忠義
三度目の昼公演は、寸分違わず同じように運んでいる。順番も、間合いも、客の湧く場所も同じ。初めは少し楽しんでいた演出も、もう新鮮味も何もない。
(……よくもまあ、毎日やってられるな)
移動しているとはいえ、こんなに変わり映えしない日常を延々と繰り返すのは、気が狂ってしまうことだろう。
「しかし、不思議だね……」
そう呟いたグレンに視線をやると、反応されるとは思ってなかったのか、気まずそうに視線を泳がせた。
「いや……アシュリーの調査結果の話だよ」
客席の歓声に紛れる程度の大きさに、グレンは声を落として言った。
今朝の出掛ける前、ジャスティカーズとの関連を調査して戻ってきた彼女の報告内容を反芻する。
「組織とは動いておらず、〈白焔〉の行動は恐らく単独によるもの、ということについてですか」
グレンは、カップに手を伸ばしながら頷いた。
帳簿や客のリストを再度、潜入して調べあげた彼女によれば、確かに、常連役人の一人が〈白焔〉と思しき人物を連れて公演に来たことが確認できたという。
「気持ち悪いほど几帳面に書き残しているから、氏名不明でも、外見特徴から確信できた」と言っていた。
ついでに、裏帳簿によると、なぜかその役人への配当金額が、その日以降一桁多くなっていたとも。
「ただ、サーカスという一般界の組織に、把握していないならともかく、情報を掴んでおきながら能力者を置いていることを許しているというのも、そもそもおかしな話なんだ」
カップの縁を、指がゆっくりとなぞる。
そこまで人となりは知らないが、疑問を抱えたままにしておけない性質だというのは分かる。
何度も、角度を変えて縁を撫でている。
「役人と、モランディ氏との癒着によるものとすれば、あまり考えにくくはないと思いますが」
「……そこは確かにね。ただ、問題はジャスティカーズ側がそれを知りつつ黙認していることなんだ」
「そこの癒着があると考えれば、不自然でないのでは?」
「他の組織ならまだ理解はできる。でも、ジャスティカーズについてはあり得ないんだよ」
カップをようやく置くと、今度は頬杖をつき、そのまま指を小さく動かし始める。
「ジャスティカーズのトップは、能力者の搾取をひどく毛嫌いしているからね……サーカスの現状を知れば、街一つ潰しにかかるほど、許さないはずなんだ」
「ジャスティカーズのトップというのは……〈ヴォイド〉のことですか?」
その名前を口にしただけで、ぞわりと背筋に悪寒が走った。
「……そんな、良心を持ち合わせている人物だとは、聞く限りでは思えませんが」
「うーん……でも、至極、真面目な人で、能力者の扱いに対して憤っていたんだ」
「……ジャスティカーズにいた頃の話ですか? 〈ヴォイド〉に会ったことあるんですね」
グレンは、静かに頷き肯定した。
「うん……彼はエリート街道まっしぐらだったから、接点はそんなになかったけどね」
(……本当に、ジャスティカーズにいた人なんだな)
この穏やかな人格のお蔭で忘れがちだが、ここよりも修羅の道を生きてきた人なのだ。
「ともかく、僕が知る〈ヴォイド〉は、このサーカスの事実を知れば、間違いなく関わった役人たちを根絶やしにすると思うんだ」
眉を顰めながら、彼は軽く首をひねった。
「なのに、その右腕の〈白焔〉が来て一年半も経過するのに、その様子はない……」
「なら、〈白焔〉の単独行動という線は、やはりアシュリーの言う通り可能性が高いのでは?」
考えると同時に、口から言葉がついて出る。
「例の役人の配当が高くなったのは、奴が口止めで金銭を要求したことから、モランディ氏に融通を利かせてもらっている、とか」
頭の中で、パズルを並び直していく。
「口止め料を貰い、懐を温めておく一方で、覚醒失敗者の暴走などの事件が起こらないよう、殺害を目論んだ。金づるが死なないように……? そうなれば、エリゾが言っていた、ヘクターという男の行動は、ある程度辻褄が合う気がしますが」
「そうだね、ただ……」
グレンはやはり眉を顰めたまま、背を後ろにもたれた。
「ヘクター・リンドホルムという男が、〈ヴォイド〉に黙って動くものかな。あの厳しい男の側で右腕として居続けている忠義者の彼が、そんな不義をするのだろうか?」
「……確かに。たとえ、強欲な男だったとしても、リスクが色々と高いというのであれば、腑に落ちませんが」
グレンの言いたいことは分かる。しかし、状況的には単独行動が濃厚という考えに、異議を唱える証拠はないと思う。
(あいつは……どう思っているんだろう)
グレンよりも、最近のジャスティカーズを知っているし、内情もより詳しいだろう。
しかし、公演に目を落としたまま、微動だにしていない。
(……気の所為か?)
