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「アルベールさん」
計画書に目を通していたアルベールは、隣に青い顔で立つセラフィーナの声に、顔を上げた。
「どうした?」
セラフィーナはしばし、唇を噛み締めていたが、アルベールの目を真っ直ぐに見た。
「今作戦についてですが……私は、本当に参加すべきでしょうか?」
「当然。この計画は、君の能力がなければ成り立たない。もし体調に不安があるなら、延期を検討する」
「そう、ですか……」
アルベールは、顔色の悪いままのセラフィーナを横目でじっと見つめていたが、小さく苦笑した。
「さっきのシンの言葉に、自信をなくしたか? そう気に病むな。そもそも、少数での計画参加については、〈オリジン〉の承認を受けての実行だ。君一人の責任ではないし、君の采配が間違いとは言えない。あの狂犬には全く、困ったものだ」
アルベールは書類を卓に置くと、ほんの一拍置いてから、セラフィーナに笑いかけた。
「指揮官としての自信を失ったのなら、今回の作戦で、ダグの采配を見て学べ。あいつは、人を使うのが上手い。人遣いの荒さで今まで生き残った、オリジナルの〈プリマス〉だからな」
セラフィーナはしばらく難しい顔をしていたが、やがて小さく頷いた。
「まだ心配事があるのか……? シンはさっきの馬鹿をやったせいで、作戦から外した。ルナも無茶をし過ぎているから、しばらく休養させるために外した。気まずい二人には顔を合わさなくて済むぞ。それとも何か……? ああ、ヴィクターが気まずくて嫌か?」
その名前を出された途端に、セラフィーナの顔に血色が戻った。
「違います! い、一体いつまで、それをいじり続けるつもりですか?」
「何をムキになっているのか。俺は、誰か気まずい奴がいるなら、配置を変えてやってもいいと考えて聞いただけさ」
「嘘つき!」
「おお……元気になったな。良かった良かった」
どこ吹く風の態度のアルベールに、セラフィーナは諦めたようにため息をついた。
しかし、先ほどまでとは違い、どこか力が抜けた良い表情に変わっていた。
「まあ、今日は早めに戻って寝るといい」
アルベールは立ち上がると、セラフィーナに書類を返す。
「今日の十一時に出立だな? 健闘を祈る」
「承知しました」
びしっと敬礼を決めるセラフィーナに、ひらひらと手を振ると彼は会議室を後にする……が、そこにのっそりと立つカトリーヌが待ち構えていた。
「盗み聞きか? 良くないぞ」
アルベールは、驚いたとでもいうように片眉を上げた。
「セラフィーナの安全のために、控えていただけだ。それに、あなたに盗み聞きを咎める資格はない」
カトリーヌは非難するように、目を細めて言った。
アルベールは肩をすくめると、顎でくいっと方向を指し、歩きながら話すことを促した。
「セラフィーナの安全のため、とは……まるで彼女に危害を加えるかもしれないとでも聞こえるんだが。二十年の付き合いなのに、俺は信頼されてないのか? 残念だな」
「まだ十八年だ」
仏頂面で答えながらも、ぴったり横を歩くカトリーヌに、アルベールは苦笑いを浮かべた。
「それは失敬。それで? なぜ俺は、君に信頼されていないんだ?」
「あなたはシンと同じだからだ」
アルベールの口角がぴくりと痙攣し、足をほんの一瞬緩めた。
爽やかな笑みは浮かべたままの彼を、カトリーヌは見据えて言った。
「あなたは、セラフィーナに殴りかかりたいほど、怒っている」
カトリーヌの声は低く、静かだった。
「ルナを——あの子を、オーバーロードに追い込んだこと、許せないのでしょう?」
アルベールの足は、完全に止まった。
「シンが暴れるのを、あなたは傍観していた。彼が話し始めた時、あなたはもう会議室の前にいた。なのに――」
カトリーヌは、アルベールの張り付いた横顔に、ため息を吐きながら続ける。
