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アポクリファ


『ルナ』


 通信機から静かな声が響いた。彼女は、一瞬立ち止まり、傍らの少女の手をそっと離した。不安げな目で見上げる少女に、ルナと呼ばれたその女は、短く「ちょっと待ってて」と断る。

 そして、首元のチョーカーに指を軽く当て、口を開いた。

 

「セラフィーナ。どうしたの?」

 

『今、その子たちの回収に後援員を向かわせている。十時の方向から。引き渡して、すぐに指示された場所に向かって。高等級被験者が輸送機に収容されている』

 

「分かった」


 再び、チョーカーを軽く二度叩いた。

 ルナは少年を背負い直す。少女は、ヘーゼル色の兄の頭を不安げに見つめていたが、ルナの手を再びぎゅっと握り直した。


 前から、ルナと同じミリタリースーツに身を包んだ数人が、大きく手を振りながら向かってくる。

 少女は少し怯えたように、ルナの後ろへ回ったが、彼らはそれを気にすることなく、背で眠っている少年をそっと、ルナから剥がし抱きかかえた。

 

「熱がある。体力が相当削られているはずだから、よく見てて」

「承知しました」


 ルナの言葉に、彼らは反応よく返事をした。

 彼らのうちの一人が、ルナが離した少女の手を、代わりというようにそっと握り、手を引く。

 少女はその手と、首元のチョーカーに手をやるルナを見比べ——繋がれた手を振りほどき、ルナの腰にすがりついた。

 

「行かないで……」

 

 少女の震えた声が小さく響いた。

 

 ルナは、青灰色の目を少女に向ける。

 しばらく、まばたきを繰り返すばかりであったが、ルナはそっと目の前にしゃがむと、少女の目を見つめ、言葉にした。

 

「助けを待っている人がいる。だから一緒にはいられない。ごめんなさい」

 

 慰めるわけでもなく、諭すわけでもない、事実を突きつける言葉。後援員たちは少女の反応を不安げに見たが、やはり彼女は下唇を噛み締め、俯いてしまった。

 

 無情にも、ルナは立ち上がり踵を返す。

 

「じゃ、じゃあ……!  その代わりに!」

 

 少女は声を張って、遠ざかろうとするルナの足を止めた。

 

「絶対に帰ってきて……私たちを、置いていかないで……」

 

 ルナは再び、少女に目を向けた。顔色一つ変えることのない、作り物めいた顔のまま。

 しかし、少女の目を見ながら確かに頷いた。再びルナは踵を返し、白い髪の束を揺らしながら、音もなく走り出した。

 

「大丈夫だよ。〈アルティメイト〉、えっと……あの人は、とても強いから、他の子達を助けて、必ず戻ってきてくれるよ。だから、安全な場所で待とう」

 

 周りは、少女を静かに窘めた。

 少女は、しばらく彼女の後ろ姿を見つめ続けていたが、やがて小さく頷いた。




 *




 男は、肺の奥の痛みを堪えながら、がむしゃらに走り続けていた。

 サイレンと銃声が鳴り響く施設は、小一時間ほど前までは、我が物顔で歩いていた自分の城のようなもの――のはずだった。


 黒いミリタリースーツを着た、武装レジスタンス組織〈アポクリファ〉が突然湧いて、研究所の人間を殺し始めた。奇っ怪な異能力で、蹴散らすように。

 

(なんで、この俺が、こんなことに……!)

 

 男を始めとする、研究所のスタッフにとって異能力者は、管理し、研究成果を得るための大切なモルモットだった。

 時折、こちらに危険が及ぶほど、強力な能力を持つ者もいたが、大概は脅すなり、投薬するなりすれば大人しくなる。子どもばかりであるから、痛い目に遭わせれば従順になる。

 

 故に、忘れていたのだ。異能力者は、本来人間が太刀打ちできるモノではなかったことを。

 モルモットたちはまだ、危険度の低い、未熟な異能力者であったことを。

 異能力者は、時に化学兵器を超える、恐ろしい兵器になることを。

 隔てる檻がなければ――狩人は入れ替わるのだということを。

 

