が、ヘッドセットの内側で小さく響く。


 少し高くて、柔らかくて。

 まだ自分でも慣れきっていない声。


 数秒の沈黙。


 そして、ナギの声が跳ねた。


『えっ……女の子!?』


 顔が熱くなる。


『いや、待って。さっきのカイナの人だよね!? そのプレイで、その声…? え、ギャップすご…。めちゃくちゃ落ち着いた声なのに、プレイだけ狂犬みたいだったんだけど……!?』


「きょ、狂犬……」


 思わず小さく返してしまい、すぐに後悔した。

 なにを普通に会話しようとしているんだ、僕は。


『ご、ごめん! 褒めてる! めちゃくちゃ褒めてるから!』


「…ありがとうございます」


 それだけ言って、僕はまたマイクを切った。


 心臓がうるさい。

 でも、不思議と嫌じゃなかった。


 ロビーに戻ると、すぐに右上へ通知が出た。


 ――Nagiから個人チャットが届いています。


 開くと、短いメッセージが表示された。


 asa_hiさん、突然ごめんね。

 さっきのカイナ、本当にすごかったです。

 もしよかったら、少しだけ通話できますか?


 僕は迷った。


 迷ったけれど、断る理由は見つからなかった。


 はい。大丈夫です


 通話の招待が届く。

 深呼吸をひとつして、応答する。


『もしもし、ナギです。改めて、さっきはありがとう』


「こ、こちらこそ……asa_hiです」


『うん。じゃあ、アサヒさんって呼んでもいい?』


「あ、はい。大丈夫です」


 ゲーム中も思っていたけど、とても声がきれいだ。

 正直、こうして少し会話するだけで緊張してしまう。 


 ナギは少しだけ間を置いた。

 声の調子が、さっきより真剣になる。


『いきなりでごめん。正直詐欺みたいな話かもなんだけど…。私、Vtuberをやってるんだ』


「……Vtuber、ですか」


 遠い世界の言葉だった。


 画面の向こうで、たくさんの人に見られながら話して、笑って、ゲームをする人たち。

 自分とは関係のない、眩しい場所。


『うん。それで、今いる箱で新しいメンバーを探してるんだ。今日のアサヒさんのプレイを見て、思ったの』


 ナギの声は、まっすぐだった。


『その圧倒的なプレイング。しかも、その声とのギャップ。絶対に人を惹きつける魅力があると思う。落ち着いてて、可愛くて、でも戦闘になると豹変する』


 べた褒めである。

 こんなにも褒められたのはいつぶりだろうか。


『…アサヒさん、よかったらVtuberとしてデビューしてみない?』


 息が止まった。


 何を言われているのか、すぐには理解できなかった。


 僕が。

 Vtuberに。


 そんなこと、考えたこともない。


「ぼ、僕がですか……?」


『うん。君を、正式にスカウトしたい』


 正式に。


 その言葉が、ずっしりと胸に落ちる。


 怖い。

 知らない。

 正直、できる気がしない。


 でも。


 こんな僕を、見つけてくれた人がいる。

 それは、誰にも必要とされてこなかった僕にとって、何にも代えがたい重要なことだった。


「……少し、考えさせてください」


 一旦、それが精一杯だった。


 ナギは、明るく笑った。


『もちろん! 焦らなくて大丈夫。でも、私は本気だから。アサヒさんなら、きっと輝けると思うよ!』


 輝ける。


 自分には似合わない言葉だと思った。

 今話しているナギさんのように輝けるだなんて到底思えない。


 けれど、なぜかその時だけは、完全に否定できなかった。

 ナギさんの声にあてられてしまったのだろうか。


「……ありがとうございます。前向きに、考えてみます」


『うん! それだけで十分! じゃあ連絡先送るね。わからないことがあったら、何でも聞いて』


 通話が切れた。


 部屋に静けさが戻る。


 モニターの端には、追加されたばかりのフレンド名。


 Nagi。


 たった一度の野良ランクマッチ。

 本来なら、そこで終わるはずだった出会い。


 でも、そうはならなかった。


 僕は椅子にもたれ、天井を見上げた。


 受験に失敗してから、ずっと思っていた。

 自分は、誰にも選ばれない側の人間なのだと。


 でも今日、初めて違うかもしれないと思った。


 ナギさんが僕を見つけてくれた。

 ナギさんが、僕の声に価値を見出してくれた。


 そのことが、すごくすごく嬉しかった。


「……Vtuber、か」


 小さく呟いた声は、やっぱりまだ少しだけ聞き慣れない。


 けれど、さっきまでより少しだけ、この声に自信が持てたような、そんな気がした。

感想などいただけると続く可能性が上がります

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