曲馬
「ジュリ。お気遣い、ありがとう」
「いいえ。Σの皆さんにお役に立てるなら、なんでも!」
「おや、これは……」
深い色をした紅茶に気づいたグレンに、ジュリは嬉しそうに破顔した。
「気が付きました? これ、レジーナの老舗紅茶屋の茶葉なんです! 匂いがすごく上品で、他にはない! って匂いですよね」
「よく知っていたね」
「街のご婦人を掴まえて聞いたんです! せっかくなら、こういう時間は楽しんでいただかない、と……」
彼女は、突然言葉を途切れさせた。
「これは……〈ファントム〉様たちですね! 行ってきます!」
盆を持ったまま、彼女は飛び出す。
「待ちなさい、いくら能力があっても、慎重に……ダメだ、聞こえてない……」
大きくため息をつきながら、グレンは額に手を当てた。
(情報部の諜報員とは、アシュリーのことだったのか……)
彼女がその任務に当たっていたことは、別に不自然ではない。しかし、既にΣがいる計画に、新たに加わるというのは、予想をしていなかった。
確かに、カトリーヌは四名以上の投入を宣言したが、それは戦闘状態になる可能性が、高い場合の話。
つまり、これは相当な山になるということなのだ。
(二人は知っていたのか? 予想以上に大きくなると)
ルナは、相変わらず手元に視線を置いたまま、動力をうしなったからくり人形のようにじっとしている。
グレンは頬杖をつき、足元に視線をよこしている。
(というより、二人とも顔に出るようなタイプでないじゃないか)
この二人を表情で読み取ろうとするなんて、馬鹿がすることだ。
息を吐き出すと、ジュリの甲高い声が近づいてくるのが聞こえてきた。
「どうぞ、どうぞ!」
扉が開くと、アシュリー、そしてカリンが部屋に入ってきた。
「少し予定より、早く来てしまったけれど、いいかしら」
「やあ、アシュリー。大丈夫だよ」
二人並んだ姿を見たことがないせいか、随分あべこべな印象を受ける。
カリンは、ルナよりおおよそ頭一つ分ほど低く、アシュリーはルナが背伸びした程度に高い。
性格は似ている方ではあると思うが、それが、より身長差が強調をしているように感じた。
「元気そうだね」
カリンは、俺達三人に向けて言ったように振る舞うが、視線はソファの方を明らかに捉えていた。
操作型のイーサンやグレンよりも、厄介な存在として組まされた俺と彼女の様子に、好奇心でも持っているらしい。
「まだ、僕と組んでから三日も経っていないけど。三人で仲良くやってるよ。シンもルナも、聞き分けが良い子だよ」
(仲良く、とは少し違うと思うが)
"狂犬"云々と言われているが、別に誰彼構わず喧嘩をふっかけたりはしない。普段は大人しい方だと思う。感情が出るときはあれど、それは時折の話だ。
現に、イーサンと組んでいた二週間は、任務という任務はなかったので、ただ三人で演習場に籠もっていた。何か事は起こしていないし、特別、苛立つことはなかったのだ。
一度ついた心象は、ひっくり返すのが本当に大変だ。
アシュリーは小さく咳払いをすると、色素の薄い灰色の目でこちらを見た。
「ギャヴィンから、あらましは説明したと聞いている。が、改めて、調査内容を踏まえて説明したい」
「ああ、よろしく頼むよ」
アシュリーは机上に、紙書類の束を無造作に置いた。
しんと静まり返り、アシュリーの視線だけが刺さる。
(今、これは何の時間だ?)
