4章‐5
海は昔から体を動かすことが苦手だった。あちらの世界での体育の授業では怪我をすることも多く、よく保健室に通っていたものだった。
そんな海だったが、こちらの世界へ来てから一つ分かったことがある。彼女は、ダンスがとても上手だった。
体幹がしっかりしていて姿勢もよく、ステップの覚えも完璧だった。パーティの準備の一環としてダンスの練習をしていたとき、相手役を務めていたエメライドも驚いたものだった。
「随分と慣れているように感じるな?」
「昔、お父さんとダンスパーティごっこをやったことがあるんです。私がお姫様に憧れていた時期があって」
「そうか、それは可愛らしいことだ。ならば、少し難しいステップでも大丈夫だろう」
「わっ、わぁ……!」
そんな遊び心を重ねながらエメライドと練習を重ねた成果が今日のパーティだった。
主催者としてファーストダンスを披露する際、周囲の人間はまだ海のことを侮っていた。見目が美しいだけでは、社交界の中では生きていけないと。
煌めくシャンデリアがホールを照らし、オーケストラが奏でる極上の音楽、多くの招待客の視線の中で海はエメライドの手を取り、緩やかにステップを踏み始めた。
海がくるりと回ると、それに合わせて水の波紋のようにドレスの裾がふわりと広がり、滑らかなステップは優雅に氷の上を滑っているようだった。海の可憐さとエメライドの美しさが重なって、二人の周りはキラキラと光っているように見えた。まるで幻想的なその光景に、辺りから感嘆の声があがった。
上手くできているか不安になって海がちらりと視線を上げてエメライドを見ると、視線に気が付いたエメライドは目を細めて笑った。それに安心した海もまた微笑みを返した。
音楽の終わりとともに動きを止めると一斉に拍手が鳴り響く。エメライドがその拍手に応えるように一礼をするので、海も同じようにドレスの裾を持ち綺麗なカーテンシーを見せた。
「良いダンスだったぞ、アクアマリア」
「とてもよかったですよ。練習の甲斐がありましたね」
「えへへ、ありがとうございます」
そうしてファーストダンスが終わり、エメライドに褒められながらダンスホールを後にすると、二人のダンスを見ていたカイラムも拍手をする。珍しくカイラムが褒めてくれたので、海の頬が嬉しそうに緩んだ。その後、他の招待客も思い思いにダンスに興じていると、今日一番の来賓客が到着をしたことを知らせる声が響き渡る。
「ティリア国王陛下、クラウディア女王陛下の御成です!」
メインホールに入ってきたティリアとクラウディアにその場にいた全員が王家に対しての礼をする。それにティリアが頷き、エメライドたちの方に向かって歩を進める。
「エメライド、カイラム、久しいな。招待感謝する」
「こちらこそ、遠路はるばるご足労いただきありがとうございます」
「突然の招待に応じていただき感謝しております」
「祝いの席だ、構わんよ。それで、君が?」
エメライドとカイラムが一礼をすると、ティリアは朗らかに笑いエメライドの肩を叩く。それに嫌そうな顔をするエメライドにまた笑い、それから神秘的な紫の瞳が海を見る。
「お初にお目にかかります。アクアマリア・シュタルムと申します」
海は突然こちらに視線が向いたので、緊張しながらもカーテンシーをするとティリアに寄り添っていたクラウディアが海の頬に手を添えて微笑んだ。
その微笑みは海がいままで見たことがないくらい美しかった。エメライドも美人ではあるが、クラウディアはまさしく美女と呼ぶに相応しい女性だった。
「あらあら、なんて可愛いのかしら。ねぇ、陛下」
「ああ、そうだな。きっと君は母君と同じように社交界の花となれるだろう」
「ありがとう、ございます……?」
「私の妹にいらないこと吹き込まないでください」
「ははっ、お前は昔から手厳しいなぁ」
ティリアとクラウディアの褒め言葉に、海はよくわからずに首を傾げる。それにエメライドは心底嫌な顔をして自分の背中に隠すと、ティリアはまた勢いよく笑った。