 男は荒い息を吐きながら、背後に目をやる。

 黒いミリタリースーツを着た〈アポクリファ〉の戦闘員が、汗一つ、疲れ一つ見せずにすさまじいスピードで後ろをついてくる。男の目には、さながら死神のように映った。


〈アポクリファ〉は、世界政府に楯突く、武装レジスタンス組織。世界政府のものを徹底的に始末する。そこに慈悲はない。


 現に、警護は皆一斉に、突然地に伏せて死んでしまった。

 降って現れた白髪の娘に、部下たちは全員、瞬きの間さえ与えないほどの速さで、首筋を斬られた。

 後ろに迫るあの青年は、一人で隣の部署の人間を、一瞬にして叩き殺した。研究所の管理職である自分が、命乞いをしたところで見逃すわけがない。


 死から逃れようと、血走った目で探す男は、角から出てきた子どもと、危うくぶつかりそうになった。

 男は、生に貪欲だった。検査着を着たその子どもに、活路を見出したのだ。

 男は子どもの襟首を掴むと、その頭に小銃を突きつけてみせた。

 

「来るな!  これが欲しいんだろう!」

 

 何の役にも立たないと諦めていた武器が、ここで役に立ったことに、男は口角を歪めた。相手に反撃は出来なくとも、コレを盾にすれば手を出せないはずだと。


 追手――黒髪に黒い瞳のオリエンタルな顔立ちの青年は、歩を止める。

 男の目論見は成功した。しかし、その人質に動揺することなく、怠いと言わんばかりに、青年はため息を一つ吐いた。

 

「いいから、黙れよ」

 

 想定より効果が発揮できていないことに、男は焦りを覚えた。

 必死に頭を巡らし視線を落とすと——子どもは男の手元から姿を消していた。


 顔を上げると、青年が眼前に立っていた。


「え?」と、声を漏らすよりも前に、男の身体はぐにゃりと曲がる。言いようのない衝撃が、胸骨を伝って心臓に伝わり、木っ端微塵に霧散した。

 最後、男の視界に映ったものは、青年の怒りと憎悪に満ちた漆黒の目だった。



 * 



 一瞬で、赤い液体に様変わりした男を確認し、自分の拳に視線を落とす。

 手袋をしているが、生温かい血が濡れた感触は気色悪い。

 反射的に拳を軽く振り払うと、今度はスーツに血が飛び散り、萎えた。


 こんな悠長なことをしている暇はない。

 汚れについては一旦忘れ、先ほど男から引き剥がした子どもに振り返る。

 

「怪我はないか?」


 怯えきった様子だったが、子どもは首をぶんぶんと横に振って応えた。

 現在位置を送ろうとチョーカーに手を掛けたが、支援班が駆け寄るのが見えたので、彼らに向かって手を振る。

 

「あいつらについていけ。輸送機で〈アポクリファ〉の拠点に行くんだ」

「あ、〈アポクリファ〉って……」

 

 子どもが唇を震わせながらも、はっきりとした声音で尋ねる。

 

「〈アポクリファ〉って、悪魔の……?」


 その言葉に、腹の底から笑いに似たものが湧き上がる。知らずのうちに、唇の片方を吊り上げていた。


「どっちが悪魔かは知らないけどな」


 混乱したような顔をする子どもを置いて、先へ進むことにした。


 


―――

(機密百科事典より引用)


〈世界政府〉

 現在、世界中の国を統括する政府組織。その原初組織は、150年ほど前に誕生した、古代学術研究機関である。

 圧倒的な科学技術、知識を用い、世界一体化を推進してきたが、その実態は、一部国家の貴族や富豪の権力集中によるものである。

 異能力者を擁し、戦力部隊を作ることで、反対勢力を制圧。数十の国家が、それによりアイデンティティを失った。

 1881 年9月、世界一体化の反対派最大の国家、エンディリア王国を制圧解体に成功したことにより、世界政府と名称を改める。



〈アポクリファ〉

 多くを異能力者で構成された、反世界政府を謳う武装レジスタンス組織。

 1906年に創設された当時は、かなり小規模であったが、高等級の異能力者を擁し、また世界政府側から流出した科学技術を利用、発展させることで、存在感を広めた。



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