4章‐6
カイラムの母親の名はリコリス・ローズグレイという。アマリリスの妹であり、カイラムは本来シュタルム家とは従弟という間柄だった。
ローズグレイ家は祖母にシュタルム家の人間がおり、シュタルム家の傍系として家格のある家柄だった。だが、その家柄を窮屈に感じたリコリスは平民の男と駆け落ちをした。
当時、駆け落ちをしたリコリスに対してローズグレイ家当主は大層怒り、そのまま勘当を言い渡していた。姉妹仲が良かったアマリリスにも妹を探すこと禁じていた。
それから数年が経ち、父親が亡くなったあとにアマリリスがリコリスを探すとそこにはもうリコリスはいなかった。その代わり、小さく痩せ細ったカイラムがいた。
駆け落ちをした男はリコリスの金目当てで結婚をしたようで、実家から勘当をされ金がないと分かった途端に態度を豹変させ、リコリスに暴力を振うようになった。それは子供が生まれてからも変わらず、日々暴言や暴力を浴びせていた。そして、アマリリスが探し始める一年前にリコリスは亡くなり、当時五歳だったカイラムだけが残されていた。
リコリスの最期にアマリリスはひどく後悔し、カイラムの親権を父親から取り上げシュタルム家に迎え入れた。
「アマリリス様とジェイル様は僕にとてもよくしてくれた。けれど、どれだけ頑張っても、どう足掻いても、僕は直系の人間にはなれない」
ジェイルとアマリリスは温かく迎え入れてくれて父上、母上と呼ぶことを許してくれた。エメライドも本当の弟として大切にしてくれた。だからこそ、カイラムはこの家を守るためならといままで必死だった。海が戻ってきたことも喜ばしいことだと思っている。だからこそ、不安が募る。自分はもう、この家には必要のない人間なのではないかと。
目の前でこちらを見つめる海をカイラムは直視することができない。こんな醜い感情を知られたくなかった、見られたくなかった。
「君なんて、見つからなければ、帰ってこなければ、よかったのに……!」
「カイラム様……」
「そうすれば、僕はずっと、ずっと……!」
「カイラム様、自分を傷つけることはもうやめてください」
「っ!」
ずっと動かなかった海がカイラムに近寄り、そっと頬に手を添えた。突然のことに驚いて、思わずその手を振り払いそうになったが体が動かなかった。
頬から伝わる温もりが、とても優しくてそしてとても懐かしかった。海を見やると、彼女はとても悔しそうな顔をしていた。
「……なんで、君がそんな顔をしているんだ」
「カイラム様が泣いているからです。私のせいで、カイラム様が心を痛めているのが、辛くて」
「泣いて……?」
カイラムが自分の目に手をやると、そこから涙がとめどなく流れていて海の手を濡らしていた。止めようと思っても、涙はカイラムの意思に反して流れ続ける。
そのまま海は、涙を拭うようにカイラムの頬を撫でた。
「私は、父と母を知りません。育ててくれた父が叔父だということもつい最近知りました。それでも、私はいままでずっと育ててくれた父を本当の家族だと思っています。カイラム様だってそうでしょう?」
「……ああ……僕にとっての父はジェイル様で、母は母さんとアマリリス様だ……」
「だったら、私とカイラム様も、家族になれませんか……?」
海のその言葉は、カイラムの心を包み込んだ。そしてカイラムは思い出す。それはシュタルム家に引き取られた日、アマリリスは「これから家族になりましょう」と言ってカイラムを抱きしめてくれた。そのとき、カイラムはアマリリスに縋って泣きじゃくっていた。ずっと忘れていた、大切な記憶。
「僕は……、ぐっ!」
「カイラム様?!きゃっ!」
カイラムがなにかを言おうと口を開いたその瞬間、その口からどろりと泥が溢れ出した。カイラムは泥に触れさせないように、咄嗟に海のことを突き飛ばすと海はバランスを崩して倒れ込む。
強かに体を打ち付けてしまったとき、蒼の声が響き渡り海は驚いて振り返る。
「海ちゃん!」
「あ、蒼くん?!」
「大丈夫?どうかした、って、え、カイラム様?」
座り込んでしまった海を起こすために膝をついた蒼だったが、泥を吐き出しているカイラムを見て驚いて目を丸めた。海は、その泥になにか嫌な予感がして汚れることも厭わずにカイラムの口に自分の手を突っ込んだ。
「海ちゃん?!」
「カイラム様、全部吐いてください!」
「がっ、ぐっ……!」
