後始末
港湾地区の外れ。
その一角に立つ古びた建物。水産加工品を扱う卸売会社の看板を掲げているが、荷を運び入れている様子はない。
「二階に六人。一階に十一人。地下に三人」
ルナは淡々と口にした。
久方ぶりの昼の外出——というのは不正確だが、カルーセル座の昼公演以外では、街に来た日以来となる。
目立たないよう、彼女の白い髪はウィッグで隠された上に、その髪を小さくまとめ、キャスケットに仕舞われている。
少年に見えるように、と用意された格好というが、正直そうとも見えない。
「よし。じゃあ、行こうか」
グレンは、真っ直ぐ扉へと向かうと、それを叩く。
扉の向こうに人がいる気配はする。だが、しんと静まりかえったまま返事はない。
「やあ、久しぶりだね。〈十字谷の会〉の皆さん。先日のことで、色々と思うところがあるだろうと思って、こちらから会いに来たんだ。どうだろうか? 会って話してみるのもいいんじゃないかい?」
扉の内側で低く言葉を交わす声がした。
マルコ達を保護した日以来の再会となる。
なぜこちらから、ギャングのアジトに足を向けたかといえば、後片付けのためだ。
ファビオ・リッチから、せめて借入金だけでも回収しなければ、エリゾの立場が悪くなる。加えて、貸金屋の正体が知られていては、もしカルーセル座に残る道を選べば、お礼参りにやってくる可能性がある。
特別公演の招待状を手に入れ、残すは覚醒失敗者の保護任務のみとなった今。後始末を済ませて、すぐ引き上げられるように、やるべきことだ。
話し声が途切れると、錠が外れる音が聞こえた。
扉がゆっくりと開き始めたかと思えば、急に勢いをつけて大きく開いた。銃口がこちらに向けられているが、一つだけ。
「わざわざ来てくれるとは。ご親切なことで」
ブルーノ・カターニア——〈十字谷の会〉の幹部は、鼻で笑うような声を出すと、銃を下ろした。もっと数の多い銃、それも発砲してくる可能性も考えていた。予想より静かな出迎えが、意外に思う。
しかし、ブルーノの口の端は持ち上がっているが、あの晩の粘つくような愉悦はどこにもなかった。目だけが、こちらの手元と足元を何度も往復している。
先の一件に対して、随分と恨みつらみがあることが、よく分かった。
「ボスが会いたいってさ。入れよ」
ブルーノは吐き捨てるように言うと、中へと進んでいく。
「そうかい。では、お邪魔するよ」
グレンはその雰囲気を物ともせず、彼の後ろをついていく。
他の構成員は、脇にこそはけたが、殺意の籠もった目で睨みつけてくる。
気にしていても仕方がない。グレンの後ろに続く。
通された部屋は、思っていたより物が少なかった。
窓を背にした長椅子に、白髪混じりの細身の男が腰を下ろしている。年の頃は五十過ぎか。この部屋にいる誰よりも痩せているのに、誰よりも場所を取っているように見えた。
「ん……? 白髪の娘っ子がいると言っていなかったか」
「多分、こいつです。髪を隠してやがる」
ボスに当たるだろうその男に、ブルーノは言った。
斜め後ろに立つ彼女を見ると、ちょうど、キャスケットを白い手をかけたところだった。ウィッグまであっさりと外し、白い髪が肩に落ちる。
この場にいる奴らには、既に知られていることなので、隠している必要もない。それに、ブルーノやボスの口ぶりからして、ルナを特に脅威として見ているようだ。
「……うちの子どもたちを瞬殺した奴らには、到底見えないんだが。その娘っ子然り、若造に然り、壮年のその男然り」
ルナの顔を凝視しながら、ボスは片眉を上げて言う。
「いや、ボス。本当に、確かにこいつらが——」
「別にお前たちを疑ってはいないぞ。ただ、本当にそうは見えないと思っただけだ」
ボスはため息を一つ吐くと、向かいのソファを促すように手を向けた。
腰を下ろすと同時に、周りが囲むように立った。
「それで、どんな用でここに?」
手を組んだその指先が、落ち着かないのか小刻みに動かしている。声音は低く、貫録があるものの、ボスはどこか所在なさげな様子だ。
「ファビオ・リッチの借金の回収と、今後について相談しに。僕らの情報通が、彼は自宅に帰らず、ここにいると言っているのでね」
「そうか……残念。奴はここにはいないよ」
「いいや。ここにいるね」
グレンは、部屋の奥の扉へちらりと目をやった。
「なんなら、そこでそば耳立ててるのかな? 情報通の目を侮らないでほしいな」
舌打ちが響いた。
ブルーノが乱暴に扉を開けると、転がるように男が一人出てくる。
ファビオ・リッチ。青い顔をして、口元が切れていた。
傷はそこ以外見当たらないので、誰かに一発だけ殴られたのだろう。義兄の立場のブルーノがやったのだろうか。
不安げに口元の血を拭う。薬指にはめられた指輪と、手首に巻かれた時計が、控えめに光った。
「やあ、ファビオ・リッチ。きちんと会うのはこれが初めてだね」
ブルーノは、彼の襟首を掴むと乱暴に立たせた。
「先日、あの子たちが要求したのは一七〇ヴァロルだったね。ただ、行き違いがあったようでね。本来かけられる利子より、多い割合がかけられていた。随分、焦らせてしまったね。悪かった」
グレンのひどく穏やかな声に乗せられた言葉に、実感が沸かないのか。ファビオ・リッチの目は、ゆっくりと見開かれていく。
このまま突き通せば、俺たちがカルーセル座の関係者だと誤解してくれることだろう。そうすれば、背後に俺達の存在をちらつかせ、抑止力として機能してくれるはずだ。
