4章‐4
「ところで、写真は撮らないんですか?この素晴らしい姿を納めないと」
「國司、この世界に、カメラはない」
「えっ……?!」
海のドレス姿に見惚れていた蒼がハッと気が付いてエメライドの方を振り向くと、彼は残念そうに目を伏せて重々しく首を横に振った。
それに蒼はこの世界に来てから一番の衝撃を受け、信じられないというようによろめいた。
「こ、こんなに可愛いのに?」
「そうだ」
「こんなにも美しいのに?」
「そうだ」
「こんなにも麗しいのに?」
「そうだ」
「そんなっっ!嘘だ!」
膝から崩れ落ち床を叩いて悔しがる蒼の背に手を添えて頷くエメライドに、カークはもうどうしようもないと深くため息をついた。
海はどうしたらいいか分からずにおろおろと悔しがる二人とマダム・ローズを交互に見やると、見かねたマダム・ローズが注意を促すように手を叩く。
「ほらほら、あまりレディを困らせるものではありませんよ」
「す、すみません、マダム……」
「いいんですよ。お嬢様が可愛らしいのは事実ですもの。さぁ、着替え直しましょうね」
マダム・ローズに連れられて試着室に戻った海は、元々着ていた服に着替えさせてもらう。海の身支度を待つ間、カークは蒼の頭に拳を落としてから引っ掴んで立ち上がらせる。
カークの重い拳の衝撃は蒼の頭蓋骨を貫通して脳を揺らし、蒼は声にならない悲鳴を上げる。
「いっ~~~~!」
「お前なにをしてんだ。いまは仕事で来てんだから慎め。訓練所で留守番させたほうがよかったか?」
「……すい、ません……」
「エメル、お前ももう少し面子を気にしろ。ここの店の従業員はよく育てられているから大丈夫だが、侯爵家が舐められるだろうが」
「すまん……」
こそこそと周りに聞こえないように小声で怒るカークに、蒼は頭を押さえながら涙目になりながら謝り、エメライドは少し不服そうにしながらも頷いた。
だが、まるで反省はしていない顔をしているのでカークの胃がきりりと痛んだ。
海の支度が終わり屋敷に帰るためにエメライドと海は馬車に乗り込んだ。そして、カークと蒼は馬に跨り馬車に追従するようにゆっくりと歩きだす。
最初は馬にも乗れなかった蒼だったが、とても賢い侯爵家の馬に蹴られ怒られながら徐々に乗馬の腕を上げていた。
「アオイ」
「ん?なんですか?」
「前から気にはなっていたんだが、お前はなんでエメルのことを先生なんて呼んでんだ?」
「え、あー……」
しばらく歩いたところで、不意にカークにそう尋ねられ、蒼は言葉を濁しながらどう説明したものかと考える。
偶然が重なって蒼はエメライドと普通に接することができているが、本来ならこの世界の貴族であるエメライドとは蒼が望んでも話すらできない立場の人物のはずだった。
それでも、蒼にとってエメライドというのは、授業での教え方は上手くて、学校中の女性から憧れられて、部活ではわりと真面目に指導をしてくれていた「鈴木翠」という教師だった。
「先生は、先生だからですかね」
だからこそ、これ以上の説明は蒼にはできなかった。きっとこれから先もエメライドは蒼にとっては頼りになる先生なのだろう。
「はぁ?」
それにカークは訳が分からないというように首を傾げるのだった。
パーティの準備はつつがなく進んでいく。侯爵家で行われるパーティが久方ぶりで使用人たちの強い意気込みも伝わってくるようだった。
そんななか、カイラムは今日も執務室で書類に埋もれていた。ノック音が聞こえて適当に唸り声のような返事をすると、そっとローシュが執務室へと入ってきた。
「カイラム様」
「ん、ああ、どうした?」
「こちら今回のパーティの賓客リストです」
「すまない。……ああ~……王家が来るのがめんどうだな」
「それでも呼ばないわけにはいきませんから」
ローシュから長いリストを受け取って一つ一つの名前を確認していく。その一番上に燦然と輝くように見える王家の名前に、カイラムは深いため息をつく。