喉への刺激にカイラムは苦しさを覚えながらも胸から沸き上がる吐しゃ感のまま泥を吐き出した。溜まった泥をすべて吐きだそうとすると、喉になにが詰まった。
それが泥を吐き出す邪魔をして、カイラムの呼吸が止まりそうになる。それを見た海が蒼に向かって叫ぶ。
「蒼くん、カイラム様の背中を叩いてください!思いっきり!」
「分かった!」
海の言葉に一も二もなく頷いた蒼は、渾身の力でカイラムの背中を叩いた。その衝撃で、喉に詰まっていたなにかとともに残りの大量の泥がカイラムの口から吐き出された。
「……ごほっ!ごほっ、かはっ……!」
「カイラム様!カイラム様!」
そうして力尽きたカイラムは、海の腕の中に倒れ込み泣きそうな顔をする"妹"に向かって微かに笑みを返して意識を手放した。
カイラムはずっと不安だった。いつ自分が捨てられてしまうのかと。
母を亡くしてから、父から与えられる暴力を耐える日々を送っていた。そんな地獄のような日々から救ってくれた人たちに報いるために生きてきた。
だからこそ、本当の家族が帰ってきたら自分になど見向きもされずに捨てられて、忘れられてしまうのではないかと。
ふとカイラムが目を開けると、そこは自室だった。どうやらベッドに寝かされているようで、窓からは朝日が差し込んでいて、その光で目がチカチカとした。
少しの間ぼんやりとしていたが、手が温かいことに気が付いてそちらを見るとカイラムの手を握りしめて海が突っ伏して眠っていた。驚いて目を丸め、部屋を見渡すとエメライドもベッドのそばに椅子を持ってきていて、そこに座って眠っていた。カイラムを心配しているかのようにそばにいてくれる二人を見て、カイラムはまた一筋涙を零した。
最初から、自分の居場所はここだったのだ。
「春からお前たちには学園に通ってもらう」
「学園、ですか?」
「ここ、学校なんてあるんですか」
「当たり前だ。世界は違えど教育機関は存在する」
パーティが終わり、カイラムとのすれ違いも解消したとある日。突然呼び出された海と蒼はエメライドからそう言われ二人揃って首を傾げていた。
そんな二人に笑いながらカイラムは書類を渡す。
「これは編入志願書だよ。説明するから一緒に書いていくよ」
「えーっと、そもそも学園ってなんなんですか?」
「学園こと、ヴェルネシア国立学園は王国に住む子供が全てが入学する全寮制の学校だ」
エメライド曰はく、「教育に関して世界が違っても大して変わらん」とのことで入学は国民の義務であり、通常は6歳で入学し18歳で卒業らしい。
もちろんそれは海と蒼にも適用され、学園に編入することになった。
「でも、俺たちここに来てもう半年以上経ちますけど、いまなんですか……?」
「それは君たちがこの世界に慣れるための期間として時間を設けてほしいと国に申告していたからだよ」
「俺は学園の存在も忘れていた」
蒼の疑問にカイラムが答えると、エメライドは悪びれることもなくそう言った。それに、この家を支えているのは本当にカイラムなんだなと蒼は思った。
エメライドは締めるときは締めるが、基本はわりと適当だ。それをカイラムがうまく補佐している。
「家庭の事情や異国から王国へ移動してきた子供に対しての外部編入試験があるから、二人もそれを受けてもらうからね」
「分かりました」
「はーい」
カイラムに言われ、海と蒼は素直に返事をする。蒼がちらりと海を見ると、海の表情は明るくどこかそわそわとしていた。
「ね、海ちゃん」
「なんですか?」
「嬉しそうな顔してる。楽しみ?」
「はい、とっても!」
海はまだ見ぬ学園の人々を思い浮かべて、新しい友人ができたらいいなと心を躍らせていた。そんな海を蒼は優しい目をして眺めていた。
これから先、なにがあったとしても二人でならばなんとかなるだろうと思いながら。
「あーあ。やっぱり駄目だったのね。芽吹く前に吐き出されちゃった。まぁ、上手くいくとも思っていないけど」
誰もいないその空間。時間の概念もない亜空の中で、女は一人つまらなさそうに呟いた。
「ま、始末する機会なんてこれからもあるから構わないんだけど。人間って本当にしぶといわよねぇ……。人間なんて早くぜーんぶ滅びればいいのに!」
そんなことを言いながら、女は手の中にある黒い薔薇を握りつぶした。
第一部完。続きはまたしばらくしたら更新します。




