喰い合い
「——死者はゼロ。軽傷者十三名、中度損傷者四名、オーバーロード症状が一名です。事後報告は以上となります」
セラフィーナは椅子に静かに腰を下ろした。
上層部への報告という緊張に加え、ルナが倒れた責任をさすがに感じてはいるのだろうか。表情が固い。
『ご苦労だった。研究所は世界政府にとって核だ。その難所を死者なく、これほどの被害で済ませたことは奇跡と言える』
真っ黒のスクリーンから流れる加工音声がそう告げた。
「ありがとうございます、主宰」
主宰――〈アポクリファ〉の創設者にして強力なパトロン。しかし、その姿、声、名は一切明かされていない。
〈オリジン〉と呼ばれる、古参且つ組織全体の指揮を司る幹部だけが面識を持つと言われるが、自分が知る限り、この黒い画面と加工音声の印象しかなかった。
『やはり、ルナとシン。この二人が参加した作戦は、被害が極端に小さくなる。いつも君の働きには感謝しているよ、シン』
賛辞は受け取ったが、そもそもこういった言葉を好む性分ではない。まして今は、喜べる心境ではない。
軽く会釈するだけで精一杯だった。
『では、私は失礼する。君たちにしか出来ないことがあるように、表に出ない臆病者だからこそ出来ることもある——君たちの無事を、いつも願っている』
ぷつりと音がして、画面が消えた。
「さて、今作戦の反省に移るとしよう」
〈オリジン〉の一人、カトリーヌが、全員を見渡し言葉を促す。
「では、まずタリクから」
「い、いえ……作戦に関してはございません。反省点は自分についてのみ、でございます」
緊張に肩を上げながらも、タリクは明瞭に答えた。
ライラも「特にありません」と短く返す。
「では、シン。何か気になったことはあるか?」
呼吸を悟られないように整え、胸の奥に渦巻くものを無理やり押し込む。
「索敵の正確性を揺さぶられたことで、起こったイレギュラーがありました。動員人数や作戦規模に関係なく、セラフィーナのような精密性の高い索敵と、操作型能力などに左右されにくい索敵の、二段構えは必要だと考えます。もっとも、人員が確保できればの話ですが……以上です」
あくまで建前だけを述べたつもりだった。だが、会議室の空気が微妙に歪んだ。
「……何か?」
全員に自分を凝視する中での沈黙が耐え難いので、無意識に訊ねた。
「言いたいことを言わずにおくのは、この場では禁止事項。私に言いたいことが——山ほどあるのでしょう?」
俯きながら、セラフィーナが言った。
謝罪の色さえ混じった声音が余計に、内部で押さえ込んでいたものが音を立てて崩れさせた。
「言ってほしいなら言ってやるよ」
想像していたよりも、冷え切った声が出た。
「イレギュラー対応が下手すぎる。それも、反対意見を蹴っての決行だ。正直、あんたの指揮能力のなさには驚いた」
空気が瞬時に凍った。
催促してきたのは向こうのはずなのに、"俺が勝手に言い始めた"ような空気が、形成されていく。
「……セラフィーナ様の判断を、間違っていたと本当に言えるのでしょうか?」
沈黙を破ったのは、ライラだった。
感情を滲ませた視線を向けられ、ライラという人物像が見えた気がした。
Σメンバーへの崇拝は珍しくない。
神の恩恵を受けなかった者ほど、精鋭を"拠り所"にする。ライラがそういった盲信者タイプだったことは予想外だったが。
「セラフィーナ様の判断がなければ、研究所のあの輸送機は、別拠点へ移されていました。私たちは撤退できず、ここに帰還することも——」
(なるほど。おまけに情緒で話すタイプ、か)
知らずのうちに、乾いた笑いが出た。
「へえ、そうだったのか。俺の認識と食い違うな」
ライラは言葉を遮られたことが不快だったのか、眉をひそめた。直接ではないにしろ、お互い様だろう。もう、どうでもいいが。
「まず一つ」
