高橋悠斗
あの日、彼女は死んだ。これは、僕たちから彼女に送る最後の”推し活”の物語ー
彼ーーーー
高橋悠斗が中川美咲を知ったのは、二十歳の時だった。
高橋悠斗はアイドルには多少詳しかった。高校の頃、一時期だけとあるグループを追っていたことがある。友人に誘われてライブへ行き、気に入ったメンバーのチェキを撮り、何度か特典会にも並んだ。熱心なファンと言えるほどではなかったが、ライブハウスの雰囲気も、特典会で何を話せばいいかも、だいたい分かっていた。
そのグループを追わなくなってからは、しばらく特定のアイドルを推していなかった。
嫌いになったわけではない。
アイドルを追いかけるのは、カロリーを使うのだ。
たまに動画を見る。SNSで流れてきた写真を眺める。友人に誘われればライブへ行く。
それくらいが、ちょうどよかった。
美咲も、最初はその一人だった。
きっかけはXに流れてきた写真だった。
六人組のアイドル。
中央より少し端に立った女の子が、カメラに向かって笑っている。
悠斗は指を止めた。
「……かわい」
思わず声が出た。
かなり好みだった。
長く見ているうちに、グループ名を確認した。
メメント・キミ。
聞いたことのない名前だ。
とはいえ、この程度の規模のアイドルならそれこそ星の数ほどいる。
将来のスターが、星の数ほど。
そのまま中川美咲のアカウントを開いた。
自撮り。ライブ告知。食べ物。眠い。お腹すいた。ファンへの返信。
思ったより普通だった。
いかにもアイドルらしく整えられた文章ばかりではない。むしろ、意味のない投稿の方が多い。
>前髪うまくいった日ってそれだけで勝ちじゃない?
>今日めっちゃ眠い神様助けて
>コンビニ行ったのに欲しかったアイスなかった!!!!!しぬ!!!
悠斗は少し笑って、美咲のアカウントをフォローした。
数日後、美咲が投稿した。
>今日ちょっとだけリプ返するー!
>なんでもどうぞ!
悠斗はその時、大学帰りの電車に乗っていた。
すでに大量の返信が付いている。
好きな食べ物。好きな色。最近ハマっているもの。次のライブ。
恋愛相談まである。
悠斗は少し考えた。
何か面白いことを書いた方がいい気もした。
でも、こういう時に変に狙うと滑る。
以前アイドルを推していた頃に、それくらいは学んでいた。
結局、
>次のライブ初めて行こうと思ってるけど一人でも大丈夫?
と送った。
本当に少し気になっていたことだった。
数分後、通知が来た。
>ぜんぜん大丈夫だよー!
>私もいるし!一緒に楽しも!
悠斗は画面を見た。
「私もいるし」
別に特別な言葉ではない。
アイドルなら、そのくらい言う。
分かっている。
それでも、何となく嬉しかった。
>じゃあ行く
と返す。
少しして、
>やったー!待ってる!
と来た。
そこで終わりだと思っていた。
だが数日後、美咲がライブ告知をした時、悠斗が、
>チケット取った
と返信すると、
>この前初めて来るって言ってた人だよね!?
>ほんとに来てくれるんだ!
