手
午前五時を過ぎたところ。晴れ晴れとした気分で部屋の外に出る。謹慎明けの朝だ。
たかが謹慎、されど謹慎。三日間、食事以外は個室で一人、ただ時間が溶けていくのを待つのはさすがに堪える。
Σであり、攻撃型能力である自分は、任務に駆り出されることが多い。だが、普段から休息は十分採れているので、ただひたすら暇。
ぼんやりと過ごすことが性に合わない俺にとっては、謹慎は地獄である。
ヴィクターは任務。
イーサンも、装備点検で〈ゼファリオン〉を翌日には出ていった。
唯一の外出機会の食堂では、ルナと顔を合わせることが多かったが、近くに控える番犬エリザに威嚇されるので、居心地がかなり悪い。
だが、それも日付が変わった今、解放されている。
浮き足立つのを堪えながらも、いつもの起床時間、自主訓練とルーティンをこなすことが出来るのだ。
演習場のある階層まで降りる。が——騒がしく動き回る足音に、足を止めた。
「とにかく、情報部と医師を全員叩き起こせ! 本部に通達を!」
カトリーヌの怒号が響く。人が忙しなく、行ったり来たりを繰り返している。
(何か、あったのか?)
誰かを捕まえ事情を聞きたいが、医療関係者ばかりで仕事の邪魔は出来ない。
問い詰めたい気持ちを抑えながら、事情を聴くため捕まえても良さそうな人間を探して、廊下を進む。
——――突然、通りがかった扉から、白い髪が飛び出してきた。
「っ……」
ぶつかる寸前で、ルナがくるりと身を翻した。
「ごめんなさい」
それだけ呟くと、彼女は素早く走り出す。反射的に、その腕を掴んだ。
「何があった?」
ルナは数度まばたきを繰り返す。
そして俺が掴んでいる、そのすらりとした腕は、逆に俺の腕を掴み、走り出した。
「おい! 待て、一体なにが……」
その瞬間、脳裏に茜色の景色が過ぎった。
『待て、待って!一体どうしたんだよ』
かつての状況のデジャヴが、全身を瞬時に覆った。
こちらが声をあげても振り向かず、ただ強引に腕を引かれる。
自分よりも華奢な後ろ姿に、問いかけても答えてくれない。
後ろから迫りくる何かから、追い立てられ、緊張で気が狂いそうな感覚——
――しかし、彼女の唐突な言葉に、現実へ引き戻された。
「ヴィクターが戻ってきた。腹部から、大量出血している」
「……は?」
ルナはこちらを振り返らず、続けた。
「意識はまだある。損傷から、既に二時間経っているみたい。ここに到着してから、急いで医師が治療に当たった。でも……」
彼女の言葉が途切れた。その先の、言わんとすることは分かってしまった。
任務で重傷を負うことも、死者が出ることも、決して珍しくはない。誰もが覚悟していることで、自分自身も常に隣り合わせに向き合ってきたものだ。
だから、ショックを受けつつも、受け入れられる。受け入れなければならない。
任務から隊が戻ってきたわりに、静かすぎる。聞こえるのは、〈ゼファリオン〉にいた人間の声ばかりだ。
「他の戦闘員は? やけに静かだが」
「タリクが、さっき緊急治療室に運ばれた。パイロットと准戦闘員が中軽程度の損傷。あとは、いない」
「そんなはずない」
口から思わずこぼれ出た。任務の詳細は知らないが、いくら少数精鋭でも、少なすぎるにもほどがある。
「他は、別拠点にでも行ったのか? セラフィーナも確か、ヴィクターと一緒の任務だろ? なら、セラフィーナとそのサポートメンバーもいるはずじゃ——」
話をしている間に、発着エリアにたどり着く。
ルナがこちらを振り返ると、真っすぐ見つめて口を開いた。
「私も詳細は知らない。けれど、彼らが参加した作戦は、失敗した。ここに戻ってきた四人以外は、全滅。〈オリジン〉のダグ、そしてセラフィーナも、現場で殉職した、と、ヴィクターがカトリーヌに報告を……」
——失敗。
ここまで虚しくなる失敗は、今まであったのだろうか。
