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吉岡奈緒

あの日、彼女は死んだ。これは、僕たちから彼女に送る最後の”推し活”の物語ー

高橋悠斗が吉岡奈緒と付き合い始めたのは、美咲が戻ってきてからしばらく経った頃だった。


きっかけは特別なものではない。同じ大学の友人を通じて何度か会い、そのうち二人でも話すようになった。奈緒はよく喋る方だったが、一方的ではなかった。悠斗が適当に返せば「今絶対聞いてなかったでしょ」とすぐ気づくし、逆に悠斗が話し始めると、意外なほど最後まで聞いた。


最初に二人で食事へ行った時も、話題の半分くらいはどうでもいいことだった。授業、バイト、好きな店、友人の恋愛、最近見た映画。悠斗は普通に楽しかった。


だから二度目も会った。


三度目も。


気づけば、付き合うことになっていた。


美咲には、その日の夜に報告した。


> 彼女できた


送ってから、自分でも唐突だと思った。


しばらくして返信が来る。


> えーーー!!

> ほんと!?


> ほんと


> おめでとー!!!!


続けて、


> ちゃんと大事にしなよ!


悠斗はククク、と声が漏れた。


> 誰目線


> アイドル目線です!


> 何それ


> ファンの幸せを願うアイドルです!


悠斗はそのやり取りを見て、少し安心した。


何に安心したのかは、自分でもよく分からなかった。


美咲が嫉妬しなかったことかもしれないし、妙に気を遣わなかったことかもしれない。あるいは、彼女ができたと伝えても、美咲との関係が何も変わらなかったことかもしれない。


ただ、それを深く考えることはなかった。


奈緒に美咲のことを話したのは、付き合ってから一か月ほど経った頃だった。


二人で悠斗の部屋にいた。


奈緒が棚に置いてあるチェキを見つけた。


「これ誰ですか?」


悠斗はキッチンから振り返った。


「美咲」


「美咲?」


「中川美咲」


奈緒の表情が変わった。


「ああ、あの人」


「そう」


「高橋さん、ファンだったんですか?」


「今もファンだよ」


奈緒はチェキを手に取らず、その場で少し眺めた。


「生きてた時から?」


「うん」


「へえ」


悠斗は飲み物を二つ持って戻った。


奈緒に片方を渡す。


「何、その反応」


「いや、意外だっただけです」


「アイドル好きそうじゃない?」


「ちょっと好きそう」


「じゃあ意外じゃないじゃん」


奈緒は笑った。


「でも、今も普通に話してるんですよね」


「たまにね」


「死んでるのに?」


「死んでるのに」


奈緒はソファに座った。


「不思議ですね」


「今さら?」


「高橋さんは慣れすぎです」


「まあ慣れるよ」


「慣れるんだ」


奈緒はしばらく考えていたが、それ以上は聞かなかった。


数日後。


奈緒と夕飯を食べている時、美咲から通知が来た。


悠斗は画面だけ確認して、そのまま伏せた。


奈緒が気づいた。


「見なくていいんですか?」


「あとでいい」


「美咲ちゃん?」


「そう」


「へえ」


「何」


「いや、すぐ見るのかと思ってました」


悠斗は箸を動かしながら答えた。


「いつでも見れるし」


「なるほど」


奈緒はそれ以上何も言わなかった。


その日の帰り、悠斗は電車の中で通知を開いた。


数時間前に書いた、


> 今日焼肉


という投稿への返信だった。


> いいなー!


それだけ。


悠斗は、


> うまかった


と返した。


返事は来なかった。


別に気にならなかった。


奈緒との関係は、その後も普通に続いた。


会う。


食事をする。


映画を見る。


喧嘩もした。


悠斗が約束の時間に遅れて、奈緒が本気で怒ったこともある。


「十分くらいじゃん」


「十分だから何なんですか」


「いや、そこまで怒る?」


「怒りますよ。連絡もなかったし」


「ごめんって」


「今の言い方絶対反省してない」


その日はしばらく空気が悪かった。


帰宅してから、悠斗は美咲のXを開いた。


ちょうど、


> 今日なんか嫌なことあった人いるー?


という投稿があった。


悠斗は少し迷った。


> 彼女に怒られた


送った。


美咲から返事が来た。


> 何したの


> 遅刻


> それは悠斗が悪い笑


悠斗は眉を寄せた。


> 味方しろよ


> しません!


続けて、


> ちゃんと謝りなよー


悠斗は画面を見て、


> はい


と返した。


翌日、奈緒には普通に謝った。


美咲に言われたからではない。


自分が悪かったからだった。


その後も、奈緒の話を美咲にすることはあった。


誕生日。


旅行。


喧嘩。


奈緒が風邪を引いた。


プレゼントを何にするか迷った。


美咲はそのたびに、それなりに返した。


> それ絶対こっち!


> ちゃんと看病してあげなよ


> 女の子はそれ嫌だと思う笑


時々、悠斗より奈緒側についた。


悠斗は普通に文句を言った。


それで終わった。


奈緒の方も、美咲を特別警戒することはなかった。


ある日、悠斗の部屋で一緒に写真を整理していると、昔のチェキが出てきた。


美咲と悠斗。


二人とも若い。


奈緒は写真を見ながら聞いた。


「この時何歳ですか?」


「二十」


「若」


「そっち今いくつだよ」


「そういうことじゃなくて」


奈緒はチェキを棚へ戻した。


その隣には、少し前に二人で撮った写真があった。


旅行先で撮ったものだった。


奈緒がそれを見て言った。


「なんか変ですね」


「何が?」


「元カノの写真と今カノの写真が並んでるみたい」


悠斗は吹き出した。


「元カノじゃないし」


「分かってますよ」


「そもそも付き合ってない」


「分かってるって」


奈緒も笑った。


「…競争相手じゃない感じなんですよね」


悠斗は顔を上げた。


「競争相手?」


「美咲ちゃん」


「何と競争するの」


「私と」


悠斗はしばらく黙った。


奈緒は言葉を探すように続けた。


「普通だったら、彼氏がずっと好きな女の人の写真飾ってて、その人と毎日のように連絡取ってたら、たぶん嫌だと思うんですけど」


「うん」


「でも美咲ちゃんって、そういう感じじゃない」


「死んでるから?」


「それもあると思いますけど」


奈緒は棚を見た。


「高橋さんの中で、なんか置いてある場所が違う感じ」


悠斗は答えなかった。


言われてみれば、その通りだった。


奈緒と美咲を比べたことがない。


奈緒の方が大事だとか、美咲の方が好きだとか、そういう順番で考えたこともなかった。


役割が違う。


それが一番近かった。


奈緒は現実の生活にいる。


会う日を決める。


連絡が遅ければ気になる。


一緒に行きたい場所が増える。


喧嘩したら仲直りしなければならない。


誕生日もある。


来年の予定もある。


美咲とは、そうではない。


ライブの予定はない。


握手会もない。


会う約束もできない。


それでもXを開けば話せる。


悠斗にとって、その二つは不思議なくらい競合しなかった。


その夜。


奈緒が帰ったあと、美咲が投稿していた。


> みんな今日何してたー?


悠斗は、


> 彼女といた


と返した。


少しして、


> 仲良しじゃん!


と来た。


> まあね


> 大事にしなよ!


また同じことを言っている。

悠斗は、


> 分かってる


と返した。


美咲からハートのリアクションが付いた。


悠斗はスマートフォンを置いた。


棚には、美咲との昔のチェキがある。


その隣には、奈緒と撮った最近の写真がある。


どちらかを片づけようとは思わなかった。


二枚はそのまま、並んでいた。

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