素人
どこをどう歩いたのか、覚えていない。
先頭に壮年の男、次いでマルコを肩に担いだ大陸東部人の男、そして自分を挟み、真っ白な髪の女の順でひたすら歩いている。
路地から路地へ、何度も折れた。同じ角を二度曲がった気もするし、そんなはずはない気もする。ただ、前を行く背中についていくだけだった。
本当は、マルコをよく知りもしない人間に、任せる気などなかった。だが——
「遅いし、距離もある。素人がやると面倒になる」
昼間は使用人をしていたはずの男に、そうとは思えぬぶっきらぼうな口調で、切り捨てられたのだ。
素人。
自分に向かって言われたことは、今まで一度もなかった。
能力があるから、普通の枠組みとして見られることがないのが当然。だが、こいつらは、能力者である俺を、素人扱いした。
それが腹立たしいような、ほっとするような。とにかく新鮮な感覚であるのは間違いない。
まるで、こいつらは兵士か何かのよう。さっきから、聞こえてくるのは俺の足音だけ。
同胞——同じ能力者のようだが、住む世界が違うことを見せつけられている気分になる。
潮と、埃が混じった倉庫街の匂いが薄れ、代わりに食べ物や香水などの、街の匂いが漂う、閑静な家並みに入った。
いつも通り過ぎるばかりで、遠目から眺めていた、家らしい家々。
そのうちの一軒の前で、壮年の男は立ち止まると、ドアノッカーを三度叩いた。静かな通りに、その音がやけに大きく響いたような気がした。
その直後、一秒も経たぬうちに、扉が開き、中の灯りが漏れ出た。
「おかえりなさいませ!」
アニタと同じくらい——十五、六の少女が、ひょこりと顔を出した。彼女は、男が肩に担ぐマルコに視線を移すと、まばたきをした。
「おや、怪我人でしたか……すぐ、ミゲルを起こしてきますね!」
動揺する素振りも見せず、彼女はにこりと笑った。
「ありがとう。でも、ジュリ。いい加減、すぐ扉を開くのはやめようか」
「グレン様。考え無しで、開けているわけじゃないんですよ、私。大丈夫ですから。ささ、どうぞ」
扉を開けたまま奥へと消え、前の二人は中へ入っていく。
(俺は……どうすればいいんだ?)
マルコが連れて行かれる以上、側にいるべきだ。しかし、行き先が軍事施設のような場所を想像していただけに、ただの家に連れてこられた。拍子抜けさせられたせいか、急によく分からなくなった。
「おい」
顔を上げると、大陸東部人が眉間にしわを寄せ、こちらを睨んでいた。
「早く入れよ。詰まるだろうが」
後ろを振り返ると、無感情な青灰色の目がこちらをじっと見ていた。
慌てて中へ入ると、絨毯の床がわずかに弾む感覚が、足の裏に伝わった。
「お前も、黙ってないで言えよ」
男は面倒くさそうにため息を吐くと、マルコを抱え直し奥へ進む。自分も、団長も皆、こいつらの芝居にころっと騙されていたことを、思い知った。
「あ、シン様。二階の奥の部屋に——」
さっきジュリと呼ばれていた少女が、階段の上から顔を出した。
「いや、悪いが……応接間で全てやってしまおう」
「え?」
「多分、こいつの目の前で治療してやらないと、ごちゃごちゃと、うるさいだろうし。俺たちも、その方が動きやすい」
「はあ……分かりました。では、ミゲルを応接間に案内します」
意味が分かりそうで、分からない話が展開されていく。別世界に、自分は今、足を踏み入れているのだと理解しようとしても、頭が追いつかない。
「おい……何度も言わせんなよ」
大陸東部人——シンと呼ばれていたか、奴はとうとう、舌打ちをして睨みつけてきた。
「廊下が狭いから、お前が止まったら詰まるんだ。早く歩けよ」
腹が立つ。なんでこいつは、こんなにも偉そうな口をきいてくるのか。大して、俺と歳も変わらなさそうなのに。
「悪かったな。生憎、あんたらと違って、まともな家に入るのが、俺には貴重な体験なんでね」
厭味ったらしく返せば、黙り込むだろうと思ったが、奴は鼻で笑った。
「そうか。じゃあ、浸っていろよ。その貴重な体験の間に、こいつの容体が悪くなっても文句言うなよ」
言い返す言葉が、喉の手前で潰れた。
こいつの言い方は癪に触る。だが、内容は一つも間違っていないし、痛いところを確実に突いてくる。
マルコが割を食ったのは、俺が他のことで頭がいっぱいになっていたせいだ。
黙る以外、守る方法はないのだ。
応接間に入ると、目が一瞬眩んだ。白色の光がこうこうと差してくる。
詳しくはないが、応接間というのは大抵、暖色の光でほっとさせる空間だと思っていた。一座のVIPの控室も、確かそんな感じだったので、この知識は間違ってはいないと思うんだが。
「よし……シン。下ろしてくれ」
グレンの声に奴は頷くと、マルコを足の方からゆっくりとソファの上に下ろした。
マルコは、目を瞑ったまま、荒く浅い息を繰り返している。しかし、肩口の傷は赤黒い血で固まり、もう血が流れ落ちてはいない。
(そういえば、歩き始めた時には、もう止まっていたかもしれない……血が地面に垂れていなかった……)
俺が抱えていた時から歩き始めるまで、五分足らずだったと思うが、そんな短時間で、あれだけの傷口は固まるものなのか……?
「ふぁぁ……怪我人はどこだ?」
大きな欠伸をしながら、ダークブラウンの髭を生やした男が入ってきた。白衣を着ているが、その下は柄の目立つ服を着ている。
「おお、このガキンチョだな?」
「ああ。頼んだよ、ミゲル」
ミゲルと呼ばれたその男は、壮年の男——グレンの方をちらりと見ると小さく頷き、ぎょろりと目をこちらに向けてきた。
「こいつは?」
「ああ……彼は、その子の連れだよ」
「ふーん」
ミゲルはすっと目を細めた。
「……邪魔したら、口を縫いつけるからな」
ドスの効いた声が、胃のあたりを震わせた。
白衣の襟を正すと背を向け、しゃがんだ。その側に、真っ白な髪の女が控えるように立つ。
「状態を教えてくれ」
「……肩に一箇所銃創がある。負傷から四十分ほど経過。弾はまだ体の中。骨は逸れている」
女は、淡々と言葉を連ねる。
「私の能力で、神経止血帯をかけ、迷走神経に刺激を入れて炎症を抑えた。以後は比較的安定している」
「うん……さすが〈アルティメイト〉だな。とりあえず、銃弾を抜く。手伝ってくれ」
女は頷くと、男とは反対側に回り、マルコを覗き込む。
(いつ、止血なんてしたんだ? この女は)
能力、とは言っていたが、それにしてもそんな素振りも暇もなかったはずだ。
(いや……待てよ)
女が、マルコの肩口に二度ほど少し触れた。まさか、あの一瞬でやったのか?
(ははっ……本物のバケモンじゃねえか……)




