故郷
大通りから抜け、閑静な家並みを歩くと、陰に潜むように立つ。その一軒の前でグレンは足を止めると、ドアノッカーを叩いた。
階段を下る足音の後、錠をいじる音が聞こえると扉が開いた。
「皆さん、おかえりなさいませ」
中からひょこり顔を出した少女が言った。
「ジュリ……もう少し警戒してくれないか。万が一ということもあるんだから」
「グレン様。私の能力をご存知でしょう?分かっているから開けているんです」
「しかし、操作型能力で撹乱されている可能性も」
「分かりました、次から気をつけますので!そうだ、合言葉でも作りますか?」
グレンは苦笑いを浮かべて緩く首を振った。ジュリが身体を引いたので、そのまま俺たちは入る。
中は、上へ続く階段と狭い廊下。その廊下を通り、奥の応接間へと続いている。
「買い出しありがとうございました! うわあ、美味しそうな匂いですね! 外では、何か不都合はございませんでしたか?」
そっと隣に立つルナに目を向けると、目が合う。彼女は首を傾げた。
「問題があったわけじゃないが……」
「あ……何かございましたか?」
ジュリに視線を移すと、興味津々な目で俺の言葉を待っている。
彼女は、訓練生から准員に上がってまだ、二カ月ほどだと言っていた。まだ任務の苦みを知らないので、やること全てに目を輝かせているのだ。
「悪いが……今度から買い物は、俺たちは行かないほうがいい。あまりにも目立つ」
グレンの提案で、土地勘を養う目的を兼ねて買い出しに行ったはいいもの、もう必要最低限街を歩かないほうがいいだろう。
「ああ! なるほど。承知いたしました。というより、本来、買い物はΣの皆さんに、やっていただくことじゃないですから。買い物は大丈夫です! この私が、値切って値切って、安く調達してみせます!」
拳を意気揚々と握る彼女に、とりあえず頷いておく。
「そうそう。諜報員の方より、夕方五時頃、こちらにいらっしゃると言伝を預かっています!」
「そうかい。ありがとう、ジュリ」
「いいえ! では、私はご飯の準備してますね!」
彼女は、俺たちが持ってきた紙袋を器用に抱えると、キッチンの方へ向かっていった。
「さて、どうしようかね?」
グレンは、頬をかきながら笑った。
「外にも出られないし、SBPの観点から言えば、持ち部屋に戻るのもあまり良くない」
「……そうですね。ここで大人しく過ごすしかないですね」
口ではそう言いながらも、舌打ちしたくなった。どうしてこうも、強制的にルナと同じ空間にいる時間が湧き出てくるのか。
「まあ、座ろうか」
グレンが微笑みながら、ソファへ促した。
コの字になるよう配置された、一人掛けが二つと、三人掛けのソファ。
年長者のグレンが、一人掛けを使うとして。自分はどこに座るべきか。
ここで自分が一人掛けに座れば、グレンと向かい合わせになる。机が大きいので、彼と距離が不自然に空いてしまう。
三人掛けを使えば、ルナと距離が近くなる。
(一人掛けを、ルナに使わせるか?)
いや、結局それは同じことだ。
「シン? どうしたんだ?」
グレンがきょとんとした顔でこちらを見ている。
「いえ、なんでもないです。どうぞ」
一人掛けを勧めると、グレンは頷いてそこに座った。
(俺は、何をくだらないことを考えてるんだ?)
