1章‐6
時は少しだけ遡る。
コツコツと革靴の音が鳴る。迷いのない足音は道を進み、曲がり角の前でカツッと音を止めた。そこで鈴木は道端で倒れる蒼を見つけた。
「國司」
目を細めながら周囲の気配を確認するが、住宅街らしく静かで虫の鳴き声しか聞こえない。名前を呼んでも反応がない。
頭から血を流し血だまりの中にいる蒼の口元に手を近づけると、掌に微かに息が当たる。微弱ながら心臓も動いていることを確認した鈴木が指を軽く振ると、緩やかに蒼の体が浮き上がった。
出血多量らしく顔が少し青白くなってしまっている。普通の人間ならば死んでいてもおかしくないが、元々蒼は体が強く更にはこの夏の間は鈴木に鍛えられていたので死なずに済んだのだろう。
「ふむ……」
蒼の傷の様子を確認し、鈴木は手のひらを蒼の額にかざした。
【La Fiel Nor Sia】
鈴木がそう唱えると、優しい緑の光が蒼を包みゆっくりと彼の傷を塞いでいく。微かだった息も安定し、青白かった顔色もほんの少し赤味を取り戻していた。
「うっ……」
「國司」
「せ、せんせ……?」
浮かべていた体を降ろし、背中を支えながら座らせてやると蒼は痛む頭を押さえながら目を開いた。ぼんやりと鈴木を見つめ、次の瞬間に目を見開き勢いよく立ち上がった。
突然立ち上がったせいで体が傾き倒れそうになるが鈴木に腕を掴まれなんとか踏み留まった。
「す、すみません」
「構わない。なぜ倒れていた?」
「!そう、そうだ!海ちゃんが危ないんです!」
「どういうことか説明しろ」
「俺を殴ったのはあいつです。立花」
蒼は自分が殴られる瞬間に、犯人の顔を見た。それはよく知る立花だった。その時の立花の表情は、恨みに満ちておりそれを見て蒼はずっと彼に対して抱いていた感覚の正体に気が付いた。
「あいつは、ずっと俺のことが嫌いだったんだ。海ちゃんの傍にいる俺が邪魔だったんだ」
「だからお前を殺そうとしたと?」
「そうです。だから、あいつは次は絶対に海ちゃんのところに行くはずなんです!」
「なるほど」
海を見る目と蒼を見る目。立花の目を思い出しながら蒼は鈴木に訴える。その様子を見て、鈴木はひとつ頷いてから蒼の首根っこを掴んだ。
「ぐえっ!せ、先生?!なに?!」
「黙っていないと落とすぞ」
「えっ?!」
鈴木がジャンプをするように地面を蹴ると、そのまま体が浮き上がり蒼は驚いて目を白黒させる。下から人が見えないくらいに上空まで浮かんでから鈴木は眼鏡を外して目を凝らす。
そして、ある場所に目を留めた。鈴木の目に映るマリンブルーの光。
そこに向かって鈴木は空を蹴るとものすごい勢いで推進していく。風を切るようなスピードに思わず蒼は悲鳴を上げる。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「うるさいぞ」
数分のうちに到着したのは高層マンションの最上階。掴んでいた蒼を離すと力が入らずに玄関先にべちゃりと無様な音を鳴らして落下した。
「せんせぇ……」
「ここに水郷がいるぞ」
顔面を打ち付け涙目になる蒼を尻目に鈴木がそう言うと、蒼は瞬時に立ち上がりドアノブを引っ張ったがもちろん開くはずもない。だが、蒼は足を振り上げてドアノブを思い切り蹴った。
鍵を壊そうとしているのか、もう一度足を上げたとき鈴木は指を鳴らした。その時、蒼はなにか温かいものが自分の体を包み込まれた感覚があった。
だが、勢いのついた蹴りは急には止まらず足は扉を蹴り飛ばす。そう、その通り扉は吹き飛び、轟音が鳴り響いた。
「え」
扉が飛んでいくとは思っておらず、蒼は足を上げたまま固まってしまった。だが、奥の方で聞こえた物音に我に返り部屋の中へ駆け込む。
奥の部屋で立花に首を絞められている海を目にした瞬間、蒼は思い切り立花を殴り飛ばした。海を抱き上げ、涙を零していると後から部屋に入ってきた鈴木に蒼は追い出されてしまった。
「水郷を連れて外に出ていろ」
「でも、先生!」
「國司、俺は二度は言わん」
「っ……!はい」
風通しのよくなった玄関先で海を抱えてしばらく経ったころ、鈴木は来たときと同じようにゆっくりと戻って来た。
蒼の腕の中で眠る海の額を優しく撫でて、鈴木は蒼を見る。目の端に溜まった涙があれど、絶対に海を離さないという意思を見せる蒼に軽く笑う。
鈴木が指先を蒼の額に当てると、こびりついている血の跡を水で綺麗に洗い流した。
「戻るぞ」
「え、あ、は、はい!」
行きとは打って変わり、マンションを降りた後に鈴木はタクシーを呼んだ。後部座席に蒼と海を乗せ、鈴木は助手席に乗るが身長のある鈴木はタクシーに体を詰め込んだ。
「いやぁ、お兄さん綺麗な顔してる上に背ぇ高いねぇ」
「ええ、おかげさまで」
滅多に見ない美丈夫に運転手は思わず感嘆の声を上げた。それに適当な返事をする鈴木を眺めていると、蒼は自宅のあるアパートまで戻って来ていた。
あまりにも早い展開に思考回路は追い付いていない。
「國司、水郷を寝かせてやれ」
「わ、わかりました」
アパートの古びた階段を上り、玄関が開きっぱなしの海の自宅へ戻る。しばらく海を抱きかかえたまま立ち尽くしていると、そう声をかけられて蒼は慌てて海を彼女の自室のベッドへ寝かせた。
海の首、白い肌に残る赤黒い跡に蒼は強く唇を噛みしめる。
こんなにも守りたいと思っているのに、どうして自分はいつもこうなんだろうと思う。いつだって、この手は一歩届かない。今回だって、鈴木がいなければ海は死んでいたかもしれない。
悔しい、と拳を強く握りしめたとき後ろから鈴木の声が蒼を呼ぶ。
「國司、いつまで女性の部屋にいるつもりだ」
「えぁっ!す、すみません!」
驚きに体が跳ねて、蒼は海の部屋を出る。居間に戻ると、鈴木が静かに佇んでおりじっと仏壇の写真を見ていた。
蒼はその背に向かって声をかける。
「先生」
「なんだ」
「先生はなんで俺があそこで倒れていたことを知っていたんですか?たまたまなわけ、ないですよね?」
「お前に付けていた"魔力痕"が壊れたから様子を見に来た」
「先生の髪って緑なんですね。学校では黒だったのに」
「日本では目立つからな」
こちらを振り向き訥々と、鈴木は蒼の質問に答えていく。眼鏡を外した鈴木の目は髪と同じエメラルドグリーンだった。蒼の知っている彼の目は黒色だったはずなのに。
「先生って、何者なんですか?」
「俺の名前はエメライド・シュタルム。お前が水郷海と呼ぶ子の兄だ」
「あ、に」
「あの子の名はアクアマリア・シュタルム。この世界の人間ではない」
鈴木――エメライドの言葉に蒼は立ち尽くすことしかできなかった。静寂の中、時計の針の音だけが大きく響いていた。




