4章‐2
その男は窓枠に手をついてこちらを見ていた。
ここは3階、バルコニーもなく、海辺に面していて足場にできる木々もない。それなのに、真っ白な男は当然のようにそこにいた。
咄嗟に警備を務めている騎士を呼ぼうとした瞬間、唇が開く前に男の細い指先がカイラムの唇に触れていた。
「っ……?!」
「ああ、ダメだよ。ダメダメ」
男は困ったように笑うが、カイラムの心臓は早鐘のように動き、体が震える。この男は、カイラムが一つ瞬きをしただけで数メートルは離れている窓際からここまでの距離を詰めてきた。こちらに向かうような予備動作もなにもなく、それこそ瞬間移動のように。
「ここに人を呼ばれるとその人を殺さなきゃいけなくなるだろう?僕だって無駄に殺したいわけじゃないんだよ」
カイラムを見下ろし笑みを浮かべる男は言葉通り護衛の人間を殺すだろう。そこに一切の躊躇いはない。
おそらく、この男に勝てる人間はここにはいない。騎士団長のカークでさえもこの白い男には敵わないかもしれない。それこそ、エメライドくらいの存在でなければ。
目の前の得体の知れない男に頭の隅で冷静に分析をしていると、不意に男がカイラムの顔を覗き込んだ。視界いっぱいに広がる男は、霞のような儚いような神秘的な美しさを持ち、不覚にも一瞬見惚れてしまった。
「それよりもさ。“神の宝”が帰ってきたって聞いたんだけど、本当?」
(神の宝……?しゅく、ふく……!)
「お、その顔は当たりだぁ」
一瞬、男がなにを言っているのか分からなかったが、男の言う意味を理解したカイラムの顔は強張り、それを見て男は更に笑みを深める。
男はカイラムの唇から指を離した。そしてそのまま楽しそうにその場でくるりと一回転すると、男が身に着けている真っ白な装束の帯が風に揺られてひらひらと一緒に踊る。
「今日は確かめに来ただけだからそんなに怖がらなくていいよ。君のことも殺さない。僕は優しいからね」
「……殺すことを躊躇わない者のどこが優しいと言うんだ」
「自分が死んだと分からないように殺してあげてるんだから優しいでしょ?だって、痛みも苦しみもないんだよ?」
それが正解だと疑っていないというように男は言う。そしてエメライドと同じくらいの長身を屈めてカイラムの首筋に鼻を寄せ、すんっと匂いを嗅いだ。
「それよりも君、泥が溜まっているね」
「なっ……!近づくな!」
男を自分から離させようと殴りつけるように拳を振り上げても、男は身軽にそれを躱してカイラムの拳は空を切る。
「あまり泥を溜めすぎると“あの女”に目を付けられるよ。ま、別に僕には関係ないからどうでもいいんだけど。それよりも、あの子に白桃華が来たって伝えておいて。じゃあ、またね」
「は?ま、待て!」
けらけらと笑いながら、男はここにやって来たときと同じように窓から外に出て行った。カイラムが慌てて窓枠に手をついて外を見ても、あの真っ白な男の姿は影も形もない。まるで幻のようで、先ほどまでここにいた存在は本当にいたのかと疑ってしまう。けれど、カイラムは最後に男が告げた名前に聞き覚えがあった。
「あいつ、白桃華と言ったか……?あの……?」
白桃華、それはこの国を、世界に名を轟かせている、生死問わずで指名手配をされている、無差別連続殺人犯の名前だった。
カイラムの宣言通り、海の帰りを祝うパーティが1ヶ月後に開かれることとなった。
親類一族や近隣の領地からはもちろん、この国の王族までやってくるというのだからそのパーティの規模の大きさは近年稀にみるものだろう。
「だからお前がお嬢様をエスコートできるわけないんだよ」
「俺が海ちゃんをエスコートしなきゃ誰がやるんですか!」
「エメルに決まってんだろ」
「んぐぅ……」
休憩に行くと訓練場を飛び出した蒼を捕まえ、午後の訓練が終わった夜。他の騎士たちは宿舎へ帰ってしまったにもかかわらず、未だ訓練場でカークは蒼に稽古をつけていた。
