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1章‐4

 その衝撃を、僕は一生忘れることはないだろう。

 桜の花びらが舞うあの日、僕は女神を見つけた。

 まるで桜から生まれた聖なる存在のようで、彼女を見た時、僕は彼女に出会うために生まれたのだと確信した。

 ただ見つめることしかできなかった僕の方を見て、彼女は微笑んでくれたんだ。その瞬間、体中の血液が沸騰しそうなくらいに燃え上がり、今すぐにでも彼女を自分のものにしたかった。

 なのに、それなのに。


「くそっ、邪魔だ、邪魔なんだ、邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ……國司蒼っ……!」


 僕の美しき女神には忌々しい虫が付いていた。國司蒼、彼女の幼馴染だというあの男は常に傍に纏わりついていた。ただのガキのくせに僕に対して警戒をしているような目で見てくるのも気に食わない。まるで彼女が自分のものだというような、あの目が。彼女の隣にいるべき存在は僕なのに、僕こそがふさわしいはずなのに。こうして写真を撮ることしかできないなんて。

 壁一面にある彼女の写真一枚一枚を撫でていく。レンズを通しても彼女の神々しさや美しさは変わらない。すると、ふと彼女の隣に映る國司蒼の姿を見て、腹立たしさで唇を噛みしめる。

 口の中に鉄の味が広がって、じわじわと喉に流れ込んでくる。喉を通る血液に、きっと彼女の血液は甘美な味がするのだろうと想像した。

 あの美しい姿形。滑らかな髪。すべてを包み込む声と心。そんな女神に流れるものはきっと神聖なものだろう。


「ああ……!僕の女神、どうすれば貴女は僕の愛に気が付いてくれるのか……!」

『奪ってしまえばいいのよ』

「は……?」


 ひどく美しい声だった。その美しい声は、耳の奥から脳に響くように僕に語りかけてくる。

 心の中を見透かすように、声は心を脳を、感情をどろどろと溶かしていく。背筋に震えが走り、僕はその声に快楽を覚えていく。


『欲しいのでしょう?望むのでしょう?ならば奪ってしまえばいいのよ』

「奪う?どうすれば、どうやれば、彼女を傷つけたいわけじゃない……」

『別にその子を傷つけなくてもいいのよ。"邪魔なもの"を壊せばいいだけだよ』

「"邪魔なもの"……そうか、あいつさえいなくなれば!」

『ええ、そうよ。そうすれば、あの子は永遠に貴方のものになるわ』


 楽しそうに笑う声に、僕も笑みを返す。素晴らしい、なんとも素晴らしい助言だった。

 天啓のようなその声の主に僕は恭しく頭を下げると、声は美しい声で僕の背を押してくれた。


『いいのよ。貴方の成功を世界の裏から願っているわ』


 決行は、八月二十三日。



「海ちゃん!」

「蒼くん。お疲れ様です」


 夏休みも半分が終わり、八月に入ってしばらく経った頃。剣道部はインターハイで好成績を残すことができ、団体戦では優勝、蒼個人も三位入賞を果たしていた。

 海も蒼の応援のために会場まで訪れていた。彼の雄姿を見守っており、蒼が一本を決めた瞬間、大きく拍手をした。その音が聞こえたのか、海が拍手をしてから俄然蒼の動きがよくなっていたと、引率をしていた鈴木は後に語った。


「おめでとうございます。ちゃんと見ていましたよ」

「ありがとう!はい、これ個人メダル」

「似合いますか?」

「すごい似合う!強そう!」

「お前たち、馬鹿をやっていないで行くぞ」


 閉会式と表彰式も終わった後、制服に着替えた蒼は会場の外で待つ海を見つけて駆け寄った。表彰式でもらったメダルを海の首にかけて蒼は満足そうに笑った。

 こうして結果を残せたことで自分がまたひとつ強くなったように感じるし、部長に対しても恩を返すことができたと思う。二人で笑い合っていると、呆れた顔をした鈴木が声をかけてきた。

