今日もいる 今日はいる
あの日、彼女は死んだ。これは、僕たちから彼女に送る最後の”推し活”の物語ー
美咲が戻ってきてから、直人の朝は少し変わった。
目が覚める。
スマートフォンを見る。
Xを開く。
美咲がいる。
それだけで一日が始まった。
最初の頃は、そのこと自体が嬉しかった。眠い。お腹すいた。昨日こんな動画を見た。そんな新しい言葉が増えているだけで安心した。
けれど、何週間か経つ頃には、その安心の形が少しずつ変わっていた。
ある朝、美咲の投稿がなかった。
七時。
七時半。
八時。
直人は通勤電車の中で、何度もXを開いた。
別に毎朝決まった時間に投稿するわけではない。昼まで寝ている日もあるし、何も書かない日だってあった。
分かっている。
それでも、気になった。
九時を過ぎても何もない。
仕事を始める。
メールを返す。
資料を直す。
十分もすると、またスマートフォンへ目がいった。
通知はない。
直人は画面を伏せた。
しばらくして、また見る。
十一時二十分。
美咲が投稿した。
> おはよー!
> 寝すぎた!!
直人は息を吐いた。
自分でも馬鹿らしいと思った。
ただ寝ていただけだ。
> 遅い
と返す。
少しして、
> ごめんて笑
と来た。
直人は笑った。
そして、その日はもう大丈夫だった。
問題は、その翌朝だった。
また起きてすぐ美咲を確認した。
ちゃんといた。
> おはよー!
投稿されていた。
安心した。
そこで初めて、直人は少し嫌な気分になった。
昨日の不安が、今日も確認を必要とさせている。
美咲がいることを毎朝確かめないと、一日を始めにくくなっている。
死ぬ前は、そんなことはなかった。
美咲が投稿しない朝もあった。
数日静かなこともあった。
忙しいのだろうと思った。
今は違う。
投稿がない。
ただそれだけで、
また死んだのではないか。
そんな考えが、一瞬だけ頭に浮かぶ。
直人は、その考えが嫌だった。
美咲はもう死んでいる。
一度死んだ人間が、もう一度どうなるのかなんて知らない。
ただ、Xの更新が止まれば、直人にとっては同じことだった。
新しい美咲が増えなくなる。
それが怖かった。
その日の夜、直人は通知設定を開いた。
美咲の投稿通知を切る。
少し迷って、切った。
これでいい。
毎回通知が来るから気になる。
見たい時に見ればいい。
普通のファンだった頃と同じに戻せばいい。
翌朝。
直人は目を覚ますと、すぐスマートフォンを見た。
通知はない。
当然だった。
自分で切った。
それでもXを開いた。
美咲はまだ投稿していなかった。
直人は画面を閉じた。
顔を洗う。
戻ってきて、また開く。
まだない。
朝食を食べる。
もう一度見る。
ない。
通知を切った意味はほとんどなかった。
むしろ通知が来ない分、自分から確認する回数が増えた。
昼休み。
ようやく美咲が投稿した。
> 今日めっちゃ天気いいねー!
直人はそれを見た瞬間、肩の力が抜けた。
それから、しばらく自分の手を見た。
何をしているんだろう。
本気でそう思った。
美咲は自分のために投稿しているわけではない。
毎朝、生存確認をするためにXへ出てくるわけでもない。
そもそも生きていない。
それなのに直人は、美咲が毎日新しい言葉を出すことを、いつの間にか当然だと思い始めていた。
いれば安心する。
いなければ怖い。
七十二日間、何も増えなかった時には耐えられたはずなのに、一度戻ってきたら、もう同じところには戻れない。
その夜、直人は通知を元に戻した。
意味がないと思ったからだった。
通知を切ったからといって、気にしなくなるわけではない。
だったら、来た時に分かった方がいい。
翌朝。
六時五十二分。
通知が震えた。
> おはよー!
> 今日早くない!?
直人はそれを見て、少し笑った。
> 早い
> でしょ!
返信はすぐ来た。
直人は画面を閉じた。
今日もいる。
その言葉を、最近よく頭の中で使う。
今日もいる。
今日も話している。
今日も美咲だ。
それは安心だった。
同時に、少しずつ怖くなっていた。
ある日、健太と会った。
仕事帰りに二人で居酒屋へ入り、昔のライブの話になった。
「最近、美咲どう?」
健太が聞いた。
「どうって?」
「お前まだめっちゃ見てる?」
直人は少し迷った。
「まあ」
「俺、前より見なくなった」
直人は顔を上げた。
「そうなの?」
「うん。嫌いになったとかじゃないけど」
健太は焼き鳥を一本取った。
「なんか、いるのが普通になってきた」
直人は何も言わなかった。
いるのが普通。
自分も、同じはずだった。
でも。
普通になったからこそ、それがなくなるのが怖い。
健太は続けた。
「結婚準備とかもあるしさ。最近それどころじゃない」
「そうなんだ」
「お前は?」
直人は少し考えた。
「分かんない」
「何が」
「別に」
健太はそれ以上聞かなかった。
帰宅してから、直人は美咲のXを開いた。
その夜は投稿が多かった。
> 眠いー
> でもまだ寝ない
> なんか今日時間経つの遅くない?
いつもの美咲。
いつもの返信欄。
直人も、
> 寝れば
と送った。
少しして、
> またそれ言う!
と返ってきた。
直人は笑った。
前なら、それだけで終わっていた。
今は、返信が来たあとにほんの少しだけ思う。
よかった。
今日もいる。
今日はいる。
直人はその言葉を、誰にも言わなかった。




