たぶん
あの日、彼女は死んだ。これは、僕たちから彼女に送る最後の”推し活”の物語ー
直人が二度目のライブへ行ったのは、それから三週間後だった。
今回は健太に誘われたわけではない。自分で日程を調べ、自分でチケットを取った。購入画面の確定ボタンを押したあとで、直人はしばらくスマートフォンを見ていた。
別に、大したことではない。
ライブを一度見て面白かったから、もう一度行く。それだけだ。
そう思っていた。
二度目の会場は、前より少し小さかった。
後ろの壁際に立つと、ステージ全体がよく見えた。前回と同じように六人が出てきて、照明が変わり、客席から声が上がる。
直人は最初の一曲が終わる前に、美咲を探していた。
別に探す必要などなかった。立ち位置も分かっているし、衣装もメンバーごとに少し違う。それでも目が勝手に向いた。
美咲は今日もよく動いて、よく笑っていた。
前回と違って、直人には曲も少し分かる。周囲がどこで声を出すのかも、何となく覚えていた。健太に教えられなくても、何度か同じタイミングで手を上げた。
それが少し恥ずかしくて、でも楽しかった。
特典会にも行った。
今回は迷わなかった。
美咲の前へ立つと、当然のように明るく迎えられた。
「ありがとー!」
「どうも」
「今日初めて?」
直人は一瞬だけ黙った。
「いや。二回目」
「あっ、ごめん!」
美咲が両手を合わせた。
「前も来てくれた?」
「来た」
「いつ?」
「三週間くらい前」
「えー、待って。何話した?」
直人は少し意地悪をしたくなった。
「思ってたよりちゃんとしてた」
美咲の顔が変わった。
「あ!」
思い出したらしい。
「それ言った人!」
「それ言った人って」
「覚えてる覚えてる!失礼な人!」
「覚え方ひどくない?」
「だってひどかったもん!」
美咲が笑う。
スタッフから時間を告げられた。
「また来てよ。今度はちゃんと褒めて!」
「考えとく」
「そこ来るって言うとこだよ!」
直人は笑いながら離れた。
その日、帰りの電車で何度も同じことを思い出した。
覚えていた。
名前ではない。
顔でもないかもしれない。
ただ、あの会話を。
それでも十分だった。
それから直人は、握手会にも何度か行った。
最初の頃、美咲は直人を覚えていなかった。
当然だった。
直人以外にも、美咲のファンは大勢いた。毎回必ず来る人もいる。チェキを何枚も撮る人もいる。地方遠征まで追いかける人もいる。
直人自身も、別に覚えてほしいとは思っていなかった。
少なくとも、自分ではそう思っていた。
だからある日、美咲の前へ行った瞬間、
「あ、直人くん今日遅かったね」
と言われた時、すぐに返事ができなかった。
「……何で名前知ってるの」
美咲が笑った。
「何回来てると思ってるの」
「そんな来てないけど」
「来てるよ」
「そう?」
「来てます」
妙に断言された。
直人は少しだけ視線を逸らした。
嬉しい。
そう認めるのが、何となく恥ずかしかった。
それからは、美咲との会話も少しずつ楽になった。
特別な話をするわけではない。
仕事が忙しかった。今日は雨だった。新曲を聴いた。髪を切った。
そういう話だった。
美咲は何でも覚えているわけではなかった。前に話したことを忘れている時もあるし、名前を呼び間違えそうになることもあった。
そのたびに直人は少し安心した。
不思議な力があるわけでもない、ただの、一人の人間だと思えたから。
ある日、特典会で美咲が言った。
「最近ちょっと人増えたと思わない?」
「そう?」
「増えたよ!」
美咲は嬉しそうだった。
「この前も初めての人けっこういたし」
「へえ」
「もっと増えてほしいなー」
その言い方は、野心というより願いに近かった。
大きい会場。新しい曲。もっとたくさんの人。
美咲はそういう話を時々した。
「増えるよ」
直人が言うと、美咲はすぐに聞き返した。
「ほんとに?」
「たぶん」
「でた、たぶん笑」
「何」
「直人くん絶対そう言うじゃん」
「断言できないし」
「そこは『絶対増える』って言ってよ!」
「責任持てない」
「夢がないなー」
美咲は頬を膨らませたあと、すぐ笑った。
直人も笑った。
その「たぶん」は、それから何度も使われた。
新曲がうまくいくか。次のライブで客が増えるか。雨が止むか。美咲がちゃんと朝起きられるか。
「たぶん」
と言うたび、美咲が、
「また言った!」
と笑う。
大したやり取りではなかった。
でも、何度か繰り返すうちに、それは二人の間だけで通じる小さな癖になった。
直人はその頃から、ライブの日程を先に確認するようになった。
行ける日ではなく、行きたい日を先に決めて、あとから予定を合わせる。
健太に誘われなくても行く。一人でも行く。美咲の列にも並ぶ。
それでも、自分を熱心なファンだと思うのは少し違和感があった。
直人が好きだったのは、ただ可愛い女の子ではなかった。
美咲は何度も間違える。振りを飛ばす。MCで噛む。疲れている日は、いつもより声が出ていない。
それでもステージへ出る。
次はもっと上手くやろうとする。
客席が少なければ悔しがり、増えれば子どもみたいに喜ぶ。
上手く言葉にはできなかったけれど、美咲は誰よりも「アイドル」でいようとしていた。
その姿を見ているのが、直人には不思議と心地よかった。
あるライブの日。
いつもより客が多かった。
会場後方まで人が立っていて、美咲はステージに出た瞬間から明らかに嬉しそうだった。
最後のMCで、客席を見渡して言った。
「今日いっぱい人いるね!」
歓声が返る。
「もっともっと増やしたいなー。いつか、ここじゃ入りきらないくらい!」
美咲は笑っていた。
直人は後ろの方から、その顔を見ていた。
終演後、握手会で美咲に言った。
「今日、多かったね」
「でしょ!」
「よかったじゃん」
「うん!」
それから美咲は、少し得意げに聞いた。
「もっと増えると思う?」
直人は答えた。
「たぶん」
美咲がすぐ笑った。
「またそれ!」
直人も笑った。
その時は、それでよかった。
未来なんて、本当に誰にも分からなかった。




