亀裂
重苦しい沈黙。
誰も動かない。口を開かない。
「これ、部屋に帰ってもいいと見るか、まずいと思うか……どっちだと思う?」
イーサンがぼそりと耳打ちしてきた。
「別に、話すこともない。いる必要もないだろ」
この空気から逃れたくて、席から立ち上がったが――
「待って。話したいことがあるんだけど」
甲高い声に止められた。
声の主は、彫りの深い顔立ちをした女――ミラ。
その容姿に追い打ちをかけるように厳しい表情を浮かべている。
きつい顔立ち、きつい性格、全てがきつい印象を与える女だ。比較的陽気な国が多いといわれる、南大陸の出身とは思えない。
出そうになったため息を押し込み、大人しく座り直す。
(……面倒なことになりそうだな)
「なら、早く喋ってくれないか? 二徹してるから眠いんだ」
大あくびをしながら、無駄のない整った顔立ちの男――ダミアンはそう言った。
どこ吹く風といった態度で、大柄の筋肉質な身体を伸ばす彼に、ミラは眉尻を上げた。
「この非常事態に、よく寝ようだなんて思えるわね」
「寝なければ事態が解決するなら、寝ないさ。早く喋れよ」
ダミアンの煽り口調に、ミラは明らかに苛立った様子だったが、深く息をつくと口を開いた。
「〈オリジン〉や情報部は、任務形態的には厳しいけれど。Σは相互監視のため、ペア制を導入すべきだと思う」
「ペア制って……? 具体的に何をするの」
目力のある利発な顔立ちの女——カリンが、少し食いついた。
「四六時中行動を共にするのよ。入室記録、チョーカーの記録徹底だけでは、不十分。いつまで経っても内通者なんて見つけられない。だから、相互監視をするの」
「無理に決まってるだろ」
ダミアンが、鼻で笑った。
「トイレ、風呂、睡眠も、他人に見られ続けるのか? 任務以外で余計なストレス増やそうとするなんてバカかよ」
「そこまでは言ってないわよ」
ミラが、苛立ちを隠さずに言い返す。
「トイレ、風呂は、どうせ共同のものを使うことばかりなんだから、怪しい動きなんて出来ないでしょう。それ以外は常に一緒に行動するの。原始的だけど、内通者にとっては効果が大きいわ」
(……めんどくせえ)
別に、内通者を特定するのは大事だ。しかし、精神を削ってまでやるべきことなんて、あるのか。
「まあ、有効といえば有効だ。ただ、実現させるには色々問題があるぞ」
しかし、こういう場で賛同寄りの人間が出てくることは、よくある。なぜだろうか。
緑眼の眼光が強い男——ゼインが、仏頂面で先の言葉に続けた。
「まず、操作型の能力者と非操作型で組むのはまずい。グレンさんも、イーサンも。二人の能力が行使されている間の記憶は残るが、自分の身体が制御下に置かれる隙がある以上危険だ」
ゼインはわざとらしく眉尻を下げる。
「ああ……二人とも気を悪くしないでくれ。全員に疑いをかけているんだ」
「いや、当然のことだよ。気にしないでくれ」
グレンは穏やかに笑って手を振った。
「なら、二人同士組ませるとか?」
ミラの発言に、カリンは首を振った。
「四六時中監視なら、任務も一緒でしょ? 操作型二人を毎回、同じ任務に入れるのは、効率が悪いと思う」
「なら、操作型がいるところは、三人にすればいいんじゃないか?」
イーサンが、ぼそりと呟いた。
とうとう、話に首を突っ込んだのだ、こいつは。黙っていればいいものを。
「お前の能力は、人数無制限じゃないか」
「まあね。でも、二人よりはマシなんじゃないか? 四人、五人と増えてもそれはそれで面倒だろうし。まあ、僕は当事者じゃないから、分からない話だけどね」
そう言いながら、軽く肩をすくめた。
「そうね、能力によっては三人でもいいかもしれない。ほら、これで解決したでしょう。他に文句でも?」
勝ち誇ったような顔のミラだったが、ダミアンが手を挙げると、少しげんなりとした表情になった。
「睡眠は? 相部屋にでもするのか? それこそ危険だろう、危害が加えられることもあるかもしれない。まあ……ここが解消されれば、少しは考える余地はある」
無言に陥る。議論は、一旦停止したようだ。
ルナは、ただ黙って成り行きを見守っているらしい。隣からちらちらと寄越す、エリザの視線を気にすることもなく。
「睡眠も風呂と同じ扱いで、良いのでは? 」
アシュリーの声が、静寂の中に降りた。
「どうせ、チョーカーの通信機能は外部でしか使えない。だから、部屋で通信行為は出来ないわ」
「確かに……そうね。なら、部屋にいる時間、風呂トイレを除く時間は監視であれば、問題ないわね。どう? 〈レンパート〉」
