沙耶
あの日、彼女は死んだ。これは、僕たちから彼女に送る最後の”推し活”の物語ー
遥香が沙耶と知り合ったのは、美咲が死後にXを更新するようになってからだった。
きっかけは返信欄だった。
美咲が、
> 最近おすすめのリップあるー?
と投稿した日のことだった。
遥香は普段使っているブランド名を書いた。少しして、美咲から、
> 遥香ちゃんこういうの詳しいよね~!
と返ってきた。
その下に、別の女性ファンが返信していた。
> これ私も使ってます!ほんとにいいです!
アイコンは知らない女性だった。
遥香が何となくプロフィールを開くと、美咲を知ったのは死後らしかった。
bioには「美咲ちゃん死後新規!仲良くしてください!」と書かれている。
過去のライブ映像を見て好きになり、それから毎日のようにXを追っているようだ。
名前は沙耶。
二十五歳。
それ以上のことは特に書かれていなかった。
その日は、それだけだった。
何度か返信欄で名前を見るうちに、お互い何となく認識するようになった。
遥香が美咲の昔の衣装について書けば、沙耶が反応する。
沙耶が昔の動画を引用して、
> この髪型かわいすぎる
と書けば、遥香が、
> この時期よかったよ
と返す。
そんなやり取りが続いた。
ある日、沙耶から、
> 遥香さんって生前から美咲ちゃん推してたんですよね?
と返信が来た。
> そうだよ
> うらやましいです
> 私も一回でいいからライブ見たかった
遥香は少しだけ返事に迷った。
> 楽しかったよ
> 美咲、ライブだともっとかわいかった
> いいなあ……
その言葉を見て、遥香は少し気分が良かった。
嫌な意味ではない。
自分が知っている美咲のことを、誰かが知りたがっている。
それが嬉しかった。
そこから沙耶とは、たまに直接やり取りをするようになった。
ただし、個人的な連絡先を交換するほどではない。
X上で話すだけ。
美咲の昔の衣装、ライブ、メンバー、握手会。
沙耶は何でも聞いた。
> 美咲ちゃんって実際どんな感じでした?
> Xとそんな変わらないよ
> やっぱりずっと明るかった?
> 明るかった
> でも普通に疲れてる時もあったよ
> そういうのも見てみたかったな
遥香はそこで少し手を止めた。
疲れている美咲。
服の話をする美咲。
体重が増えたと小声で言う美咲。
そういうものまで、沙耶は知らない。
知らなくて当然だった。
その頃にはまだ、美咲を知らなかったのだから。
数週間後。
沙耶から、
> もしよかったら今度ご飯行きませんか?
と来た。
遥香は少し考えてから承諾した。
待ち合わせは駅前だった。
沙耶は、Xのアイコンより少し幼く見えた。
「遥香さん?」
「うん。沙耶ちゃん?」
「そうです!」
会ってすぐ、美咲の話になった。
それ以外に共通の話題がほとんどなかった。
二人でカフェへ入る。
沙耶は美咲の昔のライブについて何度も聞いた。
「客席ってどのくらいだったんですか?」
「会場によるけど、小さいところ多かったよ」
「やっぱ近かった?」
「近い。後ろでも普通に顔見えるくらい」
「うわー、いいなあ」
沙耶は本気で羨ましそうだった。
遥香は当時のことを話した。
美咲がMCで噛んだこと。
特典会が長引いてスタッフに急かされていたこと。
髪色を変えた日に誰も気づかず、本人が少し不満そうだったこと。
沙耶はそのたびに笑ったり、驚いたりした。
「なんか、本当にいたんですね」
不意に言われて、遥香は顔を上げた。
「いたよ」
「いや、分かってるんですけど。私が知った時にはもうXしかなかったから」
沙耶は少し気まずそうに笑った。
「昔の動画見ても、なんか歴史みたいに感じる時あって」
遥香はストローを指で回した。
「歴史って」
「ごめんなさい、変ですよね」
「別に」
でも、その言葉は少し引っかかった。
歴史。
自分にとっては数年前の出来事だった。
目の前にいた人、話した人、手を握った人。
それを、沙耶は動画で知った。
「でも今は普通に話せるじゃん」
遥香が言うと、沙耶は頷いた。
「それが嬉しいです。私みたいなのでも話せるから」
私みたいなのでも。
遥香は何も言わなかった。
食事の途中、沙耶がスマートフォンを見た。
「あ」
「何?」
「美咲ちゃん」
画面をこちらへ向ける。
美咲が少し前に、
> 暇な人いるー?
