3章‐1
シアリス・シュタルム。20歳。
彼はシュタルム侯爵家の次男として生まれ、物腰が柔らかく思慮深く、常に他人を優先できる優しさを持つ好青年だった。
社交界では温和な性格と共に水のように流れるシアンの髪と美しい容姿が相まって、多くの令嬢たちがシアリスの目に留まろうとしていた。
そして彼は精霊に愛された「至高の魔法使い」と呼ばれる王国随一の魔法使いだった。天にも財にも恵まれているように見えるシアリスだったが、彼には大きな欠点があった。
彼は生まれたときから魔核形成不全症、通称を魔核不全と呼ばれる病を患っていた。魔核不全は生まれつき魔核が脆く壊れやすい病で、不治の病と言われている。
そのせいか、シアリスは厳しい監視下にあり基本的に屋敷から外に出ることを許されていなかった。
「はぁ……」
広い部屋の中、ベッドに入っていたシアリスは息を吐いて読んでいた分厚い本を閉じた。至高の魔法使いなんて名前ばかりの地位で、必要なときだけ城に登城しそれ以外は屋敷から出ることを許されていない。窮屈な毎日だとシアリスは思う。ベッドから出て窓辺へ行く。窓を開けると潮風が部屋の中に流れ込み、見慣れた海が外には広がっている。
ぼんやりと外を眺めていると扉をノックする音が聞こえたのでシアリスはどうぞ、と声をかける。
「シア」
「兄さん」
ノック音のあとに扉が開き部屋に入ってきたのは兄のジェイルだった。シアリスと同じくらい美しい容姿をしているが、彼と決定的に違うのは氷のように冷たい目元に滅多に笑みを浮かべないことだった。そんな兄のジェイブルーの長い髪は歩くたびにさらりと揺れる。
シアリスは兄のことが少し苦手だった。別段、兄弟仲が悪いわけではない。ただシアリスが一方的に苦手意識を抱えているだけだ。逆にジェイルは弟のことをとても可愛がっていて、それは過保護が過ぎるくらいだった。
「もう起き上がっているのか?安静にしていないといけないだろう」
「大丈夫。大したことないよ」
「前回もそう言って、また魔核にヒビをいれたのは誰だ?」
「あー……ごめん」
「さぁ、ベッドに戻るんだ」
魔核不全を患っている患者は珍しくはないがシアリスは特別魔核が弱く、先日魔法の実験をしていた際に魔力を抑えきれずにヒビが入ってしまった。
魔核が壊れるということは、この世界では死と同等だった。壊れた魔核を治癒させること自体は可能だが、それには多額の治療費が必要で誰彼も払えるものでもない。
シアリスも侯爵家の人間でなければとっくに死んでいただろう。兄にじろりと睨まれながら、シアリスは再びベッドに逆戻りさせられる。
「きちんと魔核が修復されるまで大人しくしておくんだぞ」
「分かっているよ、兄さん。もう子供じゃないんだから」
「そう言うなら、今回は脱走はしないことだな」
「……」
前回の療養中に屋敷を抜け出していたことはしっかりとバレていてシアリスは目を逸らした。そんな弟にため息をつきながらジェイルはシアリスの頭を撫でた。
表情に見合わない優しい手は、いつだってシアリスを惨めにさせる。シュタルム家の跡取りとしての役目を果たしている兄に比べて魔法しかできない自分が情けないとも思う。
部屋を出て行くジェイルを見送り、シアリスは枕に頭を沈め目を閉じる。まるで深海に沈んでいくような感覚に、このまま深い暗闇の中にいられたらいいのにと思いながらシアリスは眠りに就いた。
その泣き声でシアリスの意識が浮上する。目を開けているのか閉じているのか、なにも分からない。ただ、これは夢だということだけが不思議と理解できた。
「ねぇ、誰かいるの?」
そう声をかけても返事があるわけでもなく、泣き声だけが変わらず響いていた。それはどこかシアリスの声にも似ていて、心が共鳴するようにシアリスの目にも涙が浮かんできた。
溜まった涙は瞬きをすると目元から溢れて頬を伝って零れ落ちる。その瞬間、シアリスはハッと目を覚ました。