「シンを泳がせた。それだけで十分だった。自分の手を汚さず、セラフィーナを責め立てることができた」
一つ息を吐き出すと、彼女は声を落として続けた。
「あなたはシンと同じ。感情の隠し方を覚えただけだ」
アルベールは、カトリーヌを横目で静かに見下ろしていたが、吹き出すように笑った。
「何を言い出すかと思えば。お前は本当に、独創的で面白いよ」
アルベールは何事もなかったかのように、再び歩き出す。
「シンも、あなたのように少しは本心を隠すのが、上手くなればいいのに」
「あんなお子様と、一緒にされる覚えはないよ」
会話が途切れると、二人の足音だけが規則正しく鳴る。
両者無言のまま、時が流れていく。
「この後の予定は?」
微妙な空気を破る狙いだったのか、カトリーヌは雑談を持ちかけた。
「ああ……俺は、あと二時間したらここを出るよ。呼び出されているんだ」
「……ルナには?」
「これから顔を見に行くよ。しっかり休んでいるのを、確認しておく必要がある。説教は一旦、お預けだ」
「なら、さっさと行ったほうがいい。パイロットが毎度、時間ギリギリにならないと現れないアルベールのせいで、胃に穴が空きそうなんだ」
「それは失敬。なら、この足で行ってくる」
アルベールは片手を振ると、医療区画の方向に歩き出した。
カトリーヌはじっと、そのアルベールの後ろ姿を見えなくなるまで、見つめ続けていた。
*
大股で、しかし余裕のある歩みで、医療区画内を闊歩するアルベールに、医療員たちは軽く会釈をして、道を譲る。
お蔭で彼は区画内を滞りなく進み、ルナの病室のそばまでたどり着いた。
ちょうどタイミングを狙ったかのように、目的の病室からルナのかかりつけの医師が出てきた。
「あら、アルベールさん……」
「どうした? 容態に変化が?」
険しい顔になったアルベールに、医師は慌てて首を振った。
「い、いいえ……彼女が目を覚ましたので、診察をしていたのです」
アルベールは、医師の言葉にまばたきを何度も繰り返した末、「は?」 と言葉を漏らした。
「ですよね? 特殊ですよね? 良かった……今までの私の認識が、間違っていたのかと思いました。安心しました……」
「いや、今、夕方の四時だぞ? 倒れたのは朝六時前だぞ……オーバーロードを起こした奴が、半日で目を覚ますなんて聞いたことがない」
オーバーロードを起こした者は、少なくとも二、三日は目を覚まさない、決して軽く見てはいけない症状である、はずだった。
「私もありませんでした。ただ……オーバーロード後は八時間ほどで目を覚ますのが、あちらでは当然だったと、本人が教えてくれました……だって、第一声が『長く寝かせていただいて、ありがとうございます』だったんですよ?」
アルベールの目に一瞬、激しい殺意が浮かんだが、すぐ呆れたような表情へ変わった。
「これが、ポテンシャルの違いなのか……能力者というのは不思議なものだな」
「それは、非能力者である私の台詞です……ひとまず、視力異常の疑いも報告されていましたが、正常に回復していました。回復が早すぎるだけで、現状問題はありません」
「そうか……とりあえず、良かった」
「ただ、困ったことに彼女、本当に自分の体に無頓着で……さっきも、 経過観察のために、任務はしばらく入らないだろうと話をしたら……演習場に行こうとしたんです」
ため息を吐き出しながら、アルベールは額に手を当てた。
「全く、何を考えているのか……」
「アルベールさんからも、言ってください。二、三日は、絶対に安静にするように」
「了解」
医師は軽く会釈をすると、廊下を進んでいった。
アルベールは、先ほど医師が出てきた扉の前に立つと、三度軽く鳴らした。
「……どうぞ」
少し置いて、静かな声が返事をした。
扉を開けると、上体を起こしたルナに出迎えられた。
「三週間ぶりか? 実は、眠っているお前には会ったから、正確にはさっきぶりだが」
ルナは、ゆっくり小さく頷いた。アルベールは手近の椅子に座ると、改めて彼女を見た。