説明したい、と言いながら、アシュリーは口を開かない。
「あ、ごめん。見ながら説明したほうが分かりやすいから……ってことだよね?」
カリンの言葉に、彼女は頷いた。
「ただ、一般界に印刷機がないので、一部しかない。三人で読んでくれると助かる」
アシュリーという人物は、随分と、機能的らしい。カトリーヌの堅苦しさと、ルナの静かさを足して二で割れば、こんな感じだろうか。
「僕は後でゆっくり目を通すから、二人は見ながら聞きなさい」
どうして、こう無駄に関わることになるのだろうか。
〈SBP〉が忌々しいにもほどがある。
が、私情を持ちこむのは、なしだ。
ルナのほうを見ると、青灰色の目とかち合った。
一拍置いて、書類を見ようとしたのか、わずかに前屈みになっていた体勢を、彼女はすっと元に戻した。
その動きの意味が、なんとなく分かったような気がした。
なんだか少し腹が立った。
書類を掴み、自分とルナの間の空間に、見えるように持つ。
こうすれば、「自分も後で」とは言わなくなるだろうと思ったから。
端から見れば、さぞ奇妙に映っているだろう現実から逃れるため、報告書の活字に意識を向ける。
*
【調査報告書】(1923/4/30時点)
〈カルーセル座〉
概要∶
臙脂に金の回転木馬のテントがシンボル。
蒸気自動車と馬車の隊列を組み、都市圏を巡業する。
1903/09 曲芸師フランチェスコ・ルッソが創業。比較的小規模なサーカス一座であったが、高い技術力とエンタメ性で、着実な集客に成功する。
1914/02 ルッソ氏が病死。方向性の違いから、団員が内部分裂し、退団者が多く出る。また、質が落ちたとして、客足離れが始まる。経営状況が悪化する。
1915/04 実業家ヴィットーリオ・モランディが、半ば詐欺を働き買収、全ての権利がモランディ氏に渡る。
1917/01 旧エンディリア内の巡業を開始する。
備考∶
モランディ氏買収以前は、純粋な技能サーカスであり、団員も
大人が多かったという。しかし、買収後は団員の6割を18歳以
下が占めるように。
また、巡業とともに闇金事業を展開しているとの噂あり。
〈ヴィットーリオ・モランディ〉※現団長
1870/06/29生 旧ヴァッレフォッサ男爵家次男
経歴∶
1881/09 エンディリア王国の解体により貴族制が廃止され、モランディ家から爵位が剥奪される。
1898頃 金融事業を開始し、成功する。実態は闇金会社。
1915/04 カルーセル座を買収。団長に就任
容姿∶
イエローブロンドの髪(薄らハゲ)、ブラウンの目に赤ら顔。身長約170cm、ビール腹。
備考∶
団員の一部を「曲馬」と呼び、鞭で叩く場面が見られる。
*
「それで、能力者についてだけれど」
まるで、最後まで読み切るのを待っていたかのようなタイミングで、アシュリーは切り出した。
「潜入調査を行ったところ、能力者の子どもを、演目として使っていることは、確かだった。全部で十三人」
アシュリーは、今、山の一番上に載っていた用紙をつまみ、こちらに無言で渡してきた。
ちらりと目を落とすと、『カルーセル座能力者リスト』という題が書かれている。
「あ、〈SBP〉は任務に支障がない範囲でやっているから」
カリンは、近くの椅子の肘おきに腰を掛けながら言った。
「さすがに、潜伏できない私が調査に入るわけには行かないから、物理的な距離をとっていたけど。通信は常にオンで、リアルタイムで状況把握していたから。後援員に聞いてもらえば分かる。あと、映像記録も撮っているから。改竄はほぼ不可能な状態の上だからね」
早口でまくし立てると、ジュリからコップを受け取り、流し込むように飲み始めた。
別に、意気揚々と提案してきた彼らのように、厳しく見ていないので気にしていなかったが、それを言うのも面倒なので適当に頷く。
「いくつか、名前が空欄だけど。それは?」
ルナがぽつりと訊ねた。彼女の視線の先を辿ると——用紙の下部数名分の名前はなく、特徴のみ書かれている。
「分からなかったため、記入していない。あくまでも潜入をしたのみで、当事者を始めとする関係者との接触は行っていない。能力者を抱えて大々的に巡業しているとなると、世界政府や〈ジャスティカーズ〉が絡んでいる可能性は少なくないので」
そう、と言うように、ルナは頷いた。
「リストの下から六人は、覚醒失敗者の可能性が非常に高い」
アシュリーはまた、紙の山から一枚取り出しこちらへ渡す。
「この赤丸で囲った場所、ここに六人が檻に入っている。日中はどうやら薬で眠らされているようだった。夜になると起き始めて、特別公演に駆り出される」
