4章‐1
そっとシアリスの肖像画に触れて、海は静かに涙を零す。そんな海を見て、エメライドと蒼は顔を見合わせ、海に気が付かれないように外に出た。
なんとなく、親子の再会を邪魔してはいけないような気がした。エメライドは部屋の扉の横に蒼を立たせて役目を一つ与える。
「國司、お前はここでアクアマリアを待っていろ。あの子が出てきたら部屋に送ること」
「はい、先生」
「……國司」
「なんですか?」
不意に蒼を呼んだエメライドの目はどこか不安げに揺れていた。なにかを聞きたそうな顔をしているが、どう聞いていいのか分からないというような雰囲気を感じ取る。
いつものエメライドは蒼の扱いはすこぶる雑で、手加減も優しさもないというのにどうしたのだろうと蒼は首を傾げる。
「先生、どうしたんですか?」
「あー……叔父上は、お前たちにとってどんな人だった?」
「おじさんは、俺にとっても父親みたいな人でした。誰よりも優しくて、温かい人で、海ちゃんのことをすごく大切にしていました」
「そうか。そのようだな」
蒼の知るシアリスは、いつだって優しい笑みを浮かべていて、凪のように穏やかで怒った姿など見たことがなかった。
海を世界で一番愛していて、蒼のことも自分の子供のように気にかけてくれていた。図書館に勤めていたせいか、本が好きで暇があれば読書をしていた。
教えることが得意で、海も蒼もシアリスから様々なことを教えてもらった。思い出せる出来事はすべて優しいもので、蒼はエメライドに向かってにっこりと笑った。
その笑顔を見て、エメライドも安心したように蒼の頭をくしゃくしゃと撫でたあとその場を後にした。蒼はぽかんと撫でられた頭をさすりながら、その背中を見送った。
「珍しいこともあるもんだ……」
エメライドが立ち去ってからしばらくの間、蒼は海を待つために背筋を伸ばして扉の横に立っていた。すると、そこへ珍しい人物が通りかかった。
「やあ」
「あ、えっと、カイラム、様?」
「いいよいいよ。楽にして」
「は、はい……!」
シュタルム家の当主代理であるカイラムが通りかかり、蒼に向かって微笑んだ。セルリアンブルーの髪は肩より少し長いくらいで水のようにさらりと流れている。
どうもこの一家の髪は水のように滑らかで綺麗だなと蒼は場違いなことを思っていた。それでも、咄嗟にカークに習ったように左手を胸に添え、騎士の礼をする。
カークには騎士はなによりも礼節を大切にすべきだと教わった。礼節のない騎士には近衛騎士など任せることはできないと。
ぎこちなく騎士の礼をする蒼にカイラムは楽にするようにと手でジェスチャーをした。おずおずと顔を上げる蒼をカイラムは頭から足の先までじっと見つめる。
「えっと……?」
「調子はどう?君は魔核がないと聞いていたけど」
「いまは平気です。魔核も、海ちゃんが作ってくれて……」
「そう……本当なんだね、君に人工魔核が入っているのは」
「カイラム、様……?」
カイラムはそっと蒼の心臓に手を添えて、撫でる。服越しのはずなのに、カイラムの手は蒼の心臓を直接触っているような感覚がした。それに恐怖を覚えるも、カイラムの手を振り払えるはずもなく蒼はただ耐えることしかできない。
「本当に、あの子は随分と優秀なようだね。魔核を作るなんてこと、誰もできはしないのに」
「そうなんですか……?」
「いままで多くの学者が魔核について研究をしているけれど、まだ未知に包まれている。人工魔核なんて夢のまた夢、なんて言われていたけど」
そこまで言ってカイラムは笑った。にこりと、口角を上げ目尻を下げたその笑みはまるで人形のようだった。笑っているはずなのに、笑っていない。
その美しい笑顔に蒼はぞっと背中に冷や汗が流れた。できることなら今すぐにこの場を立ち去ってしまいたいくらいだった。そのとき。
「蒼くん?カイラムさま?」
「う、海ちゃん……!」
「……やあ、アクアマリア」
肖像画の部屋から出てきた海は、不思議そうにカイラムと蒼を見比べる。カイラムは仕事が忙しいらしく、海もここに帰ってきた初日しか会えていない。
