娯楽
「皆様。今宵もよくぞ、お越しくださいました!」
砂地の囲いの前に立つ、ヴィットーリオ・モランディに観客らは拍手を送る。
「さて。こちらでの公演を始めて早二ヶ月が経ちます。今年の特別公演に関しましては、本日が最後となる見込みでございます。ここまで本公演の盛況をお支えくださいまして、誠にありがとうございます」
モランディは拍手に応えながら、団員が手渡しをしてきた物を受け取ると、それを大きく掲げた。
「ささやかながら、今年もこちら、カルーセル座特別オルゴール、通称『カルゴール』をご用意いたしました。今年は節目の年、カルーセル座の誕生から二十年を迎えます。これからも、挑戦をし続けることを決意の印としまして、例年の箱型からデザインを一新いたしました」
モランディが螺子を回すと、小さな音色とともに、台座の上に載っている回転木馬がゆっくりと回り出す。
観客からは好印象のざわめきがたっているようだ。
確かに箱型ではない上、回転木馬という繊細な造形が求められる形状は貴重だろう。
「皆様にお渡ししておりますので、お手に取ってご覧いただければと存じます」
その言葉とともに、木箱を持った複数の団員が端から現れ、席へと近づき手渡していく。
いつものことか、今日だけなのか分からないが、血なまぐさい演目がいきなり始められるわけではないらしい。
だが、それがかえって趣味の悪さを感じさせられる。
観客たちのまずまず上々な反応に、モランディは満足気に頷くと、ゆっくりと客席の合間を歩き始めた。
「さて、こちらのカルーセル座特別公演。初めての方も数名いらっしゃいます上、今年の公演は本日で最後。開幕の前に改めて、歴史についてお話させていただきたく存じます」
モランディは咳払いを一つすると、会場はすっと静まった。
「二千年近く前のこと、この地には当時、比類なき高度な文明がございました。政治、農業、工業。芸術、すべてが最先端に洗練されておりました」
(……明らかに、こっちに向かって来ているよな)
モランディは、会場全体に話しかけながらも、足先をこちらに向けて真っ直ぐ歩いてくる。
「娯楽も非常に華やかで豊かさを誇っており、何より最も人気の高いものが、闘技の観戦。王は、庶民の憩いの場として大型の円形闘技場を用意し、勇ましい兵士や猛獣を闘わせ、民から信を得ていたといいます」
こちら——正確には、十中八九"オリヴィア"を過剰に意識しているのが見て取れる。
「剣闘士らによる、人間対人間、人間対動物による戦闘の、刺激的な娯楽を時を超え、私は復活させたのです。そして更に——」
モランディは"オリヴィア"の前で足を止めると、会場全体を抱え込むように両手を広げた。
「『異能力』という《《人ならざるヒト》》を剣闘士に立てた、まさに伝統と新しさを兼ね備えた闘技! 私が目指したのは、そんな娯楽でございます」
拍手が再び鳴り響く。しかし、昼公演の熱狂とは、明らかに質が違う。周りの顔を見渡すと、冷ややかな色さえ混じっている。
無理もない。
今の口上は、要するに、自分を王に重ねているようなものだ。
闘技場を用意し、民に娯楽を与え、信を得る。その役を、この男は自分のものとして語ってみせた。
かつては貴族だったのだろう。だが今は、闇金業者とサーカスの興行主でしかない。
しかも目の前にいるのは、その貴族制を取り上げた側の人間が多数だろう。
観客からすれば、せめてもの情けで冷笑を抑えているのかもしれない。
モランディは冷ややかな拍手に応えながら"オリヴィア"に向くと、微笑む。そして、手に持っている『カルゴール』を恭しく差し出した。
直接受け取らせたいのだろうが、"使用人"としては、それを代わりに受け取るべき。
彼女も、ちらりとこちらを見たので、モランディの手からカルゴールをさっと受け取り、会釈をしておく。
苛立ったのか。奴の片眉がぐいっと引き上がったが、知らぬ振りをしておく。客の連れ、そして周囲の目もある。さすがに、そのまま引き下がる他なかったらしい。さっと頭を下げると身を翻し、砂地の囲いの前へと戻っていく。
「さて、本日の演目についてご紹介いたしましょう。まず第一演目は、猛獣との一戦になります。ええと……」
モランディは近くの団員に目配せし、用紙を受け取ると、少し顔から離して読み上げる。
「挑戦者は雄ライオン、四歳半。肉体組織が最も成熟した戦闘適齢期とのことです。体長二・八メートル、体重二二五キログラム。咬合力は四百キログラムを超え、人間の最も太い大腿骨すら、簡単に砕けることでしょう。三日間の絶食措置により、極めて獰猛な状態です」
用紙を持っていない方の手で、空に大きな弧を描いて続ける。
「防衛者は"鋼の少年"、十代前半。身長一五八センチメートル、痩せ型。見た目に大きく変わりはないものの、どんな凶器も体を通さない、鋼の体を持つ不思議な少年。戦績は十八戦中、完全勝利は九戦、通常勝利は七戦、引き分けは二戦となります」
流れるように弧を描いた手を前へ差し出し、誘いかけるように観客たちへ向けて奴は言った。
「さあ、第一演目は猛獣対人間ですので、賭け内容は勝敗、時間の二項目。さあ、スリルを更に味わいたい方はご思案ください」
言葉が終わるのと同時に、あちこちで衣擦れの音がし始める。
椅子の側面に、小さなポケットがついている。そこから手慣れた様子でカードを引き抜き、膝の上で書き始める客が半分ほど占めていた。
『なるほど、こういうシステムで賭けをしているんだね。賭けたい人はこのカードに書いて金とともに、近くの団員に提出すると……』
チョーカー越しにグレンが呟いた。
とりあえず同じようにポケットからカードを取り出し、"お嬢様"の目に入る角度で広げてみせる。
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一、勝者 □挑戦者 □防衛者
賭金___ヴァロル
二、時間 □〜五分
□〜十分
□〜十五分
□十五分〜
賭金___ヴァロル
三、決着 □完全勝利
(敗者の戦闘不能や死亡)
□通常勝利
(敗者の降伏宣言)
□引き分け
(膠着状態など)
賭金___ヴァロル
——————————
挑戦者と防衛者の予想勝者の選択。
決着がつくまでの予想時間の選択。
決着の仕方についてのパターン予想の選択。
各項目それぞれ、好きな額を賭けられるらしい。
正直、降伏宣言での投了が認められているとは、予想外だ。借金で縛り付けておきながら、ここで一定の節度というか、慈悲を見せるとは。
(いや……そうであるなら、通常勝利ばかりになるはず。そんなもので賭けなんかするのか?)
