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独りよがり

日が落ちると、テントの群れは別の顔になる。

 昼間は鮮やかな赤い旗が、闇に溶けて黒くなったように見えるのだ。

 

 テントの陰から、客が入っていくのをいつものように眺める。

 油灯を反射する革の外套。派手な装飾の杖。離れているはずなのに、ここまで頭が痛くなるほど香る香水。それに交じって流れる葉巻の煙。手や首元から、ギラギラと光を弾く宝石。


 もう見慣れた景色だが、今日は気分が高揚している。こいつらに、団長たちに一矢報いることができるのだから。

 たかが、駒がいなくなったところで大して悔しがらないかもしれない。でも、特別公演の目玉がごっそりいなくなるのは、痛手になるはずだ。


 車が一台止まり、上等な黒服を着たあいつが飛び出てくる。扉を開けると手を差し出し、白髪——ではなく、茶色の髪に化けたあいつが、澄ました顔で出てきて、どくんと心臓が打った。


(仲が良い……とは違うけど。昨日のあの感じは何だったんだ? 普段はあんなにギスギスしてるのか?)


 二人の様子を思い出し、疑問が湧く。金持ちと使用人という演技をやめたから、そう見えるのかと思ったが、それにしてもあんなに、シンが刺々しくルナに当たるとは正直予想外だった。


 だが今、注目を浴びながら歩く二人は、別にそんな感じもしない。後ろからついてくるグレンも、柔和な笑みで二人を見ている。


「エリゾ」


 背後から声をかけられる。


「あの、金勘定してるおっさんが、呼んでるよ」


 不安げな顔で、ジーノは言った。


「……分かった、行く」

「エリゾ、あのさ……」

「ごめん、後にしてくれ。先、あいつのところ行ってくるから」


 まだ何かを言おうとしていたが、脇を通り抜ける。

 悪いとは思うが、今日を成し遂げることだけで、頭がいっぱいだから。

 

 テント幕を持ち上げると、やっぱり、机に向かう眼鏡男が見えた。

 

「代わりは見つかったのか?」

 

 開口一番に聞くことがそれ、とは。想像通りすぎて笑いさえこみ上げてくる。


「まあ、お前のことだから、何にもできてないんだろう。まったく……お蔭で、ライオン一頭を融通してもらう羽目になった。今日は金額のかかった演目になったよ」


 随分な被害者面しているが、どういう思考回路であればそうなるのか。汚いやり方で集めた金のくせに。

 

「この分をどう賄えれば良いものか……まあ、昼公演の客寄せのお前なら、簡単に損失を埋められるのかもしれないが? 一番手っ取り早いのは、夜公演に誰かを出すことだな」


 こっちの神経を逆撫ですることが特技とは。本当につまらない趣味をしている。

 だが今日は、イライラはするがいつもとは違うのだ。

 

「嫌なら、別の誰かを指名しろ。こちらとしても、お前が昼公演に出られなくなるのは、痛手だから——」

 

 懐から出した封筒を、帳面の上に叩きつけてやった。

 眼鏡男は、封筒をとらえると大きく目を見開いた。

 

「……これは?」

「一四三ヴァロル。ファビオ・リッチから回収した分」


 眼鏡の奥の目が、ゆっくりとこちらへ向いた。

 疑ぐり深いその目に、乾いた笑いが飛び出た。


「疑うなら、数えてみれば?」

 

 封筒の口を指で広げ、中を覗く。だが、取り出しはしない。

 紙幣の束を確かめてなお、指は封筒の縁を摘まんだままだった。

 

「……どうやって用意した?」

「奴の背後にいる、〈十字谷の会〉から回収したが? 何か不満でも?」

 

 声が、自分でも驚くほど低く出た。


「十分足りているだろう。文句ないよな?」

「怪しい金は受け取らない」

「はっ……あんたがそれ言える立場かよ。代わりか金を回収しろと言ってたくせに、持ってきたら受け取らない? どんだけ我儘なんだよ」


 机に手のひらを強く叩きつける。

 帳面の上の羽ペンが転がって、インクが滲んだ。どうせ金は自分のものでないし、書類もろくなものがない。汚れてしまえばいい。


「そもそも。あんたが、背後に〈十字谷の会〉がいることに気づいていれば、起こらなかった面倒事だろ? 散々見下してきた相手に、尻ぬぐいしてもらったんだ。少しは感謝しろよな」