クラウディアはティリアがエメライドと海の方に意識が向いていることを確認し、カイラムに声をかけた。
「貴方も元気そうね、カイラム」
「はい。クラウディア女王陛下は本日も麗しく」
「まぁ嬉しい。私は貴方には嫌われていると思っていたから」
「まさか、そんなことはございませんよ」
クラウディアの言葉に、カイラムは一瞬肩を揺らすがそれを悟られないように気のせいでしょう、と笑みを返す。すると、クラウディアはそっとカイラムのそばに寄り、彼にだけ聞こえるように耳元で囁いた。
「でも、本当によかったの?この子が帰ってきて」
「なに、を……」
「ふふ、自分の心には正直になったほうがいいわよ」
さきほどよりも動揺を隠せず、顔が強張るカイラムの胸元を指先で押しながらクラウディアは笑った。固まったまま動けずにいるカイラムに妖しげな笑みを残してティリアの腕を引いた。
「陛下、そろそろ行きませんと」
「そうだな。では皆また会おう」
ティリアはそう言ってクラウディアを伴いその場を後にした。それから他の招待客にも声をかける姿を見て、エメライドは面倒事がやっと終わったとばかりに深いため息をついた。
そんなとき、エメライドはとある人物の姿を見つけた。
「少し席を外す。自由に過ごしていなさい。アクアマリア、誰かに声をかけられてもついて行かないように」
「はい、分かりました」
「カイラム、すまないが少しの間頼む」
「畏まりました。行ってらっしゃいませ、兄上」
素直に頷く弟妹にエメライドは頬を緩めて、二人の頭を撫でてから人混みの中に入っていった。その後ろ姿を見送ったあと、カイラムは踵を返して会場から外に出て行ってしまった。
去り際の横顔がいやに青ざめていて、海は思わずカイラムの後を追った。
「カイラム様」
「……駄目だろ、パーティの主役が会場を出てきては」
「カイラム様の顔色が悪く見えて、心配になったので……つい……」
「そう……」
ふらふらとした足取りでカイラムがやって来たのは屋敷の中庭にある噴水の前だった。水面を眺めるカイラムに海がそっと声をかけると、どこか疲れたような顔で振り向いた。
海の心配そうな顔を見て、カイラムは力なく頷くが心の中からはどろどろとした泥が溢れ出す。素直な海は、本当にカイラムのことを心配してくれているのだろう。
だが、その綺麗な心が余計にカイラムの醜い胸の内を浮き彫りにしていく。一歩海がこちらに近づいたときカイラムは彼女を睨みつけた。
「やめてくれ」
「え……?」
「これ以上、僕を惨めにさせるのはやめてくれ」
「そ、そんなことは」
「僕は、君のことが嫌いだ。だから僕にもう構わないでくれ」
カイラムの強い言葉に、海はびくりと体を揺らす。嫌われること自体は、海にも経験がある。海はすべてを愛しているが、その愛がすべて受け止めてもらえないことも知っている。
けれど、この世界に来てから、家族だと言われたとき父の他に家族がいたことがとても嬉しかった。だからこそ、カイラムから強い敵意を向けられていることがとても辛く感じてしまう。
「私が、違う場所で育ったからですか……?」
「いいや。君がどこで育ったかなんて関係ない。そこから違うんだよ。いいかい?そもそも、僕と君には血の繋がりはない。僕は、君の兄なんかじゃない」
嘲笑するようなカイラムに、海は凍り付いたように動けなくなってしまった。
「んー?」
会場を見回り警備をしていた蒼は、胸の中に靄がかかったような感覚に首を傾げる。様子のおかしい蒼に、隣にいたカークが声をかける。
「どうした、アオイ」
「うーん。なんか、海ちゃんが困ってる気がするんで行ってきます!」
「はぁ?!おい!アオイ!」
そう言って走って持ち場を離れる蒼をカークは止めようとするが蒼の足の方が速く、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
いま海がどこにいるのか分からない。ただ、この胸騒ぎがする方向に行けばいいことだけは分かる。蒼はさらに加速しながら海が無事であることを願っていた。