「こちらの不手際があったわけだから、今回に関しては、君の借入金額を返済してくれれば、それで手打ちにしてあげよう」
グレンは視線をボスとブルーノへ移すと、にこやか微笑んでみせた。
建前上、「どちらでも構わない」と言ってはきたが、このままエリゾ達がカルーセル座に留まるのはリスクとデメリットしかない。全員〈アポクリファ〉が引き取るのが一番だが、研究所とは状況が違うわけで。
もし、カルーセル座に残りたいという子どもがいるなら、そのままいられるような環境を作る。そのために、この後始末が必要なのだ。
「確か、二十七ヴァロルは返してくれていたよね。つまり、借入金の残額九十三ヴァロルの返済に収めることを条件に、今後一切、我々に関わらない、というのはどうだろうか?」
乾いた音が響くと同時に、椅子の脚が転がる。ブルーノが、蹴り飛ばしたその足を苛立ちげに踏みしめ、視線だけで殺さんとする勢いで、こちらを睨む。
「……調子いいこと言ってんじゃねえよ。お前らが殺した仲間の分、たかが利息分なくした程度で埋まると思ってるのか」
「嫌だなあ。まだ若いうちの子を、君たちの血の気の多いお仲間が手を下そうとするから、仕方なくだよ。それはお互い様では?」
グレンは、極めて真っ直ぐな声音で言ったが、捉えようによっては煽りとも聞こえる色だった。
「はあ? どこが。俺達の側に死人が出ているの、分かって言ってるのか? だとしたら、相当なイカれ野郎だな」
「イカれ野郎? なぜ?」
ブルーノは、グレンの態度が予想外だったのか、一瞬呆けたような顔をした。
「死人がそちらに出たのは結果の話。君たちは、ただ取り立ての仕事をしていた若者相手に発砲し、かなり本気で殺そうとしたくせに。そこは許されるのかい? 君たちがギャングだから?」
言葉を切って、グレンは微笑んだ。
「命が軽い世界にいるくせに、身内は別なのか。そうか。君たちは随分、甘い世界に住んでいるんだね」
ブルーノは、据わった目でこちらを見つめている。しかし、ぶらりと垂れていた手は、腰からさっと銃を抜いた。
「おや、やるのかい? そうかい。なら……前と同じことが起こるかもしれないね」
銃口がわずかに震え始めた。ブルーノの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「ブルーノ、下ろせ」
「……なに言ってんですか? ボス」
「下ろせ」
舌打ちとともに、銃口は下ろされた。
ボスは一つ大きく息を吐くと、ゆっくりと腰を上げる。
「死人が出たのは結果に過ぎない、と言ったな」
一歩一歩、近づいてくる度に、ブルーノとは異なる圧のようなものを感じた。ギャングを束ねる長ともなれば、滲み出るものも変わってくるのだろう。
「ええ。そうですね」
グレンはにこやかなまま、視線をボスから逸らすことはない。
「なら、ここでお前たちが死んでも、それはただの結果ということだな」
懐に手を入れると、素早くルナの額に、銃口が押し当てられた。
当然、ルナはまばたき一つしなかった。
グレンは小さく笑い、言う。
「そうだね。でも、それはあなたたちにも同じことが言えるということだよ」
「……そうか」
親指が、ハンマーにかかる。カチリ、と乾いた音がした。
「シン。当然、分かっていると思うけど……」
グレンのささやき声が、耳に入る。やけに静かなため、妙に大きく聞こえた。
「僕たちは、動かないほうが丸く収まるからね」
「……言われずとも、分かっています」
銃口を向けられているのは、良い気はしない。
けれど、相手は所詮、ギャングの長。つまり、俺たちにとっては——
——ただの、一般人なのだ。
引き金に指がかかった瞬間、その手首が捻り上げられ、銃が跳ねた。その黒く艶のある物体が、宙に飛び上がる。
ルナはくるりと後ろを向きながら軽やかに立ち上がり、すぐ背後にいた男から二挺目を奪い取り、その銃口で額を叩いて膝をつかせる。
そこまでして、ようやくギャングたちが動き出した。
慌てて銃口をこちらに構えようとしたところで、ルナは一番離れた、隅にいるその男の背後の壁を撃ち抜く。弾は、ギャングたちの眼前を通り抜け、壁へとめり込んだ。
宙に浮かび上がった銃が、床へと転がる前に白い手がそれを掬うように拾い上げ、ボスの背後に回り込み、首元を軽く腕で固定し、こめかみに銃口を触れさせた。
「くそっ、このアマっ……!」
ブルーノが銃を構え直したが、顔に焦りの色を浮かべた。奴の位置からは、ボスが完全に盾になっている。狙える角度が、どこにもないと悟ったのだろう。
「動くなっ!」
鋭く叫んだボスの声に、ギャングはぴたりと動きを止めた。
「お前たち……得物を下ろせ」
「なに言ってっ」
「いいから、下ろせっ!」
ギャングは、その覇気に圧されるようにして、おずおずと銃を下ろした。
訓練を受けたわけでもなく、武器に頼って殺し合うだけのギャング。能力者であることに加え、訓練で叩き込まれ、死線を掻い潜ってきたこちらとでは、そもそも土俵が違うのだ。
「……いつから気がついていた?」
ボスの静かな声が部屋に響く。
ルナはあっさりと拘束を緩めると、銃を、まるで借り物を返すような手つきで差し出した。
「……何に、ですか」
ボスは苛立ちげに、銃口を自身のこめかみに押し当てた。
ブルーノらの顔が引きつり、慌てて止めようと駆け寄る前に、彼は―――引き金を引いた。