 

 言うだけ言って、幕を跳ね上げた。

 背後で何か声がした気がしたが、足を止めず進む。もう言いなりになるのは止めるんだ。




 腕が、いきなり後ろへと引っ張られる。

 

「エリゾ」

 

 ガイアが、俺の手首を掴んでいる。その後ろから、ジーノが駆けてきた。

 

「悪い、後にしてくれ」

「後って、いつ」

「終わってからだ」

「何が終わってから?」

「終わったら話す。だからこれ、離せよ」

「話したら離すよ。だから早く、話しなさいよ」


 ガイアは、鼻先を小さく跳ね上げ、睨む。こうなると、かなり面倒くさい。


「手が燃えてもいいのか?」

「へえ。仲間を燃やすつもり? へえ……そうなんだ。じゃあ……」


 次の瞬間、ガイアは空いている方の手で、ジーノの首に腕を回した。ジーノの口から、喉が潰れたような声が出る。


「おいっ」

「私がジーノの首を絞め上げるのと、エリゾが私を燃やすのと、どっちが早いかな?」


 下唇をきゅっと真横に結び、不敵に笑う。


「頭イッたのか?」

「ぐへっ……ちょ、ガイア。これ、シャレにならないって」


 限界らしいジーノが、締め上げるガイアの腕を必死に叩く。


「死んじゃう、天に召されちゃう! この、くそっ、離せよ、ゴリラおんっ……ぐえええっ!」


(余計なこと言いやがって……)


 墓穴を掘ったジーノの息が、これでは尽きてしまう。


「とりあえず、離せ。ジーノを殺す気か?」

「加減はしてるに決まってるでしょ。今はまだ、ね」

 

 加減しているという割に、ジーノが随分と苦しそうに見える。

 

「ねえ、そんなに長く時間とらせるつもりはないって。それとも、もう私たちとは話もしたくないわけ?」

「……は?」

「ここ最近のエリゾ、ずっと変だよ。もともと愛想よくなかったけど、私たちのこと全然見ないし、話も聞いてない。マルコが、生きてるかもどこにいるのかも分からないのに、全然気にしてないし……」


 珍しく、ガイアがしおらしい。俺の手を掴む手が、次第に力が入っていく。


「話せないことも、あるとは思うけど。私たちを信じてほしい。エリゾがいつの間にか、どこかへいなくなるんじゃないかって、皆心配しているんだよ」

「心配……?」


 予想外の言葉が、頭に響く。

 ガイアたちは、守るべき存在であって、俺は頼られるべき存在でなければいけなくて。

 なのに、守るべき存在から心配をされている、とは。


「当たり前じゃん。エリゾは私たちの兄的な存在だけど。仲間だから。いつもと様子が違えば、心配になるのは当然でしょ?」

「……そうか」

「そうか、じゃなくてさ。だから、話してよ」

「……分かったよ」

「ほんと? 嘘じゃない?」

「そんな、しょうもない嘘つかねえよ。だから、ジーノを解放してやれよ」


 あっ、と声を漏らし、ガイアはようやく、ジーノから腕を解いた。

 大きくむせながら、ジーノは呼吸を整える。

 

「あのさ、ガイア……ほんとに魂になるところだったよ?」

「ごめんって。でも、そんな大げさなほど、絞めてないってば」

「いやいや。あっ、て言ったの、知ってるから。さっき」


 ガイアは肩をすくめ、とぼけた顔をする。


「話すなら、とっとと話すけど。そうじゃないなら、もう行っていいか?」


 そう言ってみたが、二人揃ってのダメ、という返事をもらう。


「白状してもらう会場があるんだから。ほら、黙ってついてくる!」


 掴まれた腕をそのまま強く引かれ、ぐんぐんと進む。

 倉庫テントの方向に向かっているのが分かったので、その会場の場所は見当がつく。


 

