このアカウントは美咲です
あの日、彼女は死んだ。これは、僕たちから彼女に送る最後の”推し活”の物語ー
翌朝になっても、件のアカウントは消えておらず、
当たり前のように投稿も続いていた。
>おはよー
>昨日なんか疲れた笑
死んでいる人間が「疲れた」と書く。
それだけで、また何百件もの返信が付いた。
>疲れるの?
>寝たの?
>どこで寝るの?
>夢見る?
彼女はその全部には答えなかった。目についたものにだけ、気まぐれに返していた。
>疲れるっぽい
>寝たよー
>どこって言われても分かんない笑
>夢は今日は見なかった!
昨日までなら、その一つ一つが大騒ぎになる内容だった。
今日は少し違った。
世界が、もう慣れ始めていた。
もちろん、信じていない人はまだ多かった。
乗っ取り。
事務所の宣伝。
高度なAI。
生前に本人から大量の文章を提供されていた。
真帆も企画に加担している。
ありとあらゆる説が出た。
その日の昼、事務所は二度目の声明を出した。
アカウントへの不正アクセスは確認されていない。
現在の投稿はスタッフによるものではない。
生前に設定された予約投稿でもない。
また、投稿者が中川美咲本人しか知り得ない情報を複数把握していることを、関係者間でも確認している。
最後に、
現時点で、この現象について合理的な説明はできない。
そう書かれていた。
直人は会社の昼休みに、その文章を読んだ。
隣で同僚がニュースを見ていた。
「これヤバくないですか」
後輩がスマートフォンを見せてくる。
画面には、美咲の顔写真と、
《死去したアイドル、中川美咲さんのX更新続く 所属事務所「合理的説明できず」》
という見出し。
直人は、
「まあ」
と答えた。
「佐伯さん、この子知ってましたっけ?」
「知ってる」
「ファン?」
少し迷った。
「うん」
後輩は一瞬だけ気まずそうな顔をした。
「じゃあ……これ、どうなんですか」
「何が」
「本人だと思います?」
直人は、美咲のアカウントを開いた。
ちょうど新しい返信が付いていた。
誰かが、
> 今日仕事行きたくない
と書いている。
美咲。
> 行きなさい!笑
直人はしばらく見てから、
「分かんない」
と答えた。
それ以上は言わなかった。
一方で、真帆はもう「誰かが美咲のふりをしている」という可能性をほとんど考えていなかった。
信じたくない気持ちは残っていた。
でも、それと疑うことは別だった。
美咲は、美咲だった。
その日の午後、美咲からDMが来た。
> 真帆
> なに
> 事務所の人たち大丈夫?
真帆は少し笑いそうになった。
自分の状況より先に、そこを聞く。
そういうところも美咲らしかった。
> 大丈夫ではない
> やっぱり?
> 全員困ってる
> ごめん
> 何で美咲が謝るの
少し間があった。
> 私がいるから?
真帆はその文章を見た。
> 知らない
> 冷たい
> 何て言えばいいの
> 大丈夫だよとか
> 大丈夫かどうか分かんないし
> たしかに
美咲はそこで一度止まった。
数分後。
> 私さ
> うん
> 死んだんだよね
真帆の指が止まった。
昨日から何度も話題になっていた。
本人も分かっているようだった。
それでも、美咲が自分からその言葉を使ったのは初めてだった。
> そうだよ
送った。
既読はすぐに付いた。
返事が来るまでに真帆は二度、窓を見た。
> そっか
真帆は画面を見た。
続けて、
> ごめん
> なんかあんまり覚えてないんだよね
と来た。
> どこまで
> 病院いたのは覚えてる
> そのあと
> ぼんやり
> 苦しかった?
少し待つ。
> たぶん
> でも今は平気
真帆はそれ以上聞かなかった。
聞いたところで、何が変わるわけでもない。
数分して、美咲がまた送ってきた。
> 真帆は泣いた?
