残酷な毒
「エリゾ、今日も来ていたよ、あの人たち」
袖幕の陰から客席を覗いていたジーノが、手招きをする。
「知ってる」
冷たく突き返したのに、ジーノはまだ客席に食いつく。そのせいで、周りが幕に張り付き始めた。
「わっ、ほんとだ。二階のあの、金持ち席」
「あれの、三倍の金払ったらしいって誰かが言ってた」
「じゃあ。その分、ご飯豪華になったりするかな?」
「デザート追加されたりとか?」
「えー、俺は肉が欲しいな」
「私は服が欲しい!」
口々に夢を語る顔、顔、顔。
舞台化粧の下の目が、きらきらしている。その目に、無性に腹が立ってきた。
「お前ら、いい加減にしろ」
一斉に顔がこちらを向く。随分、きょとんとした顔をしている。
「客が増えた分の分け前が、俺たちのところに来たことがあったか?」
あ、と言うように、顔を見合わせる。
「食事が良くなったか? 寝床がマシになったことでもあったか?」
目から期待の色が失せた。
これでいい、これでいいんだ。
「早く片付けて、あいつらの様子を見に行くぞ」
壁に引っ掛けていたガウンを羽織り、控室を出る。
あいつらの顔は、見れなかった。
まだ子どものあいつらには、酷なことは分かっている。
だが、期待は毒。
ここでは、最もゆっくり効く、残酷な毒なのだ。膨らんだ分だけ、萎む時に体のどこかを持っていかれる。
入り組んだ道を縫い、外へ出る。
まだ、退場した観客が群がっているが、それを待っていたら何にもできない。
ガウンを羽織り、フードを被せれば、目立ちはしない。
ふと、聞き覚えのある耳障りな声がした。
何も、隠れる必要などないが、近くにあるテントの幕影へ隠れ、様子を覗う。
「……左様でございますか。このような拙いものをお見せしてしまい恐れ入りますが、お気に召されたなら良かった」
「いや、謙遜は良くないよ。姪はこの通り、気に入っているのだから」
人当たりの良さそうな声が答える。
団長が、ゴマすりでもしているらしい。
あまり珍しくはないが、毎度ムカつく。自分は何もしていないのに、なぜ俺たちを指して拙いという言葉を使うのか。
「ありがとうございます。ぜひ、またお席をご用意して、お待ちしておりますので」
VIP用の出入り口から人が出てきた。
やはり、ジーノらが話していた客たちだった。
団長とともに出てきた、壮年の人当たりが良さそうな男。
大陸東部出身のすらっとした使用人。
そして、使用人が付き従える主人——上等な服を着た妙齢の女。
(あれ、生きてるのか?)
からくり人形のような動きの違和感はないが、顔があまりにも作り物くさい。
パズルに当てはめたような精巧すぎる顔。
透けて見えそうな白さ。
あれが、す本当に作り物ではない生身の人間なら、鳥肌が立つ。
(さては、金と地位があるだけで、頭空っぽ、といったところか?)
あの壮年の男ではなく、使用人が女についているから、女の方が恐らく地位が高い。だが、喋っているのは、あの男。
(財産目当てで、寄り付かれているのか。なるほど……ざまあみろ)
生まれた時から、全部何もかもやってもらって。何にも苦労せず外見だけ出来上がって。
甘い言葉で、誰もが操れると思っている。
自分で考えない奴。苦労を知らない奴。
吐き気がするほど、嫌いな人種だ。
鼻から笑いが抜ける。
(とっとと、ベッドに帰るか。こんな、くだらないのを眺めてる暇なんて、俺には——)
——逸らそうとした視線が、青灰色の目に捕まった。
ぞわりと、胃のあたりが震える。
深い、底なし沼に引きずり込まれるような気がして、思わず腕をぎゅっとしめる。
なぜ、決して近くはないはずなのに、その目は確実に自分を捉えている。
ふっと人が横切り、一瞬、その視線から逃れた。
再び、あの女が見えた時には、もうこちらを見ていなかった。
何事もなかったように、敷地の外へと歩いていく。
(同胞なんて、ありえない……ありえない、よな?)
