2章‐5
魔素
この世界の大気中に漂う魔力を含んだ気体の一種。多かれ少なかれ世界中どこにでも漂っており、空気に混じって生物の体内に入ってくる。
魔素に強い毒素はないが体内に蓄積する性質があるので、体内に多く溜まると中毒を起こす。
そのため、この世界で暮らす生物は環境に適応して体の中にとある器官を持って生まれてくるようになった。それが魔核という器官だった。
「通常は魔核で中和、分解され、無害化された後に血液中に流れ体外に排出されるが……こいつには魔核がない」
「魔核がない生き物なんて存在するんですか?」
「するからこうなってんだろうが!」
魔素中毒自体は珍しい症状ではない。しかし、魔核がない生物を見たことがないメイズは心底驚いたように目を丸める。
エメライドから蒼が別の世界の人間だと聞いてはいた。だが、魔核というのは生まれたときには当然のように備わっているもので、魔核を持たない人間がいるなんて想像もできなかった。
これは自分の落ち度だと、カークは舌打ちをする。エメライドから頼まれたときから、蒼はカークの庇護下にある。それなのに蒼はいまにも死にそうになっている。
「あー、俺は治癒陣は苦手だってのによぉ……!クソッ!【展開】」
蒼を仰向けに寝かせカークは治癒陣を展開させる。すると、蒼の体の周りに魔法陣が現れて赤の光が包み込んだ。けれど治癒陣は精密な術式展開が必要で、大雑把なカークには向いていないがそんなことを言っている場合ではない。しかし、カークができるのはせいぜい魔素中毒の進行を抑えることだけで治すことはできない。
「蒼くん!」
「アクアマリアお嬢様……?!」
さてどうするかと思案していると、後ろから思ってもいなかった声が聞こえた。カークのそばを通り抜け、倒れた蒼に駆け寄ってきたのは十七年間行方不明だったこの屋敷の姫だった。
海は服が汚れるのも気にせずしゃがみ込み、ぎゅっと祈るように蒼の手を握りしめた。そして海を追いかけるように現れたエメライドがカークに声をかけた。
「おい、状況は」
「最悪だよ。魔核がないにしても魔素の廻りがあまりにも早すぎる。元々魔力が蓄積してたみたいだ。でもこいつは普通の人間なんだろ?」
「あー……廻りが早いのは俺が魔力を流したからだな」
「は?」
「こちらの世界の言葉を理解させるために少し脳の作りを変えた」
「なにしてんだお前!」
「……その方が早かったからな」
「お前の魔力を直接流し込んで普通の人間が耐えられるわけないだろ!バカ!」
「お二人とも、その辺にしていただいてよろしいでしょうか」
メイズの冷静な声に二人はハッとして蒼の方に向き直り、そして信じられないものを見た。
海の体から淡い青の光が発生し、それは繋いでいる手を伝って蒼の体の中に流れ込んでいた。海は無意識にしているが、それは海の魔力だった。
「カーク、陣を解け」
「いいのか?」
「ああ。なんとかなりそうだ」
エメライドにそう言われ、カークは治癒陣の展開を解いた。魔法陣が消えても変わらず、海の魔力は蒼の体に注がれている。
そして不思議なことに心なしか症状が安定してきているような気がする。エメライドは海の耳元に口を寄せ、海の集中を削がないように声をかける。
「アクアマリア」
「は、はい……!」
「そのまま魔力を國司の胸元、心臓の上に集中して流し込め。そしてそこでお前の魔力を固めるんだ」
「魔力を、固める……?」
「お前も自分の心臓近くに感じるだろう?自分の魔核を」
昔から、海は自分の体の中に違和感があった。だが、それを誰かに話すことは父によって禁止されていたので海は誰にも蒼にでさえ話したことがなかった。
だが、エメライドの言葉を聞いて自分の中にあった違和感の正体に気が付いた。魔核、それが海の中には備わっている。
「それを國司の中にも作るんだ。それができなければ國司はこのまま魔素中毒で死ぬ」
「……!だめです、蒼くん……!」
「お前ならできるはずだ。集中しろ。自分の魔核の形を感じながら國司の中にも同じものを構築するんだ」
海は泣きそうになりながらも目を閉じてすべての神経を繋いだ手に込める。
蒼はいつだってどんなことがあっても自分を助けてくれていた。
そんな蒼がいま苦しんでいる。ならば、助けるのは自分だと海は強く思う。
(魔力がなにかは、まだよく分からないけど……体の中に流れているものは、分かる……これを蒼くんの中に、核になるように流し込む……)
「おいおい、マジかよ……」
「俺の妹なんだ当然だろう」
カークは舌を巻くように髪をかきあげ、エメライドは立ち上がり自慢げに胸を張る。