まさかここで会えると思っていなかったので、海はにこりと笑みを浮かべる。カイラムの意識が海に向いたその隙に、蒼はそっと海の後ろに身を隠す。
「こんにちは、カイラム様」
「ああ。元気そうでなによりだよ」
海の朗らかな笑みにカイラムも笑みを返すが、その目の奥は暗く淀んでいるような気がして蒼はそれとなく海の腰に手を回した。蒼はなんとなくだが、カイラムは海を嫌っているような気がしている。
いままで、海を嫌う人間はもちろんいた。そんな人たちに共通しているのは目の色だった。負の感情を抱えた目は暗闇の底に沈んでいて、こちらの姿など見えていない。
だからこそ自分の感情のままに相手のことを攻撃してくるのだ。それを知っているからこそ、蒼はいますぐカイラムから海を遠ざけたかった。
「ああ、そういえば、近々パーティを開く予定にしているよ」
「パーティ、ですか?」
「長らく行方不明だったシュタルム家の娘が帰ってきたんだ。当然世に知らしめないといけない」
「そんなに、大事にしなくてもよろしいのでは……?」
「そうはいかないんだよ、アクアマリア。貴族である限りね」
海の頭を撫でるカイラムの手は優しく、まるで妹を心配する兄のようだった。それでも、その優しさはエメライドのものとはまったく違うと蒼は感じている。
突然告げられたパーティの開催に戸惑う海だったが、カイラムは有無を言わさないように笑顔を向ける。
「楽しみにしていて。とびきりのパーティにしてあげるから」
そう言って、カイラムは手を振ってその場を立ち去った。
「パーティと言われても、困っちゃいますね」
「でもさ、パーティってことはエスコートってやつが必要だよね。俺がエスコートするよ!」
「できるわけねぇだろうが、馬鹿言ってんじゃねぇぞ」
「うわぁ!師匠!」
困ったような顔をする海を気遣うように蒼は言った。もちろん、エスコートをしようとしているのは本気だった。それなのに、突然蒼の後ろから現れたカークが蒼の首根っこを掴む。
騎士団に入団してからカークに稽古をつけてもらっている蒼は、彼のことを師匠と呼ぶようになった。
「とっくに休憩時間も終わってんだよ。サボってんじゃねぇぞ」
「ちゃんと先生から頼まれてるんです!」
「ごきげんよう、お嬢様。こいつは連れて行きますね。その代わり、この者がお嬢様をお部屋まで護衛いたしますので」
「ありがとうございます、団長様」
カークと共に来ていた騎士が海に騎士の礼をしたので、海も軽く頭を下げる。その後、カークに怒鳴られながらずるずると引きずられる蒼を手を振りながら見送った。
「やだー!離して!離せー!」
「うるせぇひよっこ!」
執務室に戻ったカイラムは一人で頭を抱えていた。執務机にある椅子に座る気になれなくて、来客用に置いてあるソファに寝転び腕で視界を遮る。
「ああ、いやだ、いやだ……」
困惑した表情を浮かべていた海とこちらを警戒していた蒼を思い出して唸り声を上げてしまう。カイラムだって、あんな態度をとるつもりは毛頭なかった。
エメライドがずっと探していたのは分かっていたし、無事に見つかればいいと願っていた。なのに、いざ目の前にその存在が現れると自分の足元がゆらゆらと揺らいでいく感覚に囚われてしまった。
いままでずっとシュタルム家を支えていたのは自分だったのに、幼いころから築き上げてきたこの立ち位置。なのに、シュタルム家の直系だからというだけでそのすべてを奪われてしまうのだろうかとどろどろとした感情が自分の中で渦巻いていく。そんなことを思いたくはないのに。
「やぁ、こんにちはぁ」
「は……?」
不意に明るい声が聞こえた。勢いよく体を起こして声が聞こえた方に目を向けると、いつの間にか執務室の窓が開いており、そこには一人の青年がいた。
青年は真っ白だった。髪も肌も服さえもすべてが白く、唯一桃色の目だけが青年に色を与えていた。
そんな青年はカイラムに向かって屈託のない笑みを浮かべていて、真っ白な青年からほんのりと桃の香りが漂ってきた。