つい数日前まで、一緒に任務にあたっていたというのに。口喧嘩をしたというのに。彼らは呆気なくいなくなったのだ。
言葉を飲み込もうとしている間に、発着エリアの中へと、ルナに腕を引かれるままに入る。
火薬の匂いと焦げ臭さが、鼻につく。機体の出入り口付近に、人集りが出来ていた。
すぐ近くに弾丸と煤にまみれた哀れな姿の航空機があった。前方の窓はひび割れ、使い物にならないだろうな、呑気なことを思った。
人集りのうちの白衣を着た医師が、こちらに気がつき、血の気を失った顔でこちらを見る。
「ヴィクター」
ルナがそう声をかけながら、人集りの間を縫っていく。
「頼まれたものを持ってきた……あと、シンを……」
「ああ……ありがとう、ルナ」
隙間から、掠れた声で返事をするヴィクターと、片目が合った。
もう片方の目は赤黒くなっており、見えない。
身体の震えを抑え込み、ルナの後ろを進むと、壁に背を預けたヴィクターの無残な姿が目に飛び込んできた。
脂汗がにじみ、青白い顔のヴィクターは、荒い息をしながらパイロットに笑いかけた。
「オットー。もう、あんたは医療区画に向かってくれ。破片がどっかから入っていたらどうする? せっかく守った、凄腕の老いぼれパイロットがいなくなったら大変だ」
「老いぼれとは失礼な……まだ五十八だぞ」
「前線に出ているくせに、そんなに長生きしているんだ。十分老いぼれだよ」
面白そうに笑うと、隣の少女に目を向けた。
「ミンユー。お前もだよ。せっかく無傷で帰還できる奴が一人はいると思ったら、庇って頭打ち付けやがって。准戦闘員は、大人しく守られているものなんだよ……お蔭でタリクが死なずに済んだ。ありがとう」
「私は、生き残りました。他の准戦闘員は、同期は死んだのに。私は生かされたから、それに相応しい働きをしようと思った。当たり前のことです」
「真面目だな。ラッキーくらいに思ってればいいのに……」
一つ息を苦しげに吐くと、ヴィクターは周りを見渡した。
「一人一人礼を言っていきたいくらいだが……やっぱり、さいごは静かに煙草を吸いたい。だから、ここでお別れだな」
いつもと変わらない、爽やかさを感じる笑み。
もうすぐそれが、なくなるのだと重くのしかかった。
「そうか……ありがとうな、ヴィクター。また会うその日まで」
オットーが、別れの言葉を残し背を向ける。
皆、未練を残したまま、それぞれ思い思いに声をかけ、ヴィクターから静かに離れていった。
発着エリアから出ていき、辺りはしんと静まり返った。
側にしゃがむと、今も鮮血を流し続ける腹部が目に入る。
少し苦しげではあるが、にやりと、ヴィクターは笑った。
「いいんだよ。たった三人でも、生きて還せたんだから」
(違う、そうじゃない……)
言いたいこと、言わなければいけないことがあるはずが、喉の奥に張り付いたまま、口からなかなか出ていかない。
「シン……」
ルナの声にそちらを見ると、煙草一本とライターを差し出された。
煙草を吸おうにも、ヴィクターの右腕は、ぽっかりと存在ごと失われているため、火をつけられない。
「最期に頼むものが、煙草かよ……あれだけ禁煙しろって言ったのに」
ようやく声が出たが、震えている上に、どうでもよい軽口になってしまった。
「あっちでは、ちゃんと、禁煙するさ」
「今まで出来なかったくせに、出来るわけないだろ」
「それも、そうだな」
死期を目前としているヴィクターの、いつもと変わらぬ言動に少し、息ができるようになった気がした。
しかし、先ほどよりも彼の言葉は途切れ途切れになってきている。
「じゃあ、私はこれで」
ルナは無機質にそう呟くと、背を向けた。途端に、胸元に風穴が空いたかのような心許なさが、押し寄せた。
知らずのうちに、自分の右手は、遠ざかろうとする彼女に向かって伸ばそうとしていた。