 他の部員は既に帰っており、会場に残っている人もまばらだった。なので、三人で並んで駅に歩いて行く。


「先生、明日の打ち上げに来ますか?」

「いいや。そういう場に教師はいない方がいいだろう」

「でも、今回は先生の指導もあっての試合だったと思います」

「私は大したことはしていない。お前たちにそれだけの基盤があったということだろう。ただし、羽目を外し過ぎないように気を付けること」

「え、先生?」

「では」


 蒼が鈴木を部活の打ち上げに誘うも鈴木は首を横に振り、蒼に封筒を渡して一人で改札を抜けて去って行ってしまった。

 封筒には綺麗な文字で「慰労費」と書かれており、中には二万円と一枚の紙が入っていた。それを見て、蒼は目を見開き海と顔を見合わせた。


「『残った金額は部費の足しにすること』……鈴木先生って、何者?」

「えっと、数学の先生……でしょうか」                           

「普通の数学教師は生徒の打ち上げ代に二万も出さないよ……」


 翌日の打ち上げでは部長に鈴木から受け取った封筒を渡すと同じように唖然としていた。

 そうして日々が過ぎ、夏休みも終盤になり蒼は積み上がった課題を無表情で見つめていた。夏休みの始めのころは少しずつ課題は終わらせていた。

 だが、段々と部活が忙しくなり後回しにされていく課題。そしてインターハイが終わりしばらくゆっくりと過ごしていたが、蒼がほったらかしの課題を思い出したのは海の誕生日当日だった。

 朝、アパートの上の階にある海の家を訪ねて中に通してもらう。


「海ちゃん、お誕生日おめでとう!」

「ありがとうございます」


 携帯電話を持っていない海にはおめでとうメールを送ることができない。父親が亡くなったいま、海を一番初めに祝えるのは蒼だった。

 だが、いまの状態では海を十分に祝うことができない。蒼は小脇に抱えた課題をぎゅっと握りしめる。


「海ちゃん、課題どう?」

「終わっていますよ」

「うっ……手伝ってぇ~!」

「いいですよ。今年は課題増えましたからね」

「こんな日にごめん……」

「いいんですよ。飲み物を準備するので先に座っていてください」

「うん」


 台所へ向かう海に頷きながら蒼は居間へ向かう。同じ間取りなので迷うことはなく、居間にある仏壇の前で蒼は手を合わせる。

 海の父親は海と同じでとても穏やかで優しく、母子家庭の蒼親子のこともよく助けてくれていた。きっと父親というものは彼のような人なのだろうと蒼は幼心に思ってた。

 彼が交通事故で亡くなった日、海と蒼は二人で長いこと泣いていた。


「蒼くん?どうかしましたか?」

「んーん、なにもないよ」

「そうですか?じゃあ課題、頑張りましょうか」

「お願いします」


 飲み物が入ったグラスをお盆に乗せた海が、仏壇の前に立ち尽くしている蒼に首を傾げた。それに蒼は笑顔を浮かべながらなんでもないと横に振った。

 そのあと、夕方にはあらかた片付き残りは蒼ひとりでもなんとかなりそうな量に減った。集中をし過ぎて疲れ果てたように蒼はシャープペンを置いて机に突っ伏した。


「お疲れ様です」

「あぁ……終わった……ありがとう、海ちゃん」

「これくらいお安い御用ですよ」


 ふと壁にかかる時計を見て、蒼は慌てたように立ち上がり玄関に走る。突然の行動に海は驚いて目を丸めた。


「蒼くん?」

「ごめん、ちょっと出てくる!すぐに帰るから待ってて!」

「分かりました」


 躓きながら靴を履き蒼は家を飛び出していく。海のために予約をしていたケーキ屋が閉まってしまうまでもう時間がない。

 今日は失敗続きだと頭を抱えながら走り、商店街へ向かう道の角を曲がると視界の端に黒い陰が映った。夏なのにコート着て帽子を深く被ったまさしく不審者の装いだったがいまの蒼が気にしている場合ではなかった。少し気になりながらも前を通り過ぎたとき、なにかを振り上げる重い風音が耳を掠めた。

 蒼が後ろを振り向いた瞬間、鉄パイプが目の前に迫っていた。

「は……?」



 机の上を片付けているとガチャンと食器の割れる音が響き、海は顔をほんのりと曇らせた。


「あっ!割れちゃった……」


 蒼が使っていた割れたグラスからお茶が零れ、机から滴り落ちカーペットに滲み濡らしていった。なんだか不安な気持ちになり、海はぎゅっと胸元のネックレスを握りしめた。

 その時、静寂を破るようにインターフォンが鳴り響いた。

次回は7月11日(土)~12日(日)の間に更新予定です。

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