と返ってきた。
悠斗は少し驚いた。
覚えていた。
プロフィールを見れば過去の返信は確認できる。たまたま思い出しただけかもしれない。
ーそれでも。
たった一度の会話が、彼女の中に残っていた。
その感覚が、妙に心地よかった。
ライブ当日、悠斗は一人で会場へ向かった。
緊張はしていたが、何をすればいいか分からないほどではない。受付を済ませ、ドリンク代を払い、客席へ入る。前方へ突っ込むほどではないので、中ほどの見やすい場所を選んだ。
開演すると、すぐ美咲を見つけた。
写真でも好みだったが、動いている方がさらに良かった。
表情がよく変わる。
笑う。曲中に一瞬真剣な顔になる。客席を見つけると、また笑う。
悠斗は途中から、自分でも気づかぬうちに声を出していた。
過去にアイドル現場へ行っていたこともあって、周囲の空気に馴染むのは早かった。隣の客と何となく笑い合う場面もあったし、終演後には「初めて?」と話しかけられて少し会話もした。
楽しかった。
でも、悠斗が一番気にしていたのは、その後だった。
特典会。
列に並ぶ。
前の客が離れる。
美咲がこちらを見た。
「あ」
その一音だけで、悠斗の心臓が少し速くなった。
美咲が指を差した。
「来てくれた!」
悠斗は思わず笑った。
「来たよ」
「ほんとに一人だった!」
「そこ覚えてんの?」
「覚えてるよー!」
「てかなんでわかったの?」
「写真、Xに載せてるでしょ?」
悠斗は驚いた。
確かに、大学の友人と遊んだ時の写真を何枚かXに載せたことはあった。
ただ、まさかほんの一、二度リプライをしただけのファンの顔を、それも複数人で写っている中から自分を、認識しているとは思っていなかった。
「ライブどうだった?」
「普通に楽しかった」
「普通にって何!」
「いや、かなり」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
美咲は笑った。
「よかったー。緊張した?」
「最初だけ」
「じゃあもう次から大丈夫じゃん」
「次ある前提?」
「あるでしょ?」
「営業うまいな」
「営業じゃないし!」
スタッフが時間を告げた。
悠斗は少し離れながら、
「じゃあまた」
と言った。
美咲は、
「うん、またね!」
と返した。
帰り道、悠斗は特典会の会話を何度か思い返した。
以前推していたアイドルとも、こういう会話はしたことがある。
名前を呼ばれたこともある。
覚えてもらったこともある。
だから、それ自体が初めてだったわけではない。
顔を覚えてくれていたのだって、きっと何かの偶然が重なったのだろう。
ただ、美咲とは初めて会ったとは思えなかったほど話しやすかった。
それから悠斗は、美咲のXに時々返信するようになった。
毎回ではない。
何でもない投稿に、
>それ昨日食べた
と送れば、
>ずる!おいしかった?
と返ってくる。
>明日朝早い
と書けば、
>じゃあ早く寝なさい!
と来る。
悠斗が、
>まだ寝ない
と返せば、
>知らないよ~寝坊しても笑
と続く。
短いやり取り。
それだけ。
毎回じゃない、むしろ、返事が返ってこないことの方が多かった。
でも悠斗は、それでも構わなかった。
ライブにも行った。
特典会にも並んだ。
美咲は少しずつ悠斗のことを覚えた。
「今日学校?」
「バイト」
「また?」
「金ないから」
「アイドル来すぎなんじゃない?」
「誰のせいだよ」
「知らなーい」
そんなことを言って笑う。
悠斗は美咲を見に行っていた。
もちろんそうだった。
顔は今でも完全に好みだった。
ステージにいる美咲も好きだった。
けれど、ライブが終わってから列に並んでいる時間、悠斗が楽しみにしていたのは少し違った。
今日は何を話そう。
前に話したことを覚えているだろうか。
何を言えば、美咲は何と返すだろう。
そう考える時間が好きだった。
ある日の帰り、美咲からXで返信が来た。
ライブ後の美咲のポストに悠斗が、
>今日楽しかった
と送ったものだった。
>今日はちゃんと緊張しなかった?笑
最初にライブへ行く前の話だった。
もう何か月も前になる。
悠斗は、
>まだ覚えてんのかよ
と返した。
駅前は人が多かった。
友人から別の連絡も来ていた。
大学のグループチャットも動いている。
話す相手がいないわけではない。
それでも、その夜、悠斗が一番返事を待っていたのは美咲だった。
しばらくして通知が来る。
>覚えてるよー!笑 次も待ってるねー!
悠斗はすぐに、
>行けたら
と返した。
>来るやつですねわかります笑
画面を見ながら、悠斗は笑った。