ダミアンは、しばしの後に頷いた。
「いいんじゃないか?」
その返事に、ミラは満足げに周りを見渡した。
「そう! では……他に反対意見あるかしら?」
皆、静かに黙っている。
「なんか、反対でもしたら内通者認定されそうな空気だな」
イーサンの耳打ちには、同感だ。
反対すれば、確実に疑いの目が向けられる、同調圧力が不快でしかなかった。
「あ、そうだ。組み方を決めるなら、実力差が近い者同士にしろ。万が一の時に差がありすぎるとまずいからな」
ゼインは、わざとらしく間を置いて、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「だから、ルナ、シンの二人は確定だ……その間にも差があるけどな」
余計な一言には苛ついたが、冷めた目で一瞥するだけにとどめた。
彼女との差はあれど、仮にもそれに次ぐ実戦と実力と言われている。つまり、この煽ってくるいけ好かない男は、シンよりもルナとの差が開いているのだ。
「待ってください」
それまで無言だった、エリザが勢いよく立ち上がった。
「その二人の組み合わせは、悪いと思います。シンが、ルナへの態度を見れば分かるでしょう? それに、攻撃型二人を組ませるのは、偏りが出ると思います」
嘲るように、ゼインは笑った。
「別に問題ないだろ? さっきの会議聞いてたのか? これからは四、五人以上のΣの参加だぞ。操作型は二人いても仕方ないが、攻撃型については、強化された方が万歳だろ」
「ぐうっ……で、でも、日頃の――」
「だからだろう?」
愉しんでいるのか、ゼインは笑みを深くした。
「仲良しこよししてる奴と、組ませても意味がない。事あるごとに噛みつく"狂犬"は適任だろう?」
テーブルの下で、いつの間にか拳を強く握りしめていた。
(だから嫌なんだ)
Σに仲間意識が薄いのは、個人主義者が多いからといえるが、一番の理由は、ルナだ。
彼女を支持する派閥、否定する派閥、中立といった構造が出来ている。それをめぐって、顔を合わせる度に喧嘩が始まる。
自分は中立の立場を保っているが、訓練生時代に問題児扱いされたことや、任務での衝突があったこと。否定派のミラやゼインとは、あまり関係が良くない。
事あるごとに煽られるのは、いい加減、怠い。
「さっきから、特定の人物を内通者扱いしようとしている気がするんですが、気のせいですか?」
だが、エリザが表に立ち始めたせいか、今日は普段よりは、マシな気がする。
エリザの言い返しに、ゼインの眼光が鋭くなった。
「ほお? そんなつもりないんだが……そう感じるということは、お前も同じように感じているのでは?」
「いいえ。ただ不快なので言及しただけですが。憶測で人を貶めようとするなんて、どういう育ちしてるんですか?」
空気が、氷点下にまで一気に冷えた。
ゼインが明らかにキレた様子だったが、笑みを浮かべたまま言う。
「人のこと言えないんじゃないか? 別に、俺はまだ誰が内通者かなんて、分かんねえよ。〈オリジン〉にいるかもしれないし、情報部にいるかもしれない。ただ――」
ちらりとルナに視線を向け、ゼインは続けた。
「〈ジャスティカーズ〉に何かしら接点がないと、情報漏洩は難しいと思っているだけだ。」
「そうですか。私も研究所から来たんですが。私には疑い掛けないんですね」
食い下がるエリザに、今度はミラが冷笑した。
「だって研究所は、あくまでも世界政府所有であって、〈ジャスティカーズ〉のモノではないもの。あそこと直接、接点がないと無理よ」
「まさか、接点の有無だけで内通者探そうとしているんですか? 神経を疑うんですが。いつまで過去のことダラダラ喚くつもりですか? 少しでも、彼女よりも実績を出してからにしたらどうです? 今のあなたは ダサいですよ」
沈黙が漂う。
「エリザ……配属初日でなんてことを……火に油を注ぐどころか、風で仰ぎやがって」
イーサンの小声の呟きが、静かなせいでやけに大きく耳についた。
「……なんですって? もう一回言ってみなさいよ」
「分かりませんでしたか。そうですか。なら、分かりやすく言いましょうか?」
エリザは首を傾げ、嘲るように笑った。
「過去、《《Σの三分の二を壊滅させた》》というハンデがあっても、あなたの戦績より遥かに上であるという、都合の悪いことは無視して責め立てるのは、どういう神経の図太さをしているんですか?」
顔を紅潮させたミラが、エリザに向かって食いかかるように睨みつける。しかし、エリザも怯まず口を開きかけた、その時――