 道具を置いている倉庫代わりのテントに入ると、他の連中も揃っていた。全員が、こちらを不安げに見ている。

 なんだか、毎日顔を合わせてるはずだったが、久しぶりに見たような気がする。

 ガイアが言うように、最近、まともにこいつらを見ていなかったのかもしれない。


「……悪かった。一人で突っ走りすぎていたことは認める」

「分かってくれたなら、話して。何を考えているの?」


 ガイアは、手近にある木箱を指しながら言う。座れ、という指示に素直に従う。

 今か今かと、俺が口を開くのを待つ、こいつらの目の圧が強くて居心地が悪く、息を吐き出す。


「……アニタたち、発作を起こす奴らをここから出す」

 

 しんと静まり返る。遠くからの客たちの声が、大きく聞こえる。


「出す……? 連れ出すってこと?」


 ガイアが、呆けたように聞き返した。

 

「外部の奴らと、理由あって協力しているんだ。今日の特別公演中に、連れ出す」

「外の奴らって、誰?」

「なんかの組織の人間。名前しかないけど、俺たちと同胞だ」


 ガイアは、乾いた笑い声をあげると、首を横に振った。


「いやいやいや。なんかの組織って、冗談でしょ? 嘘つくなら、もうちょっとマシな設定考えてよ。慎重すぎるエリゾが、そんなのやるわけないじゃん」

「本気だぞ、俺は」

「……はあ? なら、頭おかしいよ。なんかの組織の人間って。そんな誰かも知らないで……」

「そいつらのことをよく知らないのは、そいつらは反世界政府の組織の奴らだからだ。知らないのが正解なんだよ。俺たちにとっても」

「いやいやいや。そんな奴と協力するなんて、危ないに決まってるじゃん! 何考えてるの?」

「じゃあ、世界政府にヘコヘコしてるこの一座で、アニタ達を守り続けるのか?」


 ガイアの口が、半分開いたまま止まった。

 言い返す言葉を探している顔だった。だが、見つからなかったのだろう。

 

「俺が、マルコのことを心配してない、ってのは、正解だ。マルコの居場所も何もかも知っていたから。あいつは今、そいつらの拠点にいるんだ。治療で……」

「治療? どこか怪我したの?」


 ジーノは、「ああ」と、納得したような反応をした。

 

「あの日、取り立てが失敗したって日に、なんかあったんだ」

「相手が、ギャングの後ろ盾持っていた奴だったせいで、肩を撃たれたんだ。その時に、例の組織の奴らに助けられて、そのまま。ややこしくなるから、消息不明ってことで通していたんだ。どうせ戻ってきても、公演に出されるだけだし」


 何度か瞬きをし、ジーノは頷いた。

「そっか。じゃあ……大丈夫なんだね。マルコは。エリゾが心配してないってことは」

「ああ、昨日も会ってきたよ。もう普通に歩けるくらいにはなった」


 ジーノは何も言わなかったが、笑って頷いた。

 他の連中からも、息が漏れる。

 黙っていたことを、間違いだったとは思わない。

 ただ、こいつらがこんな顔をするのを、長く待たせていたのかと思うと、喉の奥が詰まった。


「で、アニタたちを連れ出して、どこへ行くの」


 ガイアは、眉を寄せて言った。

 

「例の組織のやつらの拠点。でも、具体的な場所は分からない」

「分からないの……? ねえ、その人たち、信用できるの」

「さあ」


 ガイアは、嘘だろ、とも言わんげに天井を仰いで大きく息を吐いた。

 

「でも、カルーセル座の奴らよりはマシだ。言い方とか態度とか気に食わねえけど、正直に……いや、そうでもないけど。でも、少なくとも、俺たちを見世物にしようとすることはない」


 うまく言える気がしない。それでも、伝えておかなければいけない気がした。

  

「同じ能力者だから、なんなのか知らないけど。人間として扱ってくれているし、俺たちよりも、俺たちのことを理解している。俺たちの知ってることだけじゃ、このまま、あいつらを守れる保証はない」


 ジーノは口を尖らせ、ふーん、と気のない相槌を打った。

 

「エリゾが珍しく、人を信じていることは分かったよ」

「いや、信じているわけでは……」

「でもさ、エリゾらしくないよ」

 