比較的血の気の多い性格が多い〈アポクリファ〉という組織の中にいるというのに。アシュリーは理性で感情をすっと削ぎ落とした人間だというのが、言葉の端々に出ている気がする。
彼女は淡々と続ける。
「特別公演の内容は、闘技だ。猛獣、あるいは能力者や覚醒失敗者と、人間を戦わせる。客はその勝敗に金を賭ける」
「人間って……非能力者の団員をか?」
「違う。債務者」
アシュリーは書類の束から、もう一枚を抜き出した。帳簿の写しらしき、数字の羅列が書かれている。
「モランディの本業は闇金。巡業先の町で金を貸し、回収する。返せなくなった人間には『一晩生き残れば帳消し』という契約を持ちかける。表向きは救済。実態は、賭けの駒の補充。旧エンディリアの管轄の世界政府高官をはじめとする、一部の上客のみが賭けに興じている」
胸糞の悪さが腹の中に広がる。
なんとかそれを逃がすために、鼻で笑ってみせたが、やはりそう簡単には消えてくれない。
「街の怪事件との関連は?」
「取り立て」
彼女は小さく息をつくと、また淡々と言葉を続ける。
「能力者を、脅しに使っている。人体発火も、見えない力も、全部それだ。幽霊の噂は、彼らにとって都合のいい隠れ蓑になっている」
「そういうこと。結婚前夜に川へ飛び込んだ花婿。彼は、祝いの金を借りていたんだって」
肘掛けの上から、他人事のように軽い声が飛ぶ。しかし、カリンの口元は歪に引きつっていた。
「それで、本題」
アシュリーは懐から、小さく折り畳んだ紙を広げ、机の中央へ滑らせた。先ほど見せられたテントの配置図よりも、幾分か細かく描き込みがなされている。
「能力者、覚醒失敗者の保護のため、特別公演に潜入する必要がある。会場は、この第二テント。招待状がなければ入れない。だから、あなたたちに頼みたい」
「え……アシュリーさんがやれば、解決するんじゃないですか?」
皆、発言主に吸い寄せられるように顔を向ける。
「あ、ごめんなさい……」
ジュリは申し訳なさそうに、お盆で顔を隠した。
「ああ……アシュリーが、能力者を連れ出せばいいってこと?」
「はい。それじゃダメなんですか?」
カリンの言葉に同意しつつ、首を傾げる。が——
「無理」
当の本人が即答で、それを切った。
「私の能力——「エッセンティア・ミヌス」は、確かに人間の認知外に行くことができる。そのお蔭で、全く気づかれずに潜入調査ができた。けれど、物理法則から逃れるわけじゃないから、物をすり抜けたりすることもできない。自分以外に能力を使えないから、能力者を密かに連れ出すこともできない」
アシュリーは腕を組むと、人さし指の先をとんとんと動かす。
「つまり、能力者十三人。それも、そのうち覚醒失敗者が六人。この人数を連れ出すためには、複数人が特別公演の会場に入り、救出チャンスを窺い、確実に遂行する必要がある」
「……特別公演中でなくとも、狙いやすい時はあるんじゃないのか?」
答えはおおよそ分かっているが、口にしておく。
「一般客を巻き込めない。それに能力者たちは、夜の特別公演の時は、第二テントに固まる。そこを狙ったほうが成功率も上がると思われる。会場に正規の客としている人間がいれば、内側から動ける。奇襲は、失敗時のリスクが高い」
「……分かった。だが、特別公演はどうやったら入れる? 聞いている感じだと、一見の人間が見たいと言っても、難しそうなんだが」
「だからこそ、君たちが適役なんだよ」
カリンが、三日月型に唇を歪ませて笑う。
「モランディ氏は、自分で選んだ客に、特別公演の招待状を手渡す。渡されるのは、金持ち、高い身分持ち、良いカモ、のうちのどれかなんだ。つまり、あの男に『配りたい』と思わせる人間であれば貰える」
「なるほどね。つまり、金持ちの上客を、こちらで用意すればいいわけだ」
納得したように頷くグレンに、カリンはどこか嬉しそうに破顔した。
「そういうことですね。爵位に未練のあるモランディの目に止まりそうな容貌を持っていて、申し分ない戦闘実績を持っている人物に協力を要請するよう、ギャヴィンさんに依頼しました」
視線が、自然と隣へ集まっていくのを感じた。
焦げ茶色のウィッグの下、当の本人は、顔色を変えずに書類を見つめている。
『向こうでは目立つ方が都合がいい』
ギャヴィンの、にこりとした笑顔と言葉を思い出して、合点がいった。
ついでに、彼に対する心象がもう一段、深く降下した。
―――
(機密百科事典より引用)
〈エッセンティア・ミヌス〉
保有者∶アシュリー (本名∶アシュリー・コヴァルスキー)
分類∶Xeno型
等級∶β
概要∶自身の存在を、生物の認知機能から遮断することが可能。隠密行動、奇襲に非常に有効だが、実体に作用しないため、高感度センサーや熱感知などには非有効的。




