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4/50

たぶん

あの日、彼女は死んだ。これは、僕たちから彼女に送る最後の”推し活”の物語ー

直人が二度目のライブへ行ったのは、それから三週間後だった。


今回は健太に誘われたわけではない。自分で日程を調べ、自分でチケットを取った。購入画面の確定ボタンを押したあとで、直人はしばらくスマートフォンを見ていた。


別に、大したことではない。

ライブを一度見て面白かったから、もう一度行く。それだけだ。


そう思っていた。


二度目の会場は、前より少し小さかった。

後ろの壁際に立つと、ステージ全体がよく見えた。前回と同じように六人が出てきて、照明が変わり、客席から声が上がる。

直人は最初の一曲が終わる前に、美咲を探していた。


別に探す必要などなかった。立ち位置も分かっているし、衣装もメンバーごとに少し違う。それでも目が勝手に向いた。


美咲は今日もよく動いて、よく笑っていた。


前回と違って、直人には曲も少し分かる。周囲がどこで声を出すのかも、何となく覚えていた。健太に教えられなくても、何度か同じタイミングで手を上げた。


それが少し恥ずかしくて、でも楽しかった。


特典会にも行った。

今回は迷わなかった。

美咲の前へ立つと、当然のように明るく迎えられた。


「ありがとー!」


「どうも」


「今日初めて?」


直人は一瞬だけ黙った。


「いや。二回目」


「あっ、ごめん!」


美咲が両手を合わせた。


「前も来てくれた?」


「来た」


「いつ?」


「三週間くらい前」


「えー、待って。何話した?」


直人は少し意地悪をしたくなった。


「思ってたよりちゃんとしてた」


美咲の顔が変わった。


「あ!」


思い出したらしい。


「それ言った人!」


「それ言った人って」


「覚えてる覚えてる!失礼な人!」


「覚え方ひどくない?」


「だってひどかったもん!」


美咲が笑う。

スタッフから時間を告げられた。


「また来てよ。今度はちゃんと褒めて!」


「考えとく」


「そこ来るって言うとこだよ!」


直人は笑いながら離れた。

その日、帰りの電車で何度も同じことを思い出した。

覚えていた。

名前ではない。

顔でもないかもしれない。


ただ、あの会話を。


それでも十分だった。

それから直人は、握手会にも何度か行った。


最初の頃、美咲は直人を覚えていなかった。

当然だった。

直人以外にも、美咲のファンは大勢いた。毎回必ず来る人もいる。チェキを何枚も撮る人もいる。地方遠征まで追いかける人もいる。

直人自身も、別に覚えてほしいとは思っていなかった。


少なくとも、自分ではそう思っていた。


だからある日、美咲の前へ行った瞬間、


「あ、直人くん今日遅かったね」


と言われた時、すぐに返事ができなかった。


「……何で名前知ってるの」


美咲が笑った。


「何回来てると思ってるの」


「そんな来てないけど」


「来てるよ」


「そう?」


「来てます」


妙に断言された。

直人は少しだけ視線を逸らした。


嬉しい。


そう認めるのが、何となく恥ずかしかった。

それからは、美咲との会話も少しずつ楽になった。

特別な話をするわけではない。

仕事が忙しかった。今日は雨だった。新曲を聴いた。髪を切った。


そういう話だった。


美咲は何でも覚えているわけではなかった。前に話したことを忘れている時もあるし、名前を呼び間違えそうになることもあった。

そのたびに直人は少し安心した。

不思議な力があるわけでもない、ただの、一人の人間だと思えたから。


ある日、特典会で美咲が言った。


「最近ちょっと人増えたと思わない?」


「そう?」


「増えたよ!」


美咲は嬉しそうだった。


「この前も初めての人けっこういたし」


「へえ」


「もっと増えてほしいなー」


その言い方は、野心というより願いに近かった。

大きい会場。新しい曲。もっとたくさんの人。

美咲はそういう話を時々した。


「増えるよ」


直人が言うと、美咲はすぐに聞き返した。


「ほんとに?」


「たぶん」


「でた、たぶん笑」


「何」


「直人くん絶対そう言うじゃん」


「断言できないし」


「そこは『絶対増える』って言ってよ!」


「責任持てない」


「夢がないなー」


美咲は頬を膨らませたあと、すぐ笑った。

直人も笑った。

その「たぶん」は、それから何度も使われた。


新曲がうまくいくか。次のライブで客が増えるか。雨が止むか。美咲がちゃんと朝起きられるか。


「たぶん」


と言うたび、美咲が、


「また言った!」


と笑う。


大したやり取りではなかった。

でも、何度か繰り返すうちに、それは二人の間だけで通じる小さな癖になった。

直人はその頃から、ライブの日程を先に確認するようになった。

行ける日ではなく、行きたい日を先に決めて、あとから予定を合わせる。

健太に誘われなくても行く。一人でも行く。美咲の列にも並ぶ。

それでも、自分を熱心なファンだと思うのは少し違和感があった。


直人が好きだったのは、ただ可愛い女の子ではなかった。

美咲は何度も間違える。振りを飛ばす。MCで噛む。疲れている日は、いつもより声が出ていない。


それでもステージへ出る。


次はもっと上手くやろうとする。

客席が少なければ悔しがり、増えれば子どもみたいに喜ぶ。

上手く言葉にはできなかったけれど、美咲は誰よりも「アイドル」でいようとしていた。

その姿を見ているのが、直人には不思議と心地よかった。


あるライブの日。

いつもより客が多かった。

会場後方まで人が立っていて、美咲はステージに出た瞬間から明らかに嬉しそうだった。

最後のMCで、客席を見渡して言った。


「今日いっぱい人いるね!」


歓声が返る。


「もっともっと増やしたいなー。いつか、ここじゃ入りきらないくらい!」


美咲は笑っていた。

直人は後ろの方から、その顔を見ていた。

終演後、握手会で美咲に言った。


「今日、多かったね」


「でしょ!」


「よかったじゃん」


「うん!」


それから美咲は、少し得意げに聞いた。


「もっと増えると思う?」


直人は答えた。


「たぶん」


美咲がすぐ笑った。


「またそれ!」


直人も笑った。


その時は、それでよかった。


未来なんて、本当に誰にも分からなかった。

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