> 泣いてない
> 嘘
> 泣いてない
> 絶対泣いてる
> うるさい
> こわ
真帆はそこで、少しだけ笑った。
昨日までなら、その笑いにすら罪悪感があったかもしれない。
今日は違った。
美咲が返してくる。
それがあまりにも普通だった。
その日の夕方、真帆は事務所へ呼ばれた。
会議室にはスタッフが数人いた。
アカウント管理を担当していた人間。
広報。
マネージャー。
技術に詳しい外部スタッフまでいた。
何度確認しても、説明できる異常は出ない。
ログイン元の情報も、おかしな形では残っていない。
予約投稿もない。
管理画面上では、美咲のアカウントはただ普通に使われているように見える。
「普通に、って何ですか」
真帆が聞いた。
担当者は困った顔をした。
「普通に、です」
「本人死んでるんですけど」
「…分かっています」
誰も笑わなかった。
スタッフの一人が真帆へ聞いた。
「七瀬さん、本当に本人だと思いますか」
真帆は少し考えた。
昨日なら、「分からない」と答えたかもしれない。
今は違った。
「本人です」
会議室が静かになった。
「根拠は?」
「私しか知らないことを知ってるから」
「昨日見せてもらった内容以外にも?」
「あります」
「確認してもいいですか」
「嫌です」
即答した。
スタッフが少し困った顔をした。
「内容によっては、本人確認の材料になるので」
「本人確認するために、全部見せる必要ないですよね」
「それは、そうですが」
「私と美咲の話なので」
真帆はそこで言葉を切った。
自分でも少し驚いた。
昨日までは、美咲がいること自体が異常だった。
どんな手を使ってでも、正体を見破ってやりたいと思っていた。
今はもう、美咲との会話を他人に見せたくないと思っている。
夜になり、事務所は公式アカウントから美咲のXを停止しない方針を発表した。
理由は簡単だった。
現時点で第三者による不正利用を示す証拠がない。
本人である可能性を否定できない。
そして何より、強制的に停止することが適切か判断できない。
当然、批判も出た。
宣伝に使うな。
死人を働かせるな。
今すぐアカウントを閉じろ。
逆に、
消さないで。
美咲ちゃんがいるなら話させて。
本人が書いてるなら何が悪い。
そんな声もあった。
美咲自身は、その騒ぎの途中で、
>なんか私のことで喧嘩しないでー!
と投稿した。
少しして、
>私もよく分かってないから!
さらに、
>とりあえず普通にしてていい?
返信欄は一気に流れた。
>いいよ
>いてほしい
>普通って何笑
>好きにして
>おかえり
最後の一言だけ、やけに多かった。
おかえり。
どこから帰ってきたのか。
誰にも分からない。
そもそも、帰ってきたのかも分からない。
悠斗もその投稿を見ていた。
>普通にしてていい?
そこだけ何度か読み返した。
そして、
>いいんじゃない
と返信した。
遥香も、美咲へ返信した。
>無理しなくていいからね
この騒ぎの中で、美咲の理解者でありたかった。
直人は最後まで返信しなかった。
何を書けばいいか分からなかった。
美咲本人だと言われても、まだ頭が追いつかない。
それでも夜になって、美咲のアカウントを何度も開いた。
投稿は増えていく。
> お腹すいた気がする
> でも食べれないんだよねたぶん
> 変なのー
数分後。
> あ、でもラーメンは食べたい
返信欄が笑いで埋まった。
美咲らしいな、と直人は思った。
本当の彼女のことなんて、なにひとつ知らないと思っていた。
それでも、このアカウントからは美咲を感じられた。
その時点で、世間の全員が美咲を信じたわけではない。
それから先も、疑う人間は残った。
合理的な説明を求め続ける人もいた。
詐欺だと決めつける人もいた。
ただ、美咲の周囲にいた人間たちにとっては、その議論は急速に意味を失っていった。
真帆はもう知っている。
スタッフも、少なくとも「誰かが美咲を演じている」とは言えなくなった。
直人も、悠斗も、遥香も、まだ戸惑っていた。
それでも、投稿が増えるたびに一つずつ認めざるを得なくなる。
書いているのは、美咲だった。
なぜいるのかは分からない。
どこにいるのかも分からない。
なぜXだけ使えるのかも分からない。
でも、そこにいるのが誰なのかだけは、少しずつ疑わなくなっていった。




