堅忍
——カチッ、カチッ、カチッ
空虚な、装置音だけが響いた。
「こいつに、弾が入っていないこと、気づいただろ」
ボスは、空の拳銃をこめかみから離す。その問いにルナはゆっくりと、まばたきを繰り返した。
「さあ……恐らく、あなたが銃口を突きつけた時、かと」
「それだけか? 手に持っていないのに、気づいたのか?」
「……なぜ分かったかと言われても、明確なことは何も…………勘といえば勘。それを砕けば、推測なのかもしれない」
呟くようなその答えに、ボスは理解したのか、はたまた理解する振りをしたのか、小さく頷いた。
「ブルーノの義弟の利息の免除。それから、お前たちと今後一切関わらないこと。この二つで、交換条受け入れよう」
ボスはくるりと、元の椅子に収まった。
「えっ……なんて?」
ブルーノが、飲み込めないのか、随分間抜けな声を出した。
「ブルーノ。お前の日頃の献身を評価し、義弟の返済金は俺が負担しよう。そこのお前、奥からケースを持ってこい」
指示された一人が、低く返事をすると、奥へ足を進める。しかし、ブルーノがその男の腕を掴み、止めさせた。
「意味が、分かんねえ……」
目を見開き、血走った目で、ブルーノはボスを見た。
「なんで、こいつらの要求を受け入れるんですか? 死んだ奴らの仇は? あんた、俺たちは皆、大事な子どもだってっ――」
「ブルーノ」
諭すように名を呼ぶと、彼は静かに微笑んだ。
「まだ分からないのか? この要求は、こいつらなりの慈悲なんだよ」
「どこがっ」
「こいつらを、俺たちの尺度で測っちゃいかん。俺は、こいつらの正体も何も知らないが、関わったら底なし沼に沈んだまま、死に絶えることだけは分かる」
首を振って反論しようと口を開いたブルーノを、ボスは手を挙げて制した。
「目を逸らすな。以前の倉庫街での一件。そして今、この娘っ子がやってみせた芸当。目の前にいるのは、人間の形をした別物だ。こいつらは、俺達を抹消しようと思えば、簡単にできるだけの力があるんだ」
「でもっ」
「なあ……頼むよ、ブルーノ」
先までの張りのある声ではなく、懇願するかのようなその声音に、ブルーノは虚を突かれたような顔をした。
「俺はもう、子どもたちを星にさせたくないんだ」
*
外に出ると、日が傾き始めていた。
港の方から、汽笛が聞こえる。潮の匂いに混じって、どこかの家の夕飯の匂いがする。
「これで一つ、片付いたね」
茶封筒に入った包みを、軽く投げ上げながら、グレンは言った。
「ルナ、悪かったね。難しい役回りをさせて」
彼女は、首を横に振りながら、視線をすっとそらした。
「これで、俺たちがやるべきことは、明日の特別公演を除けば全て、終わりましたね」
「そうだね、シン。この街とも、お別れになるね」
グレンは、寂しげに笑いながら、住宅街を行き交う、人々を眩しげに見つめる。
「二人とも、旧レジーナはどうだった?」
ルナに視線を落とすも、彼女はキャスケットを深くかぶり、足を進めるだけだった。
「……想像していたより、活気がある街だと思いました」
「おや? もう少し長閑なイメージを持っていたのかい?」
「いいえ、その……なんというか」
頭の中で、この感覚を表現しようと、語彙力を振り絞る。
「敗戦国として、文化も何もかも、独自性を奪われて。建物とかの、外見だけ残っているイメージがあったんです。旧エンディリアは、世界政府が掲げる一体化計画の反対派筆頭の国だったからこそ、政治も言語も、徹底的に塗り替えられたのだと、聞いていたので」
「なるほどね……でも、違ったと?」
「はい……なんというか、確かに独自性は奪われたのでしょうが、残っている部分はありますし、その中でも誇りを持って、街の人は生きているのかなと思いました」
自分なりの言葉を捻り出したつもりだが、グレンは前を向いたまま何も答えない。
「すみません……何も知らない人間が、分かったようなことを言って」
「いや……君のような感想を持った人は、初めてだったから。少し、びっくりしてね」
声の調子は変わっていない。気分を害したわけではないと思うが、それでも居心地悪い。
「そうだね……たくさん奪われたけど。エンディリア人であることまで奪うことは、世界政府もできなかった。だから、王族がいなくなっても、御用達の紅茶屋|La Casa del Theaは続いているし、街も原型は残っている。決して、奪われたことを忘れるわけじゃないけれど、でも、前を向いて生きて————」
言葉が途切れると同時に、グレンの足はぴたりと止まった。
「グレン……?」
呼びかけたが、無反応にひたすら前を見つめている。
しかし、彼の視線の先にあるのは、大きな花壇。家一軒分ほどの広さを持つ大きな花壇。しかし、足を止めて見入るほど、特別なものには見えない。
「グレン、グレン……?」
彼は、はっとしたかのように小さく声を漏らした。
「……ごめん。行こうか」
花壇から目を背けるかのように、グレンは横を足早に通り過ぎた。
何を、考えたのだろうか。
確かに、咲いている花は美しい。住宅街の中で突然現れるそれは、目を引くものがあるかもしれない。でも、ただの花壇だ。
親子連れが、花壇の花を愛でている姿に、何かを思い出したのだろうか。
ルナはじっと、その後ろ姿を見つめる。
その青灰色の目を見ていると、嫌な考えが浮かんでくる。考えたくないことも、否応なしに襲ってくる。
(どうして……)
頭のなかで膨らんでいく動揺が、溢れ出さないよう、身体と心を離そうと詰めていた息を吐き出す。
「とっとと行くぞ」
グレンと間の空いた距離を埋めるため、彼女を急かしながら足を進めた。




