異世界
夜中、タロウは岩が重なって出来た浅い穴に入っていた。穴でうずくまり、すっかり乾いた上着を握って彼は声も出さず涙を流していた。壊れた腕時計を見つめた。彼には夜の十時が恋しかった。暫くそうしていると睡魔が彼に押し寄せ、ゆっくりと瞼が閉じられた。その晩、タロウは夢を見た。去年の冬休みに帰ったばかりの実家だった。そこには懐かしさを感じる匂いと写真だらけの何時ものリビングだった。タロウにとって鬱陶しく感じていた写真は何よりも大切で宝のように感じられた。部屋にある自分の青い椅子へ腰掛けたタロウは机の上に置かれたゲーム雑誌へ何気なく目を向けた。
「何だこれ」
書かれていた文字は全て縦書きで象、手、目を模したような丸い文字と甲の字が左曲がりにしなった形の文字の象形文字がループして書かれていた。タロウの目の前でその文字は躍り始め形を変える。文字は融合し一人の顔がはっきりと見える兜をかぶった若者の顔を型取り震えて崩れた。平然としていたタロウは突然、腸が煮えくりかえる怒りに支配された。困惑を怒りが塗りつぶし、彼は拳が机を打って粉砕した。椅子から立ち上がって外へ飛び出ると車に乗った両親が家に帰ってきていた。車はタロウを前に止まり父親だけ出てきた。白髪交じりで眼鏡をかけた柔和そうな顔立ちだ。呼吸を整えているタロウは鋭い目を父親に向けた。父親は作り笑いを浮かべて及び腰に口を開く。
「あの、家に何かご用ですか?」
車の中では母が携帯電話で何かを話し、後部座席には兜はかぶっていなかったが文字が作り出した若者が乗っていた。若者はアルビノのように白くタロウの持っている服を着ていた。タロウは車へ歩み寄ると父親が鼻息荒く彼に組み付いてくる。必死に踏ん張る父親をタロウは片手で胸を押して引き剥がそうとすると、父親は跳ね飛ばされて後頭部を家の門に打ち付けた。首は明後日の方向を向き、車内の母親は泣き叫んだ。その声がタロウを益々怒らせた。後部座席に回り込んだタロウは太い腕で窓ガラスを突き破って扉をむんずと掴み引き剥がした。後部座席に座っていた白い男は怯えた様子で固まり、母親は必死に身を乗り出して太郎の腕にしがみつく。
「この屑!速く逃げて!」
母親はタロウへ憎しみの表情を向けていたが、彼女の目は白い男へ暖かい視線を送っていた。
「初めからそうすれば良かった。俺はもう違う」
タロウは捕まれた腕を振るうと母親の両腕は折れ、車毎母親は空へ投げ出された。30 m程打ち上がったそれは無情にアスファルトへ激突した。難を逃れた白い男の足は遅くタロウは容易く男を掴み上げてブロック塀へ叩き付けた。真っ白な粉が咳き込む男を更に白く染め、タロウは拳を持ち上げる。タロウは憎たらしい男の顔に拳を叩き込む最中、男の襟首を掴んだ異形の手が目に入った。拳は止まり、視界がぼやける。顔に冷や水を浴びせられたように憤怒の心が静まり日本の街並みが消えていく。
「旦那、旦那。待ってください。私は貴方と今日会ったばかりです」
襟首を掴んでいた相手の顔がはっきりと見えてきた。丸っこい達磨のようでありながらホリの深い顔の男だった。目は大きく瞳は外側から緑、青、赤色の瞳で構成され機械的な動きで別々に動き、首はエラ幅以上に太い。肩までの袖から剥き出しになった上腕は頭よりも太く、彼の両足は脛から犬のような金属製の中足骨が取り付けられ、滑らかに稼働してバランスを取っている。
「どちら様ですか」
タロウは静かに手を離して岩に腰掛けた。
「私はジャム、飛行船のキャラバン員です。ほら、あの旦那が壊しちまった飛行船の乗組員ですよ。陽射しから逃れてちょいと一息入れようと声を掛けたらこの有様。何かあったんですかね?」
タロウの問いに答えたジャムをタロウは疑わしい目つきで見た。
「私はタロウです。実は嫌な夢を見たので苛立っておりました」
