1章‐7
「意味が、分からないですよ」
どれくらい沈黙していただろうか。数分のような気もするし、数時間のような気もする。ただ、蒼の声は震えていた。
ずっと鈴木だと思っていた教師がエメライドと名乗り、海の兄だと言う。そんなことを言われても信じることなんてできるわけがない。
「海ちゃんがこの世界の人間じゃないって、どういうことですか」
「言葉のままの意味だ。お前も薄々気が付いているだろう」
「そんな、こと……」
エメライドの視線に、蒼の言葉は詰まる。昔から、海はどこか他の人と違うことはあった。それでも、それは海の個性だとも言える。
ただ、蒼は海が「おまじない」で髪と目の色を変えているのを知っている。そして、立花は気が付いていなかったが、助けたときの海の髪は黒ではなくマリンブルーに戻っていた。
「こちらの世界の人間は、色変えの呪文は使わないだろう?」
「あれは、海ちゃんのお父さんが言ってたんです。大切な「おまじない」だって」
「……そうか」
仏壇の写真を見て、エメライドは一瞬悲しそうな表情を浮かべるが蒼はそれに気が付かない。
「それに、ま、まりょくこん、ってなんですか?」
「魔力痕は俺の魔力の跡だ。お前の中に埋め込んでいる」
「埋め、込んで?!俺の体になにかしたんですか?!」
「勘違いするな。別にチップのようなものを体内に埋め込んでいるわけではない」
「え、えぇ?」
なにがなんだかさっぱり分からず、顔をくしゃりと歪めるとエメライドは額に手を当てて深くため息をつく。彼も、そう簡単にこちらのことを理解できるとは思っていないがどうも蒼の想像は斜め上をいっているようだ。
「泣きそうな顔をするな。俺には魔力というものがある。分かりやすく言えば魔法を使うための源のことだ。それをお前に入れて、その魔力痕でお前の様子を見ていた」
「な、なんのために?」
「お前が一番あの子に近い存在だからな。観察をしていた」
「え?!覗いてたんですか?!」
「違う。いい加減にしろ」
ばっと自分の体を守るように抱きしめる蒼を見て、エメライドはイラついたように米神を揺らす。そして、蒼にその場に座れと指示をすると素直に正座をした。
エメライドも腰を下ろし、蒼を真っ直ぐに見つめる。緑の瞳は鋭く蒼を射抜き、部活で指導されていた光景を思い出し蒼の背筋が自然と伸びる。
「真面目な話だ」
「はい、すいません……」
「すべてを理解しろとは言わないが、あの子に関わることだ」
海のことだと言った瞬間、真剣にこちらを見る蒼になぜこいつはこんなにも妹のことが好きなのだろうかとエメライドは不思議に思う。エメライドは春からずっと観察を続けていたが、蒼は常に海の隣にいた。離れているときの時間のほうが少ないくらいに二人はそばに寄り添い合っていた。
「なぁ」
「はい?」
「……いや、なんでもない」
「そうですか?」
思わず蒼に聞いてしまいそうになった。お前のその行動源はなんなのかと。だが、いまはそれどころではないと思い直し、エメライドは首を横に降る。
こうして海の身が危険にさらされてしまった以上、ここには置いておけないからだ。
「俺はあの子を、アクアマリアを連れ戻しに来た」
「は……?」
先ほど鉄パイプで殴られた時よりも大きな衝撃だった。治してもらったはずなのに、頭が強く痛む。
なにを言っているのかが分からない。分かりたくもない。理解をすれば、海が自分の前から消えてしまいそうな気がした。
「でも、だって、海ちゃんの意思は?海ちゃんが帰りたくないって言ったら?」
「あの子の意思は関係ない。そもそも、この子はこの世界の人間ではない」
「でも!それでも!今まで生きてきて積み上げてきたものがある!海ちゃんの今までを、否定すんのか!」
「否定は、しない。しかし、これ以上世界の理を歪めるわけにはいかない」
「なんだよ、それ、そんなもの」