そもそも、こんなところで座り順を気にしたって、誤差程度のことだろう。
三人掛けに座る他ないのだ。
立ちつくしているルナに、座るように目配せで示すと、彼女はおずおずと近づき、一人分隙間を空けてゆっくり腰を掛けた。
キッチンから聞こえる食器の音だけが響く。
ルナは当然のことだが、俺も色々と不名誉な肩書きはあるが、喋る方ではない。まだこの世を知る前は、ぺらぺらと喋り倒していたが……
グレンも、仲裁役は買って出るが、普段は見守っているような立場をとっているので、誰も喋らないのだ。
(あの二人が居てくれたら……)
イーサンと、もういないヴィクターの顔が浮かんだ。
頭では分かっているはずなのに。埋葬も自分の手でしたというのに。まだ、あれが現実であったと、自分の中で落とし込めていないのだろうか。
嘆いても仕方がない。自分が話を振るしかない。
隣のルナを一瞥すると、彼女はやはり虚空を眺めていた。
(『話しかけるな』と言っておいて、この空気が耐えられないから話を振るのは違うな)
グレンの方を見ると、彼は窓の向こうの景色を、ぼんやりと眺めていた。哀愁を帯びた目は、心どこかあらずな気がした。
「グレンは……」
思わず言いかけたが、彼はこちらを向き直り、柔和な笑みを浮かべた。
「ん?」
「旧エンディリアの、しかも、ここ旧レジーナの出身でしたっけ?」
当たり障りのない会話なのは自覚しているが、単純に今、話したいと思ったことだった。
「ああ、そうだよ。街並みは残っているけど、僕を知っている人はいないだろうね」
そう言いながら、グレンは口元を緩めた。どこか自嘲気味なものを感じた。
「僕が九歳の時にね。エンディリア王国は世界政府に負けたんだ……その時は、まだ"統合推進連盟"って名前だったけど。子どもだったから、まだよく分かっていなかったけど、王家が廃止されて。殺伐とした空気に変わったのは感じたなあ……」
そう呟いた掠れ声が、空気の中に溶けて消えた。
(この人にも、そんな子ども時代があったのか……)
何を当たり前のことを、と思ったが、余裕のある大人の言動をするグレンに、子ども時代というのが、重なりにくいのだ。
「ごめんね? つい感傷に浸っちゃって」
「……いえ。時間もありますし、せっかくなら話をしてください。噂で聞いたことしか、グレンのことは知らないので」
グレンは、照れたように顔をくしゃりとさせた。
「そうか……ルナは? 私の話は、つまらなくないかい?」
彼女は静かに首を振り、自身の手元に視線を戻した。
「じゃあ、少し僕のことを話してみようかな……」
「はい、お願いします」
一つ咳払いをすると、グレンは穏やかな声音で話を紡ぎ出す。
「エンディリアの王家がいなくなってから、一ヶ月経った頃かな。国民全員の健康調査命令が来たんだ」
背筋に、ひやりとしたものが通った。
「血液検査……」
世界政府がどうやって、〇・〇五パーセントの確率の中から、能力者を見つけ出し、集めているのか。
EPR-7の保有者を、膨大な血液検査を行い、探し出しているからだ。
「そう。その後しばらくして、僕と両親は、新設の治安維持局に連行された。一斉蜂起を企てた一家としてね。実際は、能力覚醒をさせるための、口実だったわけだけど」
グレンは、ゆっくりと足を組み変え、続けた。
「当時はまだ、能力覚醒は十二歳前後がリミットだって分かっていなかったからさ。僕も両親も、色々と痛めつけられて。結局、きちんと覚醒したのは僕だけ。二人は失敗して……まあ、そういうことだったんだけど」
随分と、重たい話————だが、よくある話だ。この世界に入り込んだ人間にとっては。
同情心はもちろん湧いてくる。しかし、慣れたものとして処理しようとする脳に、自分が随分と遠くまで来てしまったのだと、自覚せざるを得ない。
「僕は臆病だからね。恨み、憎しみは大きく膨らむけれど、恐れて何もできなくてね。離反を試したけれど、失敗して処刑される仲間をたくさん見てきたから……そのまま三十七になるまで、言われるままに、ジャスティカーズを続けたんだ」
臆病——上に立つ人間は皆、口にする。
誇張でも謙遜でもなく、長年使い込んだ道具の名を口にするような、乾いた響きだ。
隣に目をやると、やはり彼女は手元を見つめたまま、微動だにしていない。膝の上の指は、行儀よく絡み合うようにして載せられている。
「なんで、アポクリファに?」
訊くべきか、一瞬迷ったが、口は勝手に動いていた。
「三十三、四? の時かな。任務でこの街に戻ってきたことがあったんだ。それで、僕の家があった場所へ行ったら、そこは——」
「お待たせしました、皆さん! お茶をお持ちしました!」
扉が勢いよく開くとともに、ジュリの声が部屋に風を通した。
「……この話は、またいつかだね」
グレンは低く呟くと、お茶を持ってきた彼女に笑顔を向けた。
いつもの、穏やかな年長者の顔への、切り替えの早さに、感心とも薄ら寒さともつかないものを覚えた。
―――
(機密百科事典より引用)
〈旧エンディリア王国〉
王都∶レジーナ
在国時期∶1642/10/03〜1881/09/02
概要∶文化流行の発祥地として、中央大陸北西部地域で名を馳せていた。また、世界一体化の反対派最大の国家として強固な立ち位置を示し続けていた。
1881/08/26 統一戦争に敗戦。
1881/09/02 世界政府より、王国の解体を宣言される。




