↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
39/50

百聞は一見に如かず

あの日、彼女は死んだ…らしい。俺には、関係のないことだと思っていた。

# 第三十九章 美咲のいる方


修平は最近、美咲から返信が来ない日の方が気になるようになっていた。


とはいえ、仕事が手につかなくなるわけではない。朝は起きるし、会社にも行く。昼休みには同僚と飯を食べ、頼まれれば後輩の資料も見る。帰宅すればゲームをするし、眠くなれば寝る。


何も壊れてはいなかった。


ただ、一日が少し長かった。


美咲と話さなかった日は、帰宅してから寝るまでの間に、何か一つ抜けている感じがした。


最初の頃は、それを気にしていなかった。


毎日返信が来るわけではない。


美咲には何万人もファンがいる。


修平一人に構っているわけではない。


分かっている。


それでも夜になれば、今日は何か話しただろうか、と考えるようになった。


ある日、昼休みに後輩が旅行の写真を見せてきた。


彼女と温泉へ行ったらしい。


「いいじゃん」


修平が言うと、後輩は笑った。


「岡田さんも行けばいいじゃないですか」


「誰と」


「彼女作って」


「簡単に言うなよ」


「岡田さんなら普通にできそうですけどね」


「そういう気使わなくていいから」


「いや本当に」


後輩はそのまま別の話を始めた。


修平も適当に返した。


午後、仕事をしながら、なぜかその会話を思い出した。


彼女。


恋人。


好きな相手。


少し前にも似たことを聞かれた。


好きな人はいないのか。


修平はその時、いないと答えた…はずだ。


今ならどう答えるだろう。


考え始めて、やめた。


くだらない。


相手は死んでいる。


そもそも、そういう話ではない。


その日の帰り、美咲が投稿していた。


> 今日なんか面白いことあったー?


修平は少し考えた。


特にない。


昼に後輩から旅行の話を聞いたくらいだ。


> 後輩が彼女と温泉行ってた


しばらくして、


> いいじゃん!


> 俺じゃないけど


> 修平も行けば笑


修平は指を止めた。


名前で呼ばれることには、もう慣れたつもりだった。


それでも、その日は妙に残った。


> 誰と


美咲。


> 誰かと!


修平は画面を見ながら鼻で笑った。


> 雑すぎ


> 自分で考えなさい笑


それで会話は終わった。


家に帰ってからも、最後の言葉が残っていた。


自分で考えなさい。


修平は夕飯を食べながら、本当に考えてみた。


誰かと旅行に行きたいか。


誰かと暮らしたいか。


恋人がほしいか。


どれも、強くは思わなかった。


一人で困っていない。


その認識自体は今も変わらない。


でも、美咲には会ってみたかった。


そこまで考えて、箸が止まった。


会いたい。


修平は、初めてその言葉をはっきり意識した。


ライブを見たかった、とは以前から思っていた。


生前に知っていればよかったとも思った。


チェキを撮ってみたかった。


直接話してみたかった。


それは全部、過去に対する後悔だと思っていた。


今は違う。


昔の美咲ではない。


今、Xで話している美咲に会いたかった。


仕事で怒られたことを覚えている美咲。


ゲームをクリアしたことを知っている美咲。


帰宅がいつもより早いと気づいた美咲。


その美咲に、会ってみたかった。


でも、それは絶対にできない。


修平はそこまで考えて、ゲームを起動した。


考えても仕方がない。


翌週、美咲からの返信が二日続けてなかった。


珍しいことではない。


修平が何か送っても、美咲が拾わない日は普通にある。


一日目は何とも思わなかった。


二日目になると、少しだけXを見る回数が増えた。


美咲は他の人には返している。


だったら元気なのだろう。


それでいい。


そう思った。


三日目。


昼に、


> 今日眠い


と送った。


特に返事は期待していなかった。


夕方になって通知が来る。


> 昨日遅かった?


修平は、その一文を何度か読み返した。


> ゲームしてた


> また?