カイラムは昔から王家、とくに王妃が苦手であるため、当主代理を務め始めてからも必要最低限の交流しかしてこなかった。今回もよければどうですか、程度の招待状だったのに是非にと返答されると歓迎せざるを得ない。
「ああ、分かってるよ。それで、このパーティの主役はいまなにを?」
「午前はダンスの練習を、現在は招待客の勉強をしているようです」
「そうか……真面目で、丁寧で、……嫌になる」
「カイラム様……」
「いや、すまない。忘れてくれ」
ぽつりと口から出た言葉に、ローシュはどこか悲しそうな顔をする。古くからこの家に仕える家令は、兄妹が仲良くすることを望んでいるのだろう。
それにカイラムは適当に言葉を濁し、ローシュを下がらせた。一人になった執務室で、カイラムは机に突っ伏して目を閉じる。こんなだらしない姿を誰にも見られるわけにはいかない。
他の人間から見れば、亡くなった先代夫妻の願い通りに海を連れて帰ってきたのは喜ばしいことだろうし、これから先シュタルム家が安泰だとも思っているのだろう。
「お前が死ぬほど嫌な奴だったら、よかったのに……」
父と母の面影を受け継ぐその姿、優しく穏やかで、真面目な性格で。パーティの準備だって積極的だと聞いている。
そんな妹のために元の世界を捨ててまでついてきたあの少年も、礼儀正しく忍耐強く、これから良き騎士になるだろう。そんな人物を引き寄せる魅力が妹にはある。
どろどろとした負の感情がカイラムの中に溜まっていく。それはまるで水では流れない泥のように。
そうしてついにパーティの日がやって来た。
シュタルム家のメインホールはここ数十年の中で一番に輝いていた。
磨き上げられたシャンデリア、シェフが腕を振るったテーブルいっぱいに並べられた料理、中央階段の上に飾られているのは先代のシュタルム家当主夫妻の肖像画。
招待客は思い思いにパーティを楽しんでおり、会話のネタは専ら帰ってきた娘についてだった。
別の世界で育ったから世間知らずの娘なのだろう。
美しいと言われているが、どうせ眉唾物で実際には見れたものではないのではないか。
そもそも本当にシュタルム家の娘であるのか?
そんな噂話ばかりが聞こえてきて、会場内で警備を担当していた蒼が怒りのあまり真顔になっていた。
「あいつらぶっ飛ばしてもいいですか?」
「いいわけないだろうが。大人しくしてろ」
「でも……」
悔し気な表情を浮かべる蒼にカークはバカなことをするなと釘を刺す。少し目を離すと招待客に飛び掛かっていってしまいそうだった。
見た目よりも血気盛んなところがあり、蒼は侮られることが大嫌いだということをカークはこれまでの付き合いでよく理解していた。
「俺たちのお嬢様は、自分であいつらを黙らせることもできないのか?」
「そんなわけないじゃないですか。海ちゃんが最強です」
「なら黙って仕事しろ」
カークにたしなめられ、蒼は頷いてようやく真面目に会場の警備に戻った。それを見てカークは安堵したように息を吐く。
最初は素人同然の騎士見習いだったが、蒼は元々センスの塊でいまでは騎士団の中でも指折りの実力者になっていた。流石にまだ経験が足りず、隊長クラスには届かないが。
それでも蒼の実力は目を見張るものがある。だが、問題は蒼はシュタルム家に対して忠義を尽くしているわけではないということだ。今後のことを考えると頭が痛いが、そこは海に上手に手綱を握っていてもらおうと思っていたとき、家令の声がホールに響き渡る。
「エメライド・シュタルム様、カイラム・シュタルム様、アクアマリア・シュタルム様のお目見えです!」
エメライドとカイラムに挟まれるようにして中央階段を降りてくる海は、まるで女神のように美しかった。海の姿が現れたその瞬間、感嘆の声が会場内に響き渡る。
その日、夜空には満天の星空と満月が輝き、波は凪ぎ海面は月明かりを映し、木々は茂り大地の花が咲き誇り、動物たちは喜びの歌を奏でていた。
世界が"祝福の子"の帰りを待ち望んでいた。




