隔たり
「豪奢な内装だね、想像以上に」
テントの中へ通されると、開口一番に"ジュリアン"ことグレンは言った。
つられて天井に視線を向けてしまう。しかし、ルナはいつもと変わらぬ冷めた目で、会場の人間をさっと観察したのが窺えたので、慌てて視線を前に戻した。
第二テントの中は、昼公演とは全くの別物だった。
斑に黒ずんだ砂が敷き詰められた、半円の囲いを起点に、革張りの一人掛けソファが扇形に広がって配置されている。
客席は昼の三分の一も満たないが、深い臙脂の布地に囲われた空間は、高級感が演出されている。
しかし、シャンデリアなどの装飾の過剰さや、やけに鼻につく焚かれている香の匂いが、品をなくしているように感じた。
背の高いガラス壁が、半円の砂地の輪郭に沿うようにして、客席との隔たりを作っているのが、なんともいえないムカつきを起こさせる。
間近で、感性の狂った催しを見るくせに、ただの観客でいるためのその隔たりが、ここの客層を示しているように感じる。
ガラスも、割れにくい合わせガラスが使われているのだろう。あんな広く、そして丸みを帯びた形のものは相当高価だろうが、裏に世界政府の人間がいるのであれば、容易いに違いない。
(俺なら、簡単にぶち壊せるけどな)
「カルヴァートン子爵様。どうぞ、こちらへ」
パオロ・コスタは恭しく、正面後方の、一段高い位置に据えられた席を示した。
後方だが、前を遮る席はなく、位置もちょうどよい。かなり気を遣われているらしい。
「あ、お連れ様はこちらへ」
特等席を目にした"ジュリアン"の反応を窺っていたのか、彼が口を開こうとした瞬間、その斜め前の席を示す。
段がない上に、前方の席で一部見えにくいところがありそうだ。
確かに"ジュリアン"は、貴族位はない設定のため、階級で単純に線引きしたといえばそう言える、ぎりぎりの線引きをしてきたらしい。
ちなみに、"オリヴィア"の段付きの特等席の横に、"ジュリアン"と似た席が置かれている。
「あ、あなたはこちら——」
「いえ、結構です」
案内をされる前に遮ると、パオロ・コスタは目を丸くした。
「"オリヴィア"様の側に控えておりますので」
「はあ、そうですか」
"オリヴィア"に対してと、他に対しての態度の違いようが、清々しい。目で「下がれ」と言ってやると、パオロ・コスタは眉をひそめたが、案外大人しく下がった。
「"お嬢様"、こちらへ」
一応手を添えたが、彼女は一人でさっと座った。
"ジュリアン"も肩を竦めると、用意された席に座る。
「お若い方がいらっしゃるのは珍しい。初めていらしたお方とお見受けしますが」
初老の男が、柔和な笑みを浮かべて声をかけてきた。
人当たりの良さで言えばグレンとよく似ているが、ここの常連である口ぶりからすれば、警戒せざるを得ない。
"オリヴィア"は、会釈と呼べるかどうか、ぎりぎりの角度に、わずかに顎を引いた。
「おっしゃる通り。モランディ団長のご招待により、初めて参加をされます。お見知りおきを」
主ではなく、使用人が答えることに少し男は戸惑ったようだが、頷いた。
「そうですか。なかなか刺激的な演目ですので、さぞお楽しみいただけると思いますよ」
「ありがとうございます」
「ああ、申し遅れました。シリル・パニョルと申します。第七管区南部海岸地域本庁で財務部長をしております」
(普通の、世界政府の役人か)
"オリヴィア"に視線を向けると、彼女は小さく頷いた。
「……こちらは、"オリヴィア・カルヴァートン"。私は使用人の"ジュン"と申します」
「国外からいらっしゃったのですか?」
「ええ。アングリアから、見聞旅行にと」
一応、何かしらの地位を持っていると見られているようだが、どうせあと数時間の付き合いとはいえ、あまり"カルヴァートン子爵"の言葉を使いたくはない。
詳しいところは分からないが、モランディのような一般人ならともかく、下っ端とはいえ世界政府関係者。何かの拍子に深入りされては面倒。
それに、"カルヴァートン子爵"というのは架空ではなく実際にアングリアにある貴族。〈アポクリファ〉に陰で協力している一端であるため、名前を使うことを許可していると説明はされたが、何か面倒事を起こして迷惑をかけるようなことを避けるのは、借りた身としては当然のことだろう。ただ——
「おや、カルヴァートンというと、カルヴァートン子爵家の縁者であるとか?」
シリル・パニョルではない、粘着質な声が割って入ってきた。ニタニタとした笑みを浮かべ、"オリヴィア"を見る。
役人にしては、格好があまりにも派手すぎる。どこかモランディ氏と同じ匂いを感じる、富豪や成金に準じた奴だろう。
「初めまして、お美しいお嬢さん。さぞ、初めての場所に緊張をされてるでしょう————」
その男から匂う酒臭さとともに、指輪をいくつも嵌めている下品な指が、彼女の手に伸ばそうとしたのが見え、奴の間に入り込もうとした。
が、それよりも先に、ぴしゃりと"オリヴィア"が扇子で自分の手に打ち付けた。
奴は、驚いたように手を引っ込めたので、その隙に隙間に入る。
邪魔な位置にいる俺を、片方の口端と目尻を釣り上げ、非対称な表情で睨みつけてくる。