よく見ると、顔色が悪い気がする。
いや、照明のせいもある気がするが……そもそも、元から血の気がない顔色をしているので、何とも言えないが。
そっと、ルナの側に腰を落とす。膝の上に鎮座する、扇に添える指が青白い。
気になるのは確かだが、これは、芝居の一つだ。
青灰色の目が、すっとこちらに向いた。あまり、気配を悟られたくはなかったが、ルナ相手にそれはできない。
やはり、気の所為と言われればそうとも思うが、普段の無表情とは違うような気がした。
「……帰りましょうか、お嬢様」
"使用人ジュン"の言葉に、しばらくまばたきを繰り返していたが、やがて小さく頷いた。
「"ジュリアン様"は、いかがされますか?」
「おやおや……なら、僕も帰ろうかな」
立ち上がると、椅子の脚が思ったより大きな音を立てた。
*
仕切りの布を抜けたところで、臙脂の制服が飛んできた。
「お、お客様! どちらへ……!」
パオロ・コスタ。
初めて会ったときは見下してきた男が、日を重ねるごとに頭の下がり具合が深くなっていく。
「帰るだけだが」
「え、あ、あの、まだ公演が——」
「知っている」
"お嬢様"に先を促し、足を進める。
「お待ちください! 何か不都合でも——」
「不都合? いや別に」
「そんなっ……何か、あれば」
「……ちっ。しつこいなあ……飽きたから帰るだけだ」
顔が、固まる。
「あ、飽きた……?」
「当たり前だろ。初日も二日目も、全部同じじゃないか。せっかく、目新しい面白いものが見られると楽しみにされていたというのに」
わざとらしく"お嬢様"に視線を落とし、ため息をついてみせる。顔を強張らせたまま、立ち尽くすパオロを置いて足を進めた。
「まあ……僕は面白く見せてもらってたよ。でも、姪の言うとおり、全部同じなのは残念だったなあ……」
慰めるような声を置いて、後ろからグレンが追う。
背後で、駆け出す足音がした。制服の裾が、幕にひっかかったらしい派手な音まで聞こえてくる。
(かかったか……?)
思わず、一歩を小さくしたくなるが、ここは我慢しなくてはいけない。
布を一枚抜けるごとに、外の光が近づいてくる。
このまま車まで出てしまえば、今日は失敗だ。明日また出直すわけにもいかない。三度目に飽きた客が四度目に来たのでは、芝居が丸ごと台無しになる。
(早く……動けよ)
「おや、オリヴィア様?」
予想とは違う方向から声がして、思わず足を止めてしまった。
振り向くと、脇の通路から現れた、団長ヴィットーリオ・モランディ。
仕立てのいい上着が、腹のあたりで窮屈そうに呻き、手には、杖——に見せかけた鞭の柄。
(大方、金づるの様子が気になって来たんだな)
「これはこれは! オリヴィア様、ご機嫌麗しゅうございます。いかがなされましたか?」
目を輝かせて、真っ直ぐルナに向かってやってきた。
腹の底に、嫌悪が湧く。
気づけば、悟られない程度にモランディとの間へ出ていた。
別に、芝居の上では、間違った動きではない。使用人が主人の前に立つのは、自然なことだ。
「モランディ団長。滞在先へ戻られるところですので、あまりお話は……」
「戻られる? まだ公演は……」
「団長っ」
パオロは奴のもとに駆け寄ると、小さく耳打ちをする。
モランディの口元に、次第に力が入っていく。
あれだけ饒舌だった男が、聞いている間だけ、ぴたりと止まっている。
奴は、まばたき一つすると、驚くほど滑らかに体を折った。
「大変、申し訳ございませんでした!」
大袈裟な声が、辺りを揺らす。
「粗末な演目をお見せしてしまったこと、なんとお詫びしたら良いか……何卒、チャンスをいただけないでしょうか」
「……別に、"お嬢様"は詫びなど、望んでいない」
「いえ、団長としてなんとしてでも! 必ずや、他に類を見ない面白いモノをご覧にいれましょう! ですので、どうかっ!」
モランディは、必死の形相でルナを見た。
どうやらこの男は、ルナによほどの関心があるらしい。
いくら金払いが良かろうと、一介の客にここまで縋る座長がいるものか。
異国の貴族という肩書にか、それとも"オリヴィア嬢"そのものにか。
いずれにせよ、彼女は相当に釣りがいのある餌だったらしい。
それにしても、家の名を伝えたというのに、名前で呼ぶとは、馴れ馴れしいにもほどがある。
常識を叩き込まれる前に、貴族という身分そのものを失ったせいか。はたまた、下心か。
「"オリヴィア"……ここまで団長が言うんだ。少しは許してあげたらどうかな?」
"ジュリアン"は諭すように言う。
彼女は小さく息をつくと、扇を取り出し開いた。
その合図に、腰を屈め、口元に耳を寄せる。そして扇が、それを隠すように覆った。
演技が下手というより、演技という概念を知らないルナを、効果的に演出するために作り出された設定。
使用人への耳打ちを通さなければ、意思疎通ができない令嬢。そういうことになっている。
一瞬、わずかにかかるルナの息に、肩が強張る。
今すぐにでも離れたいが、そうもいかない。十秒も持たせれば十分だろう。
(……九、十……よし)
ゆっくりと体をもとに戻すと同時に、ルナがぴたりと扇をしまった。
「……他に類を見ない面白いモノとは、いったい何なのか……と、おっしゃっています」
モランディは分かりやすく破顔すると、ぐっと背を伸ばし、恭しく頭を下げた。
「応接間にて、詳しくお話をさせていただきましょう。どうぞ」