「ルナ、待ってくれ」
ヴィクターの声が、彼女をとめた。
それとともに呻くような声が聞こえ、ヴィクターを見ると腹部を押さえていた。声をかけようと、体勢を変えたせいで痛むのだろう。背中に手を入れ、支えてやる。
「君も、ここに残ってくれ……何度も共闘した、仲じゃないか……」
彼女は数秒の間、立ち尽くしていたが、側に戻ると俺の隣一人分を空けてしゃがんだ。
ヴィクターに煙草を咥えさせる。
ライターで火をつけさせてやると、彼は左手で煙草を持つと、満足げに息を吐いた。
「私は……」
ルナがぽつりと呟いた。
横目で見ると、ルナはヴィクターの膝元をぼんやりと見つめていたが、目に映っていない様子のまま、続けた。
「私は、行くべきだった……アルベールに逆らってでも、任務に、参加すべきだった……ごめんなさい」
「……確かに、ルナがいれば、助かっていた命が、多かったかもしれない」
ヴィクターは寂しげに笑った。
「でも、俺たちは、無駄死にするわけじゃない。強敵を前にすれば、ルナや、シンがいなくとも、闘える組織でないと、まざまざと分からせられた……けれどこの損失で、アポクリファは、また変わる、進化するのさ。作戦の、組織の弱さを、変えていく……そうやって、強くなるんだと思う……ゴホッ」
煙草の煙にむせたのか、咳をし始める。やめさせようにも、最後の煙草を取り上げることなど、出来ない。
「いやあ……俺って、バカだな……なんで、ルナをちらりとでも疑ったんだ? 顔を見れば、人柄を知ってれば、そんなわけないと分かるのに……」
「何のことだ?」
話の意味が読めず、思わず問いかけたが、彼は笑って首を振るだけだった。
「シン……俺は、お前と初めて会った時を、今もよく覚えてるぞ。妙に頭の切れる、バカ。大真面目なくせに、本当に面白い奴で……弟に、似ていたんだ。俺のせいで死んじまった、弟に……」
煙草の火を、地面に擦り付けて消すと、ヴィクターは俺の頭を乱暴に撫でてきた。
「前に、セラフィーナは、お前はやっぱり指揮に向いている、なんて言っていたけど……俺は、そうは思えねえな……その才能はあるが、向いてはいないさ……」
「こんな時まで、貶しかよ」
「褒めてるさ……お前が指揮官なんかやっちまったら……お前自身の、大事なものが守れなくなっちまうよ……」
撫でていた手がそのまま、優しく叩いた。
「シン……一番、大切なものが何か、見誤るなよ……たった一人の家族を、失ったバカな俺みたいに、二の舞いを踏んでほしくないんだ……」
「分かったよ、分かったから……もう、喋るな」
「本当か? 絶対だからな……」
ヴィクターは安心したように微笑むと、そっと手を下ろした。
「もう、辛いだろう?喋るな」
ヴィクターは静かに頷いた。
体に入っていた力が少し抜け、ヴィクターの体の重たさが、腕に伝わった。
——――突然、驚いたように、ヴィクターは虚空の一点を見つめ始めた。
「ヴィクター? どうし――」
「ああ……久しぶりだな……」
彼は、嬉しそうに呟いた。
「迎えに、来てくれたのか? こん、な、ひでえ、にいちゃん、を……」
「ヴィクター……?」
ヴィクターの目から、生気が失われていた。しかし、口元に笑みを浮かべたまま。
(弟に、会えたのか……?)
そうであるなら、せめてもの救いだろう。
胸の中に漂う空虚さが、己の大きな支えが失われてしまったことを突きつけてきた。
今のぼんやりとする頭では、何も受け止めきれない。
(俺は、もう全部失っているよ、ヴィクター……)
日常も、両親も、事業も、資産も全て失った。そして今、仲間であり親友であり、兄のような存在を失った。
(これ以上、何を失うって言うんだ……?)
ひどく嬉しげなヴィクターの死に顔を、俺たち二人はしばらく、静かに見つめ続ける他なかった。