「確かに旦那はキネサテの糞塗れだし、それで私は寝ぼけて殺されそうになったと。土産話になりそうですな」
そう言ったジャムの背には岩の壁が有り、巨大な亀裂が走っていた。
「ほら、魔法の杖を返します」
ジャムは腰に下げた柄に人骨と思わしき喉仏が接着された肉厚の鉈を避けてタロウが飛行船から持ってきていた骨と金属シリンダーで作られた魔法の杖を差し出した。
「どうも。日本語、お上手ですね」
「ええまあ」
タロウはジャムを警戒して半身に構えながら受け取り魔法の杖を眺めた。視線を外したタロウをジャムは凝視し左手は腰の鉈に掛かっている。
「ジャムさんは檻に入っていたんですか?」
ふと顔を上げたタロウはジャムに尋ねた。頬肉を揺らして否定したジャムは外へ目を向けながらタロウに近寄った。
「実はファルバスと言う賞金首を船に乗せていまして。街への移送中、好戦的な賞金稼ぎから攻撃を受けて撃墜したのです。ファルバスは外に投げ出された私を除く乗組員を惨殺して砂漠に逃走。私はこの灼熱の地獄で仲間を求めてさまよっているところ、貴方に出会いました。」
タロウは黙り込み外を眺めた。片膝を突いたジャムは人差し指を遠くの岩へ向けた。
「隠れられるところは至る所にあります。兎に角纏まって動きましょう」
ジャムの笑みにタロウは口を開いた。
「賞金稼ぎの船に乗せてもらうのは?」
「私が見たのは中型飛行船で旗は歯車と葡萄の木、残忍な賞金稼ぎのオックー家でした。あの外人4人組は魔法使い族で無くとも骨を熱心に収集していますからね」
「それなら連中を出し抜いて飛行船を盗むか、一人残らず倒すかですね」
「船を隠す場所は低地で日陰が多いはずです。浮力となるキネサテは乾燥に弱いので。それに加えてファルバスもお忘れ無く。奴も強力な魔法の杖を持っています」
やけに説明的なジャムをタロウは睨み付け、手に持った魔法の杖をいじくり回していると、ジャムが言う。
「持ち手の骨に息を吹き込んでください」
タロウは骨に息を吹き込むとシリンダーが1 m程に伸びて左右60度に分かれた。棒の間には赤い点の側に青い点が纏まって表示されている。
「広くはありませんが、魔法の杖を探知する魔法のようですね。こんな魔法を持っておいて杖に改造されるなんて間抜けですね。それはそうと、タロウさん。別に敵対するわけじゃ無いが、貴方は一体何者なのかね?何度かカマをかけさせてもらったがいくら何でも常識を知らなさすぎる。飛行船なんて初等教育を受けていなくとも知っていますよ。キネサテが念動力を持っていて船を運んでいることも、その神経塊に金属線を刺して制御していることも知らんでしょう。日本語?俺達は今、ヌミディス共和国のアバタ砂漠で新ヌミディス語を話している。身体改造のせいで行かれちまったのか。」
日陰の二人は見つめ合う。
「俺はいかれていない。財布もあれっ」
タロウのポケットに有ったはずの財布は無くなっていた。
「落としたのかも。でも俺はあの時公園で」
苛立ち混じりに左手で顔を覆ったタロウは続けた。
「この上着は初めてのアルバイトで買ったし、この時計の裏にはMade in Japanって書いてあるはずです」
腕時計を外し、タロウは裏側をジャムに見せた。ジャムは眉をひそめて時計を受け取ると小さく頷く。
「確かに知らない文字ですね。しかしどうして此処に?」
「それがさっぱりで。気がついたらこの砂漠で絶望していたんです」
わざとらしく眉を上げたジャムは同情するような視線をタロウに送っていた。タロウは額に手を当てて座り込んだ。彼には何の熱気も冷気も感じられず、乾いて固くなった服の感触が不快だった。
「入り口に置いたリュックを取っても?」