あの少年の戦績を考えると、通常勝利の比率は少なすぎる。いくら追い詰められて判断がつかなくなっていても、取り返しがつかなくなるところまで行き着くものだろうか。
となれば、考えられるのは————降伏宣言をしたとしても、それを《《そのように捉えられなかった》》ことが多いのかもしれない。面白みが出るまで、降伏宣言をしても無視し続けるような……
『なんと……悪趣味な』
グレンが苦々しげな声で漏らす。その言葉に賛同するかのように、ルナはカードから顔を背けると、前の砂地を静かに見つめ始めた。
『まあ、とにかく。僕たちはギャヴィンとミゲルらの連絡まで待機だ。僕たちが今やることは、観客の一員として周りから注意を向けさせることだ』
前で、モランディは団員からカードを預かりながら、上機嫌に語る。
「さあ、まもなく締め切りとなります。ご思案中の方はお急ぎください。さて、やはり防衛者の勝利票が多いようですが、挑戦者票の逆張りも見受けられますね。何が起こるか分からない。それがこの特別公演の面白さでしょ——」
——チリン。
澄んだ音が、言葉の尾を切り落とした。
「ああ、申し訳ございません。公演中につきましては、そちらのカルゴー——」
————チリン。チリン、チリン。
今度は重なって鳴り出す。モランディの眉間に、深い皺が寄るのが見えた。
「ええ……そちらのカルゴールは、公演ちゅ——」
音が、一気に膨れ上がる。
澄んだ音色のはずが、数が重なるほど濁っていく。拍も調子も噛み合わないまま、何十という旋律が勝手に回り続けている。
会場のカルゴールは、どれも鳴っていないらしい。聞こえてくるのは、幕の向こうからだろう。
団員が二人、三人と裏へと慌てて飛び込んでいく。
モランディはにこやかな笑みを浮かべながら、青筋を立てている。話を続けたいのにこの環境下では続けられないだろう。
一人の団員が青い顔をして、モランディの側に寄り、耳打ちをする。勢いよく頭を下げるその団員に小さく舌打ちをすると、さっさと行けというように手で、モランディは追いはらった。
「申し訳ございません。ただいま、在庫のカルゴールが誤作動を起こしたようでして、大変騒々しい状況になっております。申し訳ございません」
会場から不満の声は上がらなかったが、鼻で笑う声があちこちから聞こえた。
「騒音の解消に少々お時間かかるやもしれませんので、お耳障りでしょうが、第一演目の方を進めさせていただきます。ただいま、対応中にございますので、何卒お待ちください」
モランディは、わずかに背を丸めて幕の中へ消えていった。
『今のは多分、誰かが意図的に起こしたことだろうね。エリゾがやったとは、あの性格を考えるとないから。彼のお仲間の誰かかな?』
「そうですね……ただ、お蔭でかなり団員の注意をこちらに向けられたかもしれません」
どう考えても、エリゾがオルゴールを鳴らす騒動を起こそうとする思考回路を、持っているとは考えにくい。
ただ、全て背負い込もうとするあいつの像を踏まえると、また他の仲間に協力を仰ぐのも違う気がするが、何か転機があったのかもしれない。
「お待たせいたしましたっ!」
幕の向こうからモランディの声が聞こえたかと思うと、奴が煩わしそうにそれを跳ね除けて出てきた。
「それでは、挑戦者、防衛者の登場です!」
半円の砂地の奥にかかっていた幕が持ち上がる。
上手には、鎖を垂らした首輪をつけている、軽装の子どもが一人。
下手には、口輪、首輪をつけたライオンがのた打ち回るようにして、砂地を強くかき上げた。