魔力は人によって色が違う。そして純度の高い魔力ほど、魔力の色は鮮やかになる。最初は淡い青色だった海の魔力は、いまは鮮やかなアクアブルーに変化していた。
その海の魔力は蒼に流れ込み、胸の内に新しい器官を作っていく。
「人工魔核なんて、本当にできるもんなんだな……」
「アクアマリアの魔力が國司と相性がよさそうだったから可能だと判断した」
昔から人工魔核の研究はされているが、その研究は成功したことはない。それほど人工魔核の創造工程は幻に近いものだった。
普通ならば、魔素中毒になるとまず助からない。エメライドだけが唯一この状況をどうにかできるはずだと思っていたが、蒼を助けたのは海だった。
カークはシュタルム家ひいてはエメライドの騎士として、海のことを尊重はしている。だが、心の底ではなにもできない異世界育ちのお嬢様だと思っていた。
「海ちゃん……?」
「蒼くん!大丈夫ですか?もう苦しくないですか?」
「うん、大丈夫。ありがとうね」
蒼の弱々しい声が聞こえて、海はハッとして顔を覗き込んだ。いまにも泣きそうな海を安心させるように、繋がれた手を握り返して蒼は笑った。
まるでなにかが引っかかっていたように呼吸がし辛かったが、いまでは肺に空気がちゃんと入ってきているような感覚がある。重かった体も幾分かマシになり、ゆっくりと体を起こすと珍しく海が蒼の胸に飛び込んできたので、蒼は頬を緩ませて抱きしめ返した。
「これが祝福の力ってやつか?」
「アクアマリアには元々素養があるんだ」
「はいはい。シスコンはいまはいいよ」
「シスコンではない。おい、國司、近いぞ」
海を抱きしめたままの蒼に文句を言いながら引き剥がすエメライドを眺めながら、あいつってあんなにシスコンだったかと思いながらカークはメイズに今日は解散だと伝えた。
海は自室で本を読んでいた。こちらの世界へ戻ってから数ヶ月が経とうとしていた。
こちらの生活スタイルにも馴染み、一時期は様子見をしていた蒼の体調も完全に安定したようで、彼は毎日訓練に明け暮れているようだ。
「……魔素、魔力、魔核……」
知らないものばかりのはずなのに、それはどこかで聞いたことがあるような気がする。一人で考えていると、コンコンと窓を叩く音がバルコニーから聞こえた。
誰が窓を叩いているかは分かっているので、海は本をテーブルに置いてバルコニーへ向かう。歩くたびにデイ・ドレスの裾がひらひらと揺れる。窓を開けると、バルコニーでは蒼が待っていた。
「海ちゃん」
「蒼くん。どうしたんですか?」
「へへ、休憩中なんだ。海ちゃんはなにしてたの?」
「魔法についての本を読んでいたんです」
表向きは身分制度のために海に会うことを制限されている蒼だが、それを彼が素直に聞き入れるはずもなくこうして訓練の合間にこっそりと海に会いに来ていた。
エメライドやカークがそれに気が付いていないわけはないが、普段の蒼は真面目に訓練に打ち込んでいるので見て見ぬふりをしている。
バルコニーに座り込み、とりとめのない会話をするのがいまの二人の新しい日常だった。
「魔法か~。そんなファンタジーなもの、物語の中のものだけだと思ってたよ」
「そうですね。私も、そう思います。あまり実感はないんですけど」
「でも、海ちゃんが俺を助けてくれたのは事実だからさ」
蒼の体には海の魔力で作った魔核があり、それはきちんと魔素を中和して今日も蒼はこの世界で生きていられる。
それに、蒼は自分の体の中に海の魔力が入っていることが嬉しかった。少なくとも、死なせたくないと思ってくれる程度には好かれているのだと確信できた。
突然にこりと笑う蒼に海は不思議そうに首を傾げた、そのとき。
「お前たちは毎日飽きないことだな」
「げっ!先生!」
「國司、お前はあとで俺と稽古だ。見つけた場合には目溢しなどはしてやらん」
「うえぇぇぇ……いっだ!」
風に乗ってバルコニーに現れたのはエメライドだった。神出鬼没の彼は、時々姿を消してはふらりと帰ってくる。カイラム曰く、それはいつものことだから気にしなくてもいいと言われているが、こうして海との密会を見つけられるとその後に待つのは地獄の特訓だった。心底嫌そうな顔をする蒼の額を指で弾き、エメライドは二人を手招きする。
「こちらに来なさい」
エメライドに連れられてやって来たのは屋敷の奥の広い部屋だった。この部屋の壁には多くの絵が飾られており、海と蒼は物珍しそうに辺りを見回す。
「ここには歴代の当主やシュタルム家の人間の肖像画が飾られている」
「じゃあ、ここに海ちゃんの本当の両親の絵もあるってことですか?」
「