目を開けるとそこは見慣れた自分の部屋で、さっきまでのあの感覚はなんだったんだろうと思う。あの限りなく自分に近い泣き声は誰のものだったんだろうか。
ただ、涙の跡が残る頬に手を触れて自分が泣いていたことが事実なのだと分かる。
「……あれはなんだったんだろう……。ん?ああ、大丈夫だよ」
首を傾げながら微かに目に残っていた涙を拭っていると、そばに寄ってきた精霊がシアリスを心配するように小さな頬を合わせた。心配してくれる精霊にシアリスは笑った。
魔法使いは総じて精霊と意思疎通を交わすことができる。特にシアリスは精霊たちとの親和性が高く、多くの精霊が彼のために力を貸してくれる。
「あまり気にしていてもしょうがないか……」
どうやら長い時間眠っていたようで、窓から夜闇が見える。水でも飲もうとベッドから起き上がり、水差しが置いてあるテーブルへ行こうと一歩足を踏み出したとき。
シアリスの足元に突如魔法陣が展開された。
「え?!しょ、【召喚陣】?!」
展開された魔法陣に驚きながらもその場から離れようとする。しかし、足は縫い付けられたように動かず、引きずり込まれるように体が魔法陣の中に吸い込まれていく。
一度召喚されてしまうと、対象は召喚者に応じなければならないという制約がある。それに例外はなく、無理に抵抗をすると肉体や魂が傷つき最悪の場合は死ぬことさえある。
「大丈夫だよ。ただ、兄さんにだけ伝えてほしい。心配してはいけないからね」
シアリスはそばにいた精霊にそれだけを伝えて、魔法陣の中へ消えていった。ただシアリスを見守ることしかできなかった精霊は、自分の無力さを嘆きながらせめてシアリスの願いを叶えようとジェイルのもとへ飛んで行った。
そして、シアリスがこの屋敷に帰ってくることは二度となかった。
「うわぁ!マジかよ本当に出た!!」
「ここは、一体……?」
引きずり込まれた魔法陣の向こう側。空中から放り出されどこかに落下したシアリスだったが、思ったよりも体は痛まず、衝撃に構えていた体から緊張を解いて顔を上げる。
そこは月明かりに照らされた白い部屋だった。シアリスが落下したのはどうやらベッドの上のようで、目の前には知らない少年が目を輝かせ興奮気味にこちらを見ていた。
その手には古びた魔術書があり、どうやらそれで召喚陣を展開しシアリスが召喚されたようだった。
「なぁ!あんたって悪魔?」
「いや、悪魔ではないかなぁ。種族で言えば人間かな」
「ええ?!くっそ、掴ませやがったなあの野郎!」
勢いよく話しかけてくる少年だったが、シアリスが首を横に振ると不貞腐れてベッドに倒れ込んだ。そのときに少年は魔術書をぽいっと抛ったので、シアリスはそれを手に取りページを捲る。
かなり昔の魔導書のようで、現在研究されているものとは随分と術式が違う。よくもこんなものを発動させられたものだと感心するくらいだ。
「君は、悪魔召喚をしようとしたの?」
「そう。叶えてほしいことがあったからさ」
「残念だけど、これでは悪魔召喚はできないよ。そもそも悪魔を召喚するのは禁止されている。知っているだろう?」
「はぁ?知らないよそんなもん。法律で禁止されているわけでもないのに」
「法律……?」
どうも少年と会話がかみ合わずシアリスは首を傾げる。そもそも、ここはどこなのだろうか。 辺りを見ても知っているものはなにもないので状況把握が難しい。
そのとき、月明かりが部屋を照らす。闇夜の中、暗い部屋が照らされたとき、少年の顔を見てシアリスは驚いて息を吞む。
「君……!」
「え、うわー!あんた、俺にそっくりだな!」
見慣れた顔だった。毎日見ているのだから当然だ。けれど、その見慣れた顔が目の前にいることはおかしい。
シアリスの顔を見て、少年も驚いてぐいっとシアリスの方に顔を近づけてまじまじと見つめる。
「えっ、マジで俺じゃん!」
「いや、僕は……シアリス・シュタルム。……君は?」
「俺?俺は水郷藍。年は18。もうすぐ死ぬって言われてる」
晴れやかに笑う水郷藍と名乗る少年。これがシアリスと藍の最初の出会いだった。