 こちらを見る目が、いつになく真っ直ぐだ。きゅっと胸元に、知らずのうちに緊張が走る。

 

「いつもそういう、信頼とか、根拠がないものを一番疑うエリゾが、今こうなってるの。俺にはすごく変に見える。利用されてるんじゃないの?」


 いつも飄々としているこいつが、こんな顔をしているのは珍しい。そして、言っていることも、すべて正しかった。


「確かにさ、俺たちを"曲馬"として扱わないのかもしれない。でも、何か目的があって近づいてきたんじゃないの?」

 

 息を吸って、吐いた。

 

「そうだな」

 

 ジーノの目が、わずかに見開かれる。

 

「俺は、奴らに利用されてる。でも、利用してるのはこっちも同じだ。お互いそうだって分かった上なんだ」

「なら、なおさら——」

「じゃあ、どうすればいい。ジーノ」

 

 声が、思ったより大きく出た。

 

「あいつらを、あのまま死ぬまで檻に入れておくのか? ずっと、発作が起こる度に、俺たちで鎮め続けるのか? 段々、それが難しくなっているのに、守り続けられるのか? もう、分かってるだろ。限界が近づいてるって」

 

 誰も、口を開かない。

 客の騒ぐ声が、遠く聞こえてくる。

 

「俺はあいつらを、あの檻の中で、さいごを迎えさせたくない」

  

 しばらくして、ガイアが小さく息を吐いた。

 

「……分かった」

 

 顔を上げると、彼女はいつもの平坦な顔をしていた。

 

「エリゾが決めたことなら、もう言わない。でも、邪魔されたくないなら、条件を飲んで」

「条件?」  

「私たちにも、その計画に協力させること。それと、アニタたちのところへ、私を一緒に行かせること」


「は?」と思わず間抜けな声が出た。

 

「もし、アニタたちが連れて行かれた先が、エリゾの見立てを外していたら、助けられるようにしないと。それに、連れ出すって、どんな作戦なのかは知らないけど、絶対に簡単じゃないでしょ?」


 正論である。だが、やっぱり巻き込みたくない。

 そう思いつつも、巻き込みたくはないが、いてくれたらとも思う。

 しかし、そもそも、あちらがそれを受け入れるかどうかも分からない。

 言葉が、どれも喉の手前で止まる。



  

「別にいいよ。一緒に来てくれて」

 

 背後から、ここには居ないはずの人間の声が聞こえた。

 振り向くと、暗がりに————


 

——笑っている、首から上の頭が、浮いていた。

 

 あの、金色の髪と、笑っている目、ギャヴィンという男の顔が。


  

 胃のあたりが、ぞわりと一気に寒気が走った。


(ははっ、幽霊……?)


 今まで喋っていたのは、幽霊だったのか? じゃあ、俺はいったい、今まで何をしていたのか。

 

「——っ」

 

 悲鳴が上がる寸前で、ガイアとジーノが同時に動いた。近くにいた子の口を塞ぎ、床に引き倒すようにして押さえ込む。

 しかし、二人ともひどく怯えきった顔をしている。

 

「あ、ごめんごめん」

 

 顔が、申し訳なさそうに眉を下げた。

 くるりと顔が回ると、その下から首から下が突然現れる。

 

「怖がらせたね。でも、この反応は嬉しいなあ。最近はもう、皆びっくりしてくれなくてねー」

 

 スラックスの裾を軽やかに払うと、ギャヴィンは爽やかに微笑んだ。

 

「やあ、初めまして。僕は、エリゾのいう例の外部組織の幹部、ギャヴィンだ。よろしく。若き能力者たち」



 ―――

(機密百科事典より引用)


〈ディスペルスス〉

保有者∶ギャヴィン(本名 ギャヴィン・コノリー)

分類∶Xeno型

等級∶β ※環境によってはαに相当

概要∶自身の存在を分割し、実体から離れた位置へ

配置することが可能。分割された断片は、観測者に

対し保有者の一部として認知される。視覚、聴覚な

どの機能を保持し、その知覚は本体へ共有される。

 断片は実体を有しないため、物理的干渉は不可能

であり、また生体反応を伴わない。

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