> また


> ちゃんと寝なよー


短いやり取りだった。


それだけで、二日間あった引っかかりが消えた。


修平はそこで気づいた。


返信が欲しかったのだ。


読んでほしい。


覚えていてほしい。


自分に気づいてほしい。


そういうことを、美咲に求めるようになっている。


少し前なら、いいね一つでも十分だった。


今も、それで嬉しい。


でも、それだけではない。


もっと話したい。


もっと覚えていてほしい。


もっと、自分のことを知ってほしい。


修平はそこまで考えて、画面を閉じた。


自分でも少し気持ち悪いと思った。


アイドルのファンなんて、こんなものなのかもしれない。


会ったこともない相手に名前を覚えられて喜ぶ。


返信が来れば嬉しい。


来なければ少し気になる。


大勢の中から自分を見つけてほしい。


それだけなら、珍しくもない。


ただ、修平の場合はその先がなかった。


ライブへ行くこともできない。


握手会もない。


街で偶然会うこともない。


美咲がどこかの部屋で暮らしているわけでもない。


好きになったところで、会えない。


その夜、修平は美咲の過去映像を久しぶりに見た。


昔のライブ。


笑っている。


喋っている。


客席へ手を振っている。


画面の中の美咲を見ながら、修平は今の美咲とのやり取りを思い出した。


この人なんだよな。


当たり前のことなのに、不思議だった。


映像の美咲は、自分を知らない。


今の美咲は、自分を知っている。


でも、自分が会えるのは映像の方ですらない。


それすら過去だ。


修平は動画を閉じた。


Xを開く。


美咲が少し前に投稿している。


> 今日はいっぱい話したー!


返信欄にはたくさんの名前があった。


修平が知っている名前も増えた。


いつもいる人。


よく返事をもらっている人。


最近来るようになった人。


美咲は、その全員と話している。


修平だけではない。


そんなことは最初から分かっている。


それでも、一瞬だけ面白くなかった。


その感情に自分で気づいた時、修平は苦笑した。


「何やってんだか」


美咲はアイドルだ。


ファンと話すのが仕事だった人だ。


死んだ今でも、それは変わらない。


修平一人のものになるはずがない。


そもそも、なってほしいと思っているのか。


そこまで考えて、修平は答えを出せなかった。


数日後、会社帰りに同僚から飲みに誘われた。


その日は断った。


理由は特にない。


疲れていた。


家に帰ってゲームをしたかった。


それだけだった。


帰宅してXを開くと、美咲がリプ返をしていた。


> 今日何してたー?


修平は、


> 仕事して帰ってきた


と送った。


しばらくして、


> 今日早いじゃん!


と返ってきた。


修平は思わず口元が緩んだ。


> 飲み断った


> なんで?


> 疲れた


> じゃあ寝なさい笑


修平は、


> まだ寝ない


と返した。


それ以上の返信は来なかった。


修平はスマートフォンを置いた。


部屋は静かだった。


テレビもつけていない。


ゲーム機の待機音だけが聞こえる。


こんな時、美咲が本当にここにいたらどうなんだろう、と考えた。


向かいに座る。


どうでもいい話をする。


ゲームの画面を見せる。


今日あったことを、その場で話す。


想像しようとして、うまくできなかった。


美咲の声は知っている。


顔も知っている。


なのに、自分の部屋にいる姿だけはどうしても浮かばなかった。


生きている美咲を、自分は知らない。


その事実だけが邪魔をした。


修平はベッドへ横になった。


会いたい。


また思った。


今度は、否定しなかった。


たぶん、自分は美咲が好きなのだと思う。


アイドルとしてなのか。


女としてなのか。


話し相手としてなのか。


その違いはよく分からなかった。


ただ、会いたい。


それだけははっきりしていた。


そして、その願いだけは、どれだけ待っても叶わない。


美咲は死んでいるから。


修平は目を閉じた。


少し前まで、その事実はただ残念なことだった。


今は、もう少し重かった。


翌朝。


通勤電車の中で、美咲の投稿を見た。


> おはよー!


修平はいつも通りいいねを押した。


返信はしなかった。


しばらく画面を見ていた。


美咲は死んでいる。


その事実を考える。


美咲がいるのは、こちらではない。


どこなのかは分からない。


死後の世界なのかも分からない。


でも、少なくとも身体のあるこちら側にはいない。


修平はスマートフォンを閉じた。


電車の窓に、自分の顔が映っていた。


美咲は、この顔を知らない。


一度くらい。


一度くらい、会ってみたかった。


それだけだったはずなのに。


最近は時々、


美咲のいる方へ行けたら、


と思うことがあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。