カークに剣を打ち込む蒼は一切遠慮はしていない。むしろぼこぼこにしてやろうと思っているくらいだ。けれど、蒼の考えていることなど分かり切っているカークは、打ち込まれた太刀筋をいなし、注意が散漫になっている足元へ蹴りを入れて蒼をその場に倒す。大の字になってこちらを不服そうに見上げる蒼にカークは「諦めな」と言った。
「俺たちは会場の警備が仕事だ。それに、ここで仕事が出来ないと判断されればお嬢様の近衛騎士なんてできやしねぇぞ」
「…………っす」
「なんだ、お前たちしかいないのか」
蒼は渋々ながら頷くも、拗ねたままの顔をして起き上がった。服についた砂埃を払っていると訓練場にエメライドがやってきた。
こちらの世界に帰ってきてからのエメライドは向こうの世界にいたときよりも随分気安くなったと蒼は思っている。やはり、エメライドくらいに強い存在でも実家ではリラックスしているのだろうと、そう呑気に考えていた。
訓練場にやってきたエメライドに片手をあげて挨拶をしながらカークも気安く声をかける。聞いた話だと、この二人は乳兄弟でカークはエメライドの唯一の友人であるとか。
「どうしたんだよ。ここに来るの久しぶりじゃねぇか」
「少し息抜きにな。もう今日の訓練は終わったのか?」
「いま何時だと思ってんだよ。今日の訓練は終わって、いまはアオイの補習の最中だよ」
「そうか……なら丁度いいな。俺も手伝ってやろう」
「えっ?!」
エメライドはたまに訓練場に来ては騎士たちに訓練指導をしていくが、指導とは名ばかりのただのきつい扱きだった。そのせいで潰れた騎士は何人もいる。
けれど、実力主義が大前提にあるここでは、耐えられなかった者が悪いのだ。
上着を脱いで肩を回すエメライドに、蒼は嫌な予感がして勢いよくぶんぶんと首を横に振る。すでにカークとの訓練でだいぶ消耗しているのにここでエメライドの相手などできるわけもない。
「お、俺は今日はもう上がろうかなぁ~なんて……」
「國司」
「はい、せんせ、ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
「お、いい反応速度だなぁ、アオイ」
老若男女すべてが見惚れるような笑顔を浮かべて、エメライドは容赦なく蒼に向かって魔法攻撃を放つ。それをすんでのところで避けると、なぜだかエメライドは気に食わなさそうな顔をして逆にカークは楽しそうに手を叩く。
「國司のくせに生意気だな」
「元教師の言う事ですか?!」
「アオイ、魔法は発生源をよく見ろ。どんなに優れた魔法使いでも無から有は生み出せない。魔法の発生源を見極めてそこを叩け」
「っ、はい!」
蒼は剣を構えてエメライドを見据える。カークの指示を頭の中で反芻させながら視線はエメライドから外さない。
剣道部時代にさんざんエメライドに扱かれてきたので、彼の動き方や癖は分かる。いまはそこに魔法が加わっただけ、それだけだと蒼は言い聞かせるように剣を握る力を強くした。大きく息を吸って、深く吐く。腹に力を込めて気合を入れるように声を出す。
「っしゃ、おらぁ!」
「動きが硬い、お前は力を込め過ぎだと言っているだろう。力は抜け、だが強度は落とすな」
「アオイ、集中力を切らすな、全身に意識を向けろ、視界は360度だ!」
「無茶なことばっかり言わないでもらえます?!」
その日から、夜の訓練にエメライドが参加するようになり蒼の体には生傷が量産されることとなる。
「蒼くん、毎日傷だらけですけど、大丈夫ですか……?」
「だぁいじょうぶだよ!海ちゃんも治癒魔法の練習ができて、俺の傷も治りが早くて一石二鳥だし。気にしないで」
あまりに蒼が毎日傷だらけで心配そうな顔をする海に、蒼は笑顔で返した。するとそばに控えていたカークは蒼に向かって限りなく気持ち悪そうな顔をしていた。
「アオイ、お前……なんか気持ち悪いな」
「え、パワハラですか?」