と投稿していた。
沙耶はその場で返信した。
> 遥香さんとご飯中!
遥香は思わず顔を上げた。
「書いたの?」
「ダメでした?」
「いや、別に」
数分後。
突然向かいから、メメント・キミのデビュー曲が流れだした。
”我想う、故にキミあり”ー。
驚いた遥香を見て、沙耶がすこし照れくさそうに笑った。
「にわかっぽいですよね、デビュー曲を着信音にしてるなんて」
「ううん、”我キミ”は不朽の名曲」
「遥香さんくらいになってもそう思うんですね!」
「そういえばそれ、美咲から?」
「そうみたいです、えっと、なになに…」
> え!遥香ちゃんと!?
> いいなー!何食べてるの?
「ですって!」
沙耶は遥香にそう言うとすぐに
> パスタ!
と返した。
> ずる!!
遥香はそのやり取りを横から見ていた。
別に何もおかしくない。
自分の名前も出ている。
美咲はちゃんと覚えている。
それでも、最初に返事をもらったのは沙耶だった。
「美咲ちゃん、最近ちょっと覚えてくれてる気がするんですよ」
沙耶が言った。
「そうなんだ」
「この前も仕事のこと覚えてて」
「へえ」
「前の日に『明日プレゼンです』って書いたら、次の日『どうだった?』って」
沙耶はスマートフォンを見ながら話している。
遥香は水を飲んだ。
美咲は、そういうところがある。
昔から。
ファンが前に話したことを突然覚えている。
それは遥香も知っている。
だから沙耶にやっていても、おかしくはない。
ただ。
沙耶は、美咲が死んでから知った。
ライブにも来たことがない。
握手もしたことがない。
美咲の声を直接聞いたこともない。
それでも、美咲は沙耶の仕事の話を覚えている。
「やっぱ美咲ちゃんって女性ファンには話しやすいんですかね」
沙耶が何気なく言った。
遥香は顔を上げた。
「何で?」
「なんか、結構返してくれるし。男の人より安心なのかなって」
聞いたことのある考え方だった。
自分が何度も思ってきたこと。
遥香はすぐに同意しなかった。
「美咲はあんまりそういうの気にしてないって言ってたよ」
「そうなんですか?」
「前に聞いた」
「へえ」
沙耶は特に気にした様子もなく、またスマートフォンを見た。
遥香は少しだけ妙な気持ちになった。
自分が以前、美咲に言った。
女のファンの方が安心じゃない?
美咲は否定した。
男でも女でも、あまり気にしていない。
それなのに、今度は沙耶が同じことを考えている。
女だから。
それだけなら、沙耶も同じだった。
帰り道。
沙耶は楽しそうに美咲との過去のやり取りを見せてきた。
「これ、初めて返信もらったやつです」
「へえ」
「こっちは名前呼ばれたやつ」
「結構返ってきてるね」
「ですよね!」
嬉しそうだった。
遥香は、その笑顔を見た。
嫌いではなかった。
むしろ、いい子だなと思った。
美咲のことを好きな女同士で話すのも楽しかった。
それでも。
駅で別れたあと、一人になってから思った。
沙耶も女だ。
美咲から名前を呼ばれる。
前に話したことを覚えてもらう。
返信をもらう。
それなら、自分が美咲に近かった理由は、女だったからだけではないはずだ。
遥香は電車に乗り、スマートフォンを開いた。
昔の写真を探した。
美咲とのチェキ、特典会、ライブ、生誕祭。
沙耶にはないものが、いくつもあった。
美咲が生きていた頃。
自分はそこにいた。
遥香は、その事実を確かめるように写真を一枚ずつ送っていった。
Xには、美咲の新しい投稿が来ていた。
遥香は通知だけ見て、すぐには開かなかった。