「世界には因果というものが存在する。元々、アクアマリアの存在はこちらの世界で生まれたもので、この世界には存在しない。存在しないものが世界に干渉し続けると、その世界の理が歪むことになる。その歪みが大きくなるにつれて、世界の存在自体が危険になる」
「なんだよ、それ……海ちゃんは、アクアマリアなんかじゃない、水郷海だ!俺の幼馴染で、俺の大切な女の子で、俺がずっと守るって誓ったんだ!」
「だが、すでに歪みは出ている。……立花がそうだ」
「なに、どういう……」
蒼はエメライドの襟元を両手で掴み怒号を上げる。しかし、エメライドはまるでそよ風が吹いているように涼しい顔をしたままで、それが気に入らなくて蒼は奥歯を噛みしめる。
だが、立花の名前が出て思わず蒼の力が緩んだ。エメライドが蒼の手を離すと、彼の腕は力なく垂れ下がる。
「あの男は、ストーカー気質なところはあったのだろうがそれでもそれ以上のことはできない男のはずだ。本来ならな」
エメライドは小さく蹲る立花と自分が燃やしたあの写真だらけの壁を思い出す。きっと立花はあの写真だけで満足していたはずなのだ。だが、海の存在そのものが立花の思考に歪みを与えていた。
「立花はごく普通の、ただのストーカーだった」
「……ストーカーは普通じゃないんですよ」
「まぁ、そうだが……それは今はいい。俺が言っているのは、あいつの思考はあの子によって歪められたということだ」
「歪められたって、別に海ちゃんはなにもしてないじゃないですか。あいつが勝手に絡んできてただけで」
「いいや。立花がこちらの世界の人間だからこそ、あの子の魔力に中てられたんだ」
「魔力……?」
「魔力、というよりも祝福……いいや、あれは呪いだな」
エメライドが顔を歪めているのを見て、蒼はほんの少し驚いた。蒼の知る先生だったころのエメライドは感情を出さずつねに無表情だった。なににも心を動かされないような、冷たい男だと思っていた。だが、いまは心底忌々しいという顔をしている。そして、重々しく口を開いた。
「神話の時代。神々が愛した一人の人間がいた」
「え、え……?」
突然始まった昔話に蒼は驚くが、エメライドは至極真面目に語るので蒼もまたその場に大人しく座り直した。
「すべてを平等に愛し、慈しみ、祈りを聞かされるだけの神々のことも、その人間はひとつの存在として愛した」
「初めて愛される喜びを知った神々は、愛し子を神に召し上げようとしたが愛し子はそれを拒んだ。愛し子は人間として生きていたいと願ったからだ」
エメライドの昔話を聞きながら、その愛し子はまるで海のようだと蒼は思った。
「そして、人間としての寿命を終えて愛し子は死んだ。大層悲しんだ神々は、愛し子のために愛してくれた礼に、愛し子の魂の欠片を持って生まれた者に祝福を与えた」
「生きとし生けるものに愛され、その愛で世界さえも手にすることができるほどの祝福。"祝福の子"と呼ばれる存在、それがアクアマリアだ」
まるで信じられない話だった。話を聞く限りでは、海はどんな人間からも好かれていると言わんばかりだった。学校では聖母と言われてはいたが、それを妬み、嫌悪したりする人間だっていた。
あらぬ噂を広められて、いじめを受けていた時だって確かにあった。その度に蒼はそんな人間を蹴散らしていた。
「そんな、全部の人間から好かれるなんてそんなことはありえないですよ」
「そうだな。人間には複雑な感情がある。それ故に祝福が及ばない者も確かに存在する。だが、逆に言えば本能に近い行動原理で生きているものにはすべて受け入れられる。特に動植物にはな」
海が育てる植物はすべてが青々と成長する。動物は我先にと海に駆け寄りその頭を差し出す。
「そして、立花はその祝福によって強い影響を受けて、思考を歪められた」
それを聞いて、蒼はもうなにも言えなくなってしまった。
次回の更新は7月18日(土)~19日(日)の予定です。
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