指を一本折る。苛立ちで、どこか気分が高揚しているせいか、大げさな振る舞いな気がしたが、頭の隅に置く。
「輸送機に等級の高い能力者が乗せられる傾向は、分かってた。人員を増やす案もあった。でも、セラフィーナが却下した」
明らかに不満を隠せないらしい、息の音が聞こえた。
「そして二つ」
二本目の指を折る。口角が、糸でつり上げられているかのように、引きつり上がってしまう。
「隊員の負荷も、失敗時の動きも考えず、目先の策に飛びついた。結果——オーバーロードを起こした奴が出た。つまり、輸送機対策は判断ミスの尻拭い。撤退時の策は、焦って主戦力を消耗しただけだ」
我慢できなかったのか、とうとうライラは椅子を勢いよく引き、立ち上がった。
「セラフィーナ様が、ルナ様の策を採用したからこそ、全員生還したのですよ! 負傷者も最小限。死者もいない。精鋭のあなた様なら、この結果がどれほど優れていて、素晴らしいのか——」
「犠牲が少なければ成功ってわけか。まあ、そうだな? なら、負傷者に言ってみろよ。"素晴らしい結果を残した。お前らの怪我程度で済んだお蔭だ"ってな」
今にも飛びかかりそうな目を向けてきたが、所詮は外野。
セラフィーナへ視線を戻し、言いたいことを吐き出してやる。
「あんたは指揮を執るべきじゃない。采配は薄っぺらく、一部を犠牲にしてバランスを取ってるだけだ。そんなものを続けていれば、いつか支柱が折れて全体が崩壊する」
胸の奥の黒い感情が、言葉として垂れ流されていくのは、すっきりとした感覚がある。
「あんたは戦闘員としては優秀だ。だが指揮官の器じゃない。今回被害が少なかったのは——あんたが犠牲にした奴らの力のおかげにすぎ——」
――ぞくりと、背筋に虫が這うような寒気が走った。
椅子を蹴って飛び退き、反射で後方へ身構えていた。自分の意思じゃない、身体が勝手に動いたのだ。
「さすが〈プリマス〉。反応速度が段違いだな」
軽い拍手が響いた。
健康的に焼けた肌を持つ、ラテン系の男。
明るく快活な第一印象を与えるその男に対して、緊張は一気に研ぎ澄まされた。
(アルベール……)
遅れて理解する。今しがたとった動きは、この男に対する、経験からくる危機感に刺激され、反射的行動をとったのだということを。
〈オリジン〉の中でも中心的人物であるアルベールの登場に、円卓についていた皆が無意識に立ち上がった。
「しかし残念だな。〈プリマス〉が隊律違反とは」
穏やかな口調だが、目の奥は冷えきっていた。
「現場指揮官への過剰な責任追及、隊内規範を乱す言動——処分を言い渡す。詳細は追って通達する。速やかに自室へ戻れ。医師たちは部屋に向かわせる。以後の会議参加は認めない」
アルベールの指が、誘導するように扉を指した。
自分も精鋭の一員として権限は与えられているが、〈オリジン〉が下す処分には、従わなければならない。
周囲の視線が自分に集中しているのを感じたが、一瞥をくれることなく黙って出口へ向かう。
「お前は、いつまでガキなんだ?」
すれ違いざま、アルベールが低く囁いた。
「感情を扱えない奴は、戦場に出るべきじゃない。何度言った?」
その言葉には応えず、扉に手をかけて会議室を後にした。
―――
(機密百科事典より引用)
〈オリジン〉
武装レジスタンス組織〈アポクリファ〉創設メンバーを中心に構成する、古参幹部の総称。
十五年以上の歳月を前線で過ごした、手練れである。
〈主宰〉
武装レジスタンス組織〈アポクリファ〉の創設者。
潤沢な資金を〈アポクリファ〉に投資するパトロンであり、また世界政府の情報を運ぶ諜報員的な役回りをしているが、その身元は長年、謎に包まれている。世界政府は、危険人物と見なし、捕獲を試みてきたが、手がかりはない。〈アポクリファ〉内でも、〈主宰〉について知る者は、極めて数が限られている。