「み、皆! 落ち着こう、な? 一回落ち着こう」
グレンの声が、一触即発の空気に割って入った。
会議室の空気がわずかに和らぐ。
「話し合うなら、皆の意見を聞くべきだ。そうだ、ルナはどうなんだい?」
全員の視線が、ルナに向けられた。
彼女は自身の手元に目を向けるばかり。
「何か思うところがあれば、何でも言ってほしい。な?」
数度まばたきを繰り返し、ルナはやがて、静かに口を開いた。
「私の不信感が拭えないなら、気が収まるようにしてもいい。Σを抜けてほしいというのが総意なら、抜ける。〈アポクリファ〉に不要というなら、抜ける」
ダミアンが面倒臭そうに言った。
「いや、それは一番の痛手になるから却下で」
しかし、ミラは嘲るような笑みを浮かべた。
「はあ? 何その煮え切らない返事。よくさらっとそんなことが言えるわ。それとも……理由作って古巣に戻るのが狙い?」
(……クソうぜえ)
怒鳴りそうになる衝動をごまかすために、ぎりぎりと爪が食い込んでいた拳で机を叩く。次の瞬間――
————バキバキバキッ……!
全員が慌てて立ち上がり、後退った。
何かと思って視線を向けると、円形テーブルが、叩いたところから大きくひび割れていた。亀裂が蜘蛛の巣のように広がり、テーブルの中央まで達している。
(やってしまった……)
机を壊したことを内心で反省はしながらも、話が中断されたことに、すっきりした。
「生産性のない話を、いつまでするんだよ」
この機会に、抱えていた言葉を吐き出してやることにした。
「とっとと話進めろよ」
先のお通夜よりも沈んだ空気になったが、あの空気よりも、まだマシだろう。
「皆、座ろう。な? 机は、拠点要員に私から修理を頼むから……と、とにかく、今は犯人探しはやめよう」
グレンは、眉尻を下げながら言った。
年長者の彼に従順ではないが、反抗的でもない。皆、黙って先まで座っていた場所に収まった。
「それにね、元〈ジャスティカーズ〉の人間というのは、僕にも当てはまる。アシュリーも、〈オリジン〉のアルベールとカトリーヌでさえも、そうなんだから」
その後は、淡々と話し合いが進んだ。
*
相変わらず、墓地の上は曇天のままだ。
ミラの提案は、やる気にならないものの、確かに内通者には有効だろうという判断に至った。SBP(Speculatio Binaria |Protocollum《プロトコル厶》)と名付けられたその制度は、全員可決で結局採用されることになった。
やはり俺は、ルナと組み、その上で隔週でイーサン、エリック――会議中、ほぼ突っ伏して寝ていたΣ最年少の男、そしてグレンが一人ずつ入り、三人での相互監視を行うことになった。
イーサンは、腹立つことが多いが別に良い。
エリックも、何を考えているか分からない奴ではあるが、別に気にならない。
グレンは、Σには珍しく協調性のある人間なので、行動しやすいだろう。
問題は、彼女。
固定で行動をし続けなければならないと思うと、胸に巣食う絡みに絡んだ感情が脈打つのだ。
「シン……」
背後から細い声が聞こえた。
「具合が悪いなら、無理せず休ん——」
「ちげえよ」
勢いで遮ってしまったが、彼女の目は凪のように揺れることさえなかった。
(ああ……誰か、心臓を入れ替えられる能力、持ってねえかな)
入れ替えられたなら、あの静かな目で世界が見れるのだろうか。
だが、それができない今、虚しさと惨めさの奥から、今にも湧き出そうとするそれを、押さえつけることで手一杯だった。
彼女と話をすれば、目を見てしまえば、この体を巡るモノを止めていた堰を失い、全てを吐き出してしまう気がする。それが、ひどく辛い。
「頼むから……必要最低限、話しかけないでくれ」
ルナは、すんなりと首を縦に振った。
「分かった」
一点の揺れもない静かな目が、真っ直ぐ見つめ返した。
また、虚しさが波紋のように広がった。
「シン、ルナ。もうすぐ、祈祷が始まるよ」
自分たちの間に流れる空気を知ってか知らぬか、イーサンがその間に入った。
「呆気ないよな……ほんの数日前に、一緒に飯食っていたのに」
並んだ二つの木杭――ヴィクターとセラフィーナを見ながら、イーサンは呟いた。
「せめて、元カレ元カノ、隣に眠れて良かったな……あ、いや、中身が入ってるのはヴィクターだけだから、隣じゃないか」
「……墓は隣だから、いいんじゃねえか?」
「ま、そうだね。二人ともあっちで、素直により戻していればいいんだけど」
(よりを戻す……?)