血の気のない顔だが、体調は特に悪くは見えず、いつも通りの様子。元々血色のない顔ではあるので、本当に半日で治ってしまったようだ。
「今日から二日間、医務室に泊まれ。これは命令だ」
ルナはまばたきを繰り返すと、再び頷いた。言葉通りには理解しているのだろうが、他人事のような反応である。
「それからもう一つ。"電撃"——あの破壊神的な使い方は、お前自身への影響が強すぎる。今のような頻度で使い続ければ、ガタが来る。使用は一日二回まで。特例は許さない」
ルナはややあってから、ゆっくりと頷いた。
特に反発心があるわけではなさそうだが、「戦闘効率が下がるな」とでも思っているような様子だ。
アルベールはため息を一つ吐き、ルナの顔を覗き込む。
「任務でのことは聞いた。確かに、お前の提案で生き延びた。だが、もしあれでお前が再起不能になっていたのなら、〈アポクリファ〉にとっては致命的な痛手だ。分かったか?」
「はい」
やはり、本当に分かっているのかと問いたくなるほどの手応えのなさではあったが、せめて言われたことは守るだろうと、アルベールは考えた。
「さて、せっかくの二日休みができたんだ。何かしたいことはあるのか?」
療養ではあるが、降って湧いた休みに、多くは小躍りするほど喜ぶというのに。ルナは小首を傾げると、虚空を眺め始めた。
「遠出は無理だが、何か〈ゼファリオン〉の中で出来ることはあるだろう?」
心躍るものが本当に思いつかないのか、ルナはふらっと視線を動かすだけだった。
「なら、エリザに付き合ってもらえ。彼女なら、遊び方をよく知っている」
「……エリザは、外出休暇でいないはずでは」
「いいや。俺と同じ便で、昼間ここに戻ってきたよ。やりたいことをやり尽くしたから、残りの二日はこっちで過ごすってさ。ちょうど良かったじゃないか」
エリザという戦闘員は、ルナとは真反対の性格をしている。だからこそ、二人は調和の関係性を築いている。
ルナからすれば、よく後ろをついて構う存在という認識止まりかもしれないが、エリザはルナをよく慕い、可愛がっている。
ふらりと消えてしまいそうなルナを、しっかりと繋ぎ止めることが出来るのは、今の時点では彼女だけだと、アルベールは考えていた。
「医師の指示内であれば、自由に過ごして良い。でも、夜はここで休め。ゆっくり羽根の伸ばし方を覚えるといいさ」
アルベールは、ルナの頭にぽんと手を置くと椅子から立ち上がり——何か思い出したのか、コートの内ポケットを探り出す。
「あった、あった……先週、これを買ったんだ」
茶色の小さな紙袋を取り出すと、それをルナの膝の上にそっと置いた。
「少し用があって、お前の故郷に出向いたんだ。その時にこれを見つけた。昔——これを見たことがあって思い出したんだ。確か"匂い袋"といったか? とりあえず、勧められた匂いのものを三つ買った。好きなように扱ってくれ」
「ありがとう、ござい、ます……」
ルナは小さくお礼を呟いた。
「じゃ、また今度な」
アルベールは手をひらりと振ると、病室から颯爽と立ち去っていった。
扉がゆっくりと定位置に戻っても、しばらくぼんやりとそれを見つめていたルナだったが、紙袋に視線を落とすと、おずおずと中を覗いた。
手のひらに収まるほどの箱が三つ鎮座していた。
一つを手に取り、箱の裏を青灰色の目で覗き込むと『宵の光』と刻まれている。
ルナは箱を少し開き、藍色の小さな巾着と白檀の香りを確認すると、そっと閉じた。
『春昼の風』と書かれた二つ目の箱からは、薄緑色の巾着と桂皮の匂いがあふれ出す。
そして、最後の箱——『誰時の夢路』の蓋を開けた瞬間、ルナの目がわずかに大きく見開かれた。薄桜色の巾着を食い入るように見つめたまま、彼女はしばらくその匂いを静かに浴びる。
わずかに震える指先を、そっと小さな巾着に触れたが、ルナは小さく息を吐くと、そっと蓋を戻した。