ジャムは太い指を洞窟の入り口へ向けた。力なくタロウは頷くと「どうもありがとう」と言ってジャムはリュックを引きずりタロウの前に戻ってきた。リュックのボタンが外れると中身がタロウの目に入る。中から水の音が鳴る大きな水筒、大きなサバイバルナイフ、革張りの定期入れのような物が8個、それからタロウが見たことが無い真鍮色でイルカ型の回転式拳銃と細長い蝶の卵のような弾が込められた弾帯が入っていた。
「銃?」
「ええ、新型の回転式拳銃です。もう新型でないかもしれませんがね。旦那は銃を使ったことありますか?」
タロウの言葉にジャムは答えつつリュックから取り出した銃を革袋に入れて腰へぶら下げた。
「全く」
タロウがそう答えると外から入り込んだ砂粒が彼の喉を刺激して咳き込ませた。
「さあ、のどが渇いたでしょう水をどうぞ」
リュックから水筒を取り出したジャムはタロウへその水筒を差し出した。タロウは勢い良く中身を飲んだ。亀裂が入った岩を触りながらジャムは口を開いた。
「水は何時から飲んでいないんです?」
「4日か3日間くらいです」
タロウからは動きを止めたジャムの顔は見えない。タロウは水筒をリュックへ戻して魔法の杖を拾い上げた。
「日が暮れるのを待ってから移動しましょう」
「いや、此処から離れた方が良いかもしれない。出口の方向に魔法の杖が」
ジャムはタロウの腹を蹴ってからピタリと背中を岩の壁へ押し付け、革袋から回転式拳銃を取り出した。
「旦那、弾帯をこちらに放って下さい」
向かい合って壁に張り付いたタロウはリュックの弾帯を下投げにジャムへ投げると弾帯は瞬時に融解した。二人の間で光線から発せられる熱波による暴風が起こり、ジャムは壁に叩き付けられ、タロウは弾帯を放った右手に軽いやけどを負った。
「畜生」
ジャムはしゃがみ込み、僅かに残った弾帯の端を掴んで中の弾を手慣れた様子で拳銃に込めた。弾は熱によって歪んだり融解したりと惨憺たる有様でまともな形を保っている物は二発しか無かった。
「どっちだ?あんたの方に回り込んでる」
タロウはジャムへそう叫ぶと、融解してボンヤリとオレンジ色になりガラス質になった洞窟の奥を見て鳥肌が立った。彼が手に持った魔法の杖に表示された遠くの点が高速で洞窟の側面に回る。
「ファルバスです。あれは発射毎に射手にも強烈な熱が伝わるので、連続して撃てないと思いますが」
弾の尻を眺めながら発せられたジャムの言葉をかき消すように洞窟の壁にオレンジ色に染まりゆっくりと穴が空く。タロウ達は身を伏せて洞窟の奥へ避難した。ジャムは融解した洞窟の穴からこっそり外を覗う。
「望遠鏡の輝きが無い。視覚拡張と耐熱パッケージですかね」
それを聞いたタロウは目を細めて手元の杖に目を向けると既に杖の反応は消えていた。銃を腰だめに出口ににじり寄っていたジャムはタロウへ視線を向ける。
「逃げた。殺される前に移動しよう」
タロウはリュックを背負って杖を片手に二人は姿勢を低く洞窟から駆け出した。迷路のように聳える岩石の間を彼等は縫うように進んだ。真上から差し込む太陽は影を真下に作る。タロウは前方と杖の表示、ジャムは拳銃を片手に頭上と背後をしきりに警戒する。短い呼吸と風は強く吹き出し、細かい石礫が頭上の岩石に打ち当たった。
「聞こえますか!旦那、待ってください」
突然、汗だくのジャムがタロウ肩を掴んで壁に背中を押し付けようとする。ビクともしかなかったタロウは慌てて壁に寄るとジャムが空を指さした。それと同時に大きな陰が彼らを包んだ。遠くからで正確な大きさは解らない程上空を帆も竜骨も無い円柱状の物が浮遊し、悠々と彼らの頭上を通り過ぎていく。
「旦那、俺達が盗むのはあれですよ。街に着いたら売って小型船を買いましょう」
タロウは深い笑みをジャムへ向けて、
「あんたも水を飲んだ方が良い」
蓋を開けた水筒を差し出した。ジャムは浴びるように水を飲み水筒をタロウに返し、二人は飛行船の後を追った。