「ああ、申し訳ないですね。姪子は、順番を守らないことを至極嫌うのですよ」
歪んだ顔を眺めながら、あしらう文句を頭の中に並べ立てていたが、それよりも前に席についていた"ジュリアン"が口を挟んだ。
「例えばそうですね、話の途中に割り込まれることとか、特に」
"ジュリアン"は微笑みながら、わずかに首を傾げる。その煽りに、奴は顔を徐々に真っ赤にさせていく。
「……割り込んではいないはずだが? パニョル氏は、この使用人と話をしているだけだろ」
「『使用人の言葉は、主の言葉』というのが、アングリアの常識なんですよ。まあ、知らずとも無理もありませんね」
『貴族制を廃止された敗戦国だから』という含みに気づいたのか、奴は更に顔を赤くした。
シリル・パニョルは、奴のその顔が面白いのか、小さく吹き出した。
この役人は、名前の響きやこの態度からして、旧エンディリアの人間でないことは確かのようだ。
別に、シリル・パニョルも始末すべき相手だが、この低俗男よりかはマシだ。
悟られないよう息を小さく整え、赤い顔に向かって言い放つ。
「御用があれば、後ほどに改めてください」
赤い顔がまた更に歪み、舌打ちをする。
しかし、三対一の構図に分が悪いのか、周りの視線が気になるのか、足音を大きく立てながら離れていった。
「申し訳ありません。私のせいで騒ぎを起こしてしまいましたね」
シリル・パニョルは困ったように眉尻を下げて言った。
「いえ。そのようなことは……」
「あの男——ドメニコ・ヴォルテッラは、娼館のオーナーをしていましてね。大掛かりな脱税を二度ほど繰り返し、それを追及したのが私ですから。恨みを買われているのですよ」
彼は、去っていく奴の姿を蔑みの目で見ながら、肩をすくめた。
「それはそれは……とんだ逆恨みで、さぞご心労が絶えないでしょう」
"ジュリアン"が、慰めの言葉を口にする。正直、この男を相手にするのは少し疲れそうだったので、助かったと思ってしまった。
彼に負けない、人当たりの良い笑みを浮かべ"ジュリアン"は手を差し出した。
「"ジュリアン・マッサーロ"と申します。"オリヴィア"の旅行に同行している者です」
「シリル・パニョルと申します。オリヴィア嬢の叔父のお立場でいらっしゃると……?」
シリル・パニョルは笑顔を保ちながら、訝しげに"ジュリアン"をさっと足元から頭上まで見上げた。
"マッサーロ"という苗字の響きが、この地方のものであることと、アングリアから来た"カルヴァートン"子爵ということの食い違いを指しているのだろう。
「正確には、"オリヴィア"は姪ではないのですがね。私の祖母が、元は"カルヴァートン"子爵家の出身でして。その縁から、三十年前の一斉蜂起の際にアングリアへ疎開し、彼女の父君に懇意にしていただいたのです」
「なるほど。姪のように大切な存在、ということで」
"ジュリアン"は笑みを浮かべながら、小さく頷いて誤魔化した。グレンの淀みのない、人の丸め方にはやはり感心させられる。
ルナの目が、すっと横へと動いた。その方に視線を向けると、一人の青年が明らかにこちらに真っ直ぐ近づいてくる。
「父上」
シリル・パニョルに向かって、青年は言った。
確かに、親子と言われれば親子と分かる。しかし、シリル・パニョルに比べ、奥深くに眠る毒々しさのようなものもない、清廉潔白な印象が強いのか、雰囲気が随分異なる気がする。
「ああ、フィリップ」
「先ほど、ヴォルテッラ氏がすごい形相でどこかへ行かれてしまいましたが、ひょっとして父上が——」
父親に話しながら、見覚えのないだろう顔を順に追っていたが、最後"オリヴィア"に視線を落とすと、石のように固まった。
「今日は何もしていないさ。こちらの方々が返り討ちにしてくださったのでね……フィリップ?」
彼は、父親に声をかけられて我に返ったのか、慌てたように"オリヴィア"から視線を逸らしたが、泳いでいる目がちらちらと何度も彼女に落ちているのが丸見えだった。
「ああ……なるほどな」
面白そうにシリル・パニョルは笑ったが、何がいいのか。自分の息子の単純さに、少しは危機感を覚えるべきではないのか。
「突然、申し訳ございません。こちらは私の息子のフィリップです。学生をしていますが、今年の秋から私と同じ本庁勤めになるのですよ」
フィリップは会釈をしたが、あの低俗男と同じように、いや違う意味で顔が色づいていく。
「名残惜しいですが、そろそろ開演ですね。我々も自席へ戻りますので」
シリル・パニョルは、"オリヴィア"に向かって深くお辞儀をすると、"ジュリアン"そして俺に小さく会釈をした。そして、固まっている息子のフィリップの肩を叩くと、歩くよう促した。
「あ、そうだ」
彼は、向きを変えかけた体を元に戻し、こちらへ近づくと"オリヴィア"の前に少し屈む。
「倅も、この催しに参加するのは初めてなのですよ。よろしければ、後ほど、話し相手になっていただけますと大変喜ぶかと。お考えいただけますと幸いです」
小さく囁くと、彼は再びお辞儀をし、フィリップの肩を押して遠ざかっていった。