やつの言うことが、ぴんと来ない。確か半年くらい前に、セラフィーナに振られたと、ヴィクターから別れたことを聞いたが。
「なんでだ? ヴィクターは振られたんだろ?」
「え……? ああ、そっかそっか。シンはそういうの、ほんと鈍いからな」
うんうん、と頷きながら肩を叩かれる。なぜ、こいつはこうも、人を苛立たせるのが上手いのか。
「ルナは、知ってる——というより、気づいてたよね?」
ルナはまばたきを数度繰り返し、首を傾げた。
「うお、まじか……二人とも、他人が興味ないのか。本当にただ鈍いだけなのか、どっちなんだよ……」
「勿体ぶらずに、さっさと話せよ」
「はいはい、焦らない焦らない」
イーサンは肩をすくめた。
「別に。二人とも未練があるのに別れたんだろう、って。ただそれだけの話だよ。二人とも、お互いに視線がいってばっかりだったじゃないか」
言われてみれば、そんな気も……しなくはないが、あまりよく分からない。
ルナの顔をちらりと窺ってみたが、表情は一切変わっていない。
「二人とも、マジで心当たりがなさそうなんだが……とにかく、もう皆集まりだしてるから、行くよ。SBPが始まった以上、僕らの行動は連帯責任になるんだから」
背中を叩かれ、歩くのを促される。
「そういえば、セラフィーナの親族って来てるか知ってる?」
「……なんだよ、急に。知らねえよ」
「いや、副葬品少ないのは、親族にほとんど渡るからって話があったじゃないか。それなのに、それらしい人見てないなって思ってさ。ルナ、なんか知ってる?」
彼女は、無言で首を横に振った。
「ショックで来れなかった、とかかな……?まあ、あるあるといえば、あるあるだね」
脳天を、わずかな冷たさが刺激した。
曇天の空から、一つ二つと、雨粒が落ちてきたらしい。次第に強まっていくのだろうか。
先のことに頭が占領され、この上ない憂鬱さが体を襲った。
―――
(機密百科事典より引用)
〈精鋭部隊(Σ)〉
階級一覧∶ ※詳細は別頁を参照
〈アルティメイト〉∶Aggressor型
アルバロ・ペレス(1879-1916)のコードネームが元
〈プリマス〉∶Aggressor型
ダグ・イェンセン(1882-1923)のコードネームが元
〈レンパート〉∶Defender型
ローター・ブラント(1880-1912)のコードネームが元
〈バスティオン〉∶Defender型
アルベール・ヴィダル(1880-)のコードネームが元
〈センチネル〉∶Sensor型
チオマ・オコエ(1874-1914)のコードネームが元
〈プローブ〉∶Sensor型
チャイヤ(1879-)のコードネームが元
〈ノード〉 ∶Manipulator型
アルジュン・メータ(1877-1916)のコードネームが元
〈アンカー〉∶Manipulator型
イリヤ・ソコロフ(1881-1910)のコードネームが元
〈グリッチ〉∶Traverser型
ソ・ジフン(1883-1915 )のコードネームが元
〈エクリプス〉∶Traverser型
カトリーヌ・ラフォン(1889-)のコードネームが元
〈エバーレスト〉∶Regenerator型
テンジン・ノルブ(1872-1913)のコードネームが元
〈ファントム〉∶Xeno型
ギャヴィン・コノリー(1886-)のコードネームが元




