第13話 待ち合わせ
小雨が降っていた。
街灯に照らされた雨粒が、夜の歩道を淡く滲ませている。
濡れたアスファルトには駅前のネオンが映り込み、赤や青の光が水面のように揺れていた。
配信を終えた僕は、傘を片手に駅前のロータリーへ向かう。
夜の街は思っていたより静かだった。
仕事帰りらしい人たちが足早に駅へ向かい、コンビニから漏れる明かりだけがやけに暖かく見える。
約束の時間までは、あと三分。
少しだけ早く着いてしまった。
スマホを取り出し、時間を確認する。
画面には、さっきまで配信していたアーカイブの通知。
今日もたくさんコメントが流れていたな、とぼんやり思い返す。
今から会う相手は、いつも画面の向こうにいた人だ。
なんだか不思議な気分だった。
きっかけは、この前のコラボ配信のあと。
雑談しながら何気なく最寄り駅の話になった。
『えっ、エリスちゃん最寄り駅そこなの!?』
『はい』
『私その隣の駅なんだけど!?』
お互い少し驚いて。
そこから話はあっという間だった。
『じゃあ今度ご飯行こ!』
そう誘ってくれたのは、エナさんだった。
正直驚いた。
配信ではあんなに自然に話せるのに。
画面の外でも誘ってもらえるなんて思っていなかったから。
だから今日は、少しだけ浮かれている。
配信が終わってから誰かと待ち合わせをして、ご飯を食べる。
そんな、ごく普通のこと。
でも僕にとっては、その「普通」があまりにも新鮮だった。
元々、友達は多くない。
勉強して。
学校へ行って。
帰ってきたらまた勉強して。
そんな毎日だった。
だから、こうして誰かとの約束を楽しみに待つなんて、いつぶりだろう。
考えてみても思い出せない。
自然と口元が少しだけ緩む。
そんなことを考えていると、
「エリスちゃーん!」
雨音に負けない、明るい声が聞こえた。
振り返る。
白い傘を差した女の子が、小走りでこちらへ向かってきていた。
茶色がかった髪がふわりと揺れ、僕を見つけると嬉しそうに手を振る。
そこにいたのは、翠葉エナ。
……ではなく。
演者である、若葉結衣さんだった。
初めて会うわけじゃない。
デビュー前の顔合わせで一度だけ挨拶はしている。
それでも、こうして二人きりで会うのは今日が初めてだ。
画面越しに何度も見てきた笑顔が、目の前で自分に向けられている。
それだけで、少しだけ緊張してしまう。
「ごめん! 待った?」
「い、いえ。今来たところです」
「ほんと?」
「はい」
そう答えると、結衣さんは僕の顔をじっと見つめた。
「……?」
「どうかしましたか?」
「いやぁ」
一歩、近付く。
「エリスちゃんってさ、やっぱりちっちゃいね」
「えっ」
「しかも可愛い」
「……」
思わず言葉に詰まる。
面と向かって言われると、どう返せばいいのかわからない。
女の子になってから、そういうことを言われる機会は何度かあった。
正直何度言われても慣れない。
「そ、そんなこと……」
「あるある!」
結衣さんは僕の頭の少し上に手をかざして笑う。
「配信だともうちょっと背高いイメージだった!」
「実際会うとすごい妹感ある!」
「妹……」
その言葉に、少しだけ苦笑する。
ついこの前まで、コメント欄でも同じようなことを言われていた。
ホラーゲームで散々面倒を見てもらったせいだ。
「……あんまり言われると、恥ずかしいです」
「あ、ごめんごめん!」
そう謝りながらも、結衣さんはどこか楽しそうだった。
その笑顔につられて、僕も少しだけ笑ってしまう。
――やっぱり。
この人といると、安心する。
画面越しでもそうだったけれど。
実際に会っても、その印象は変わらなかった。
「じゃ、行こっか!」
「……はい」
一歩踏み出そうとして。
ふと口が止まる。
「あの……」
「ん?」
「えっと……」
なんて呼べばいいんだろう。
配信では『エナさん』。
でも今日は配信じゃない。
目の前にいるのは、翠葉エナじゃなくて、若葉結衣さんだ。
だからといって、急に「結衣さん」と呼ぶのも少し照れくさい。
口を開きかけては閉じる。
そんな僕を見て、結衣さんは何かを察したように笑った。
「あー」
「呼び方?」
「……はい」
小さく頷く。
「配信ではエナさんって呼んでるので」
「オフだと、どうしたらいいのかなって」
「あははっ」
結衣さんは肩を揺らして笑った。
「そんなことで悩んでたんだ」
「エリスちゃんらしい」
そう言われると、少しだけ恥ずかしい。
「今日は普通に結衣でいいよ」
「配信じゃないしね」
「……じゃあ」
一度だけ深呼吸をする。
「結衣さん」
呼んでみる。
たったそれだけなのに、なんだか少しだけ照れくさい。
けれど。
「うん!」
結衣さんは嬉しそうに笑った。
「その方がなんか嬉しい!」
「えっ?」
「だってさ」
「エナって呼ばれると、なんか仕事モードって感じしない?」
「あー……」
「今日は同期っていうか」
「普通にご飯食べるだけだから!」
そう言って、照れ隠しのように笑う。
その笑顔を見ていると、僕の緊張も少しずつほどけていった。
「じゃあ私も」
結衣さんが少しだけ考えるように首を傾げる。
「朝陽ちゃんって呼ぶね」
「配信だとエリスちゃんだけど」
「今日は朝陽ちゃん!」
「……はい」
自分の名前を呼ばれる。
それだけのことなのに、不思議と少しだけくすぐったい。
演者としてではなく。
一人の人として見てもらえている気がした。
「よし!」
「じゃあ改めて」
結衣さんは僕の隣まで歩いてきて、にっと笑う。
「ご飯行こ!」
「はい」
並んで歩き出す。
歩幅は自然と結衣さんが合わせてくれていた。
雨粒が傘を小さく叩く音だけが、静かな夜道に響く。
言葉はなくても、不思議と気まずくはない。
こんな沈黙もあるんだ。
そう思いながら歩いていると、結衣さんがぽつりと口を開いた。
「なんかさ」
「朝陽ちゃんって、配信で見てるよりもっと話しやすいね」
「そう……ですか?」
「うん」
「もっと緊張してるのかと思ってた」
「それは」
少しだけ考えて、苦笑する。
「結衣さんが話しやすいから、かもしれません」
「……え」
一瞬きょとんとしてから、結衣さんは照れくさそうに笑った。
「そういうことサラッと言うんだ」
思わず二人で笑ってしまう。
他愛もない。
本当に、他愛もない会話だった。
だけど、その時間が僕にはどこか眩しく思えた。
こんな時間が、ずっと続けばいいのに。
その時の僕は、本気でそう思っていた。
僕は勘違いしていたんだと思う。
Vtuberとしてデビューして。
視聴者さんがいて。
頼りになる先輩がいて。
優しい同期がいて。
なにもかもが、これまでの僕の人生と比べて恵まれすぎていて。
だから。
こんな毎日が、ずっと続くものだと。
どこかで、そう思い込んでいた。