ただの金持ちの道楽、悪戯だと処理しようとするが、炎から浮かび上がったあの字の存在が、頭から出ていかない。
「エリゾ!」
声に振り向くと、ひょろりとした手を大きく振り、焦り顔のマルコが近づいてきた。
「エリゾ、姉ちゃんがっ」
一気に、頭の中が冷やされた。
見える景色が、日常の色に見る見るうちに戻っていく。
「分かった。側には、今誰がいる?」
「ガイアがいる。でも一人だ!」
マルコは肩で息をしながら、ブラウンの癖毛をかき上げた。
「とにかく、まだ控えにいると思うから、ジーノ達を呼んでこい」
マルコは頷くと、テントの森の中へと入っていく。それを見届け、自分は敷地の隅にあるテントへ向かって走る。
(ガイアがいるなら、まだマシか……)
だが、急いで行かなければ、彼女の能力に限界が来てしまう。
絡みそうになるくらい、早く脚を動かす。
客席や、資材のあるエリアを抜け、団員の寝泊まりする場所を通り過ぎ、やがて避けられるように立つテントが見えた。
その一つの天幕の中に飛び込むと、ぐわりと身体が浮き上がり、胃のあたりが震えた。
「ああ、エリゾ! 良かった、もうそろそろ限界で……」
顎のあたりで髪を切り揃えた少女——ガイアが、テントの天井近くで逆立ちになりながら、安堵の色を浮かべた。
「怪我はないか?」
「うん、大丈夫! 今日は、浮かせてくるだけで、攻撃はしてこない」
「そうか」
テントの中の、ありとあらゆるものが宙に浮き上がっている。そして自分も。
ただ一人。ブラウンの癖毛の髪の少女アニタは、地に足をつけて立ち尽くしている。
「アニタ、俺の声が聞こえるか?」
彼女はびくっと肩を震わせると、こちらを見上げて睨みつけてくる。
アニタは、出会った頃から不安定だった。しかし、二年前まではサーカスの昼公演の演目に出れるほど、安定していた。
だが、ある日突然、公演中にパニックを起こして、それきり能力の暴走を引き起こすばかりになってしまった。
「アニタ、俺が分かるか?」
彼女の榛色の目に呼びかけたが、やはり怯えた犬のように睨みつけてくる。
近くに浮き上がったろうそくに、火をつけてみせる。
「ほら、俺だ。エリゾだ」
アニタの指が、ぴくりと震える。
やはり。少しは、声が届いているらしい。
「アニタ、見てろよ?」
指先に力を込めると、火が沸き起こり、兎を象る。
アリタの目のギラつきが、少し和らいだ。
「ほら、今度は犬だぞ」
火が揺らめき、犬の形に変える。
アニタの目が、完全に火に食いついた。その瞬間を逃さず——
「ジーノ!」
出入り口から、すばしっこい影が入り込み、あっという間に彼女の背後に迫り、肩口に注射器を刺した。
アニタの目がぐるりと回り、膝から崩れ落ちた。
「うわ、わわ……」
ジーノが慌てて支えようとするも耐えきれず、じりじりと膝をつく。まだ成長期前の彼にとって、自分よりも身長の高いアニタを支えるのは難しい。
共倒れする前に、なんとかアニタの体を抱えることができた。
「姉ちゃん……」
マルコが、彼女の頬を静かにさする。
無駄に暗く落ち込んだ顔が、何を考えているのかが、嫌というほど分かった。
「マルコ。お前は、お前の仕事があるんだよ」
「……だって、俺は」
榛色の目が大きく揺れ、そっと逸らされる。
「俺達は強くねえ。だから、支え合わないと生きられないんだ。お前にできて、俺にできないことはいっぱいあるんだ。だから、頼むよ」
「そうよ。私たちは家族みたいなものでしょ?」
「マルコがいないと、俺の靴下洗ってくれる人いなくなっちゃうよ」
そう言いながら、にっと笑うガイアとジーノを、ちらりと見ただけでマルコは俯いてしまった。
本心からの言葉だが、マルコの心にはあまり入っていかない。
確かに、アニタ達の暴走の時は、マルコの能力は使えない。でも、仕事にはうってつけの力だ。
それを、誇ってほしいのに。どうして伝わらないのか。
(……すぐ、どうこうできる話でもないな)
少しずつでいいから、自分の力に自信を持ってくれれば——そう思いながら、視線を落とすと————
————薬で眠ったはずのアニタの目が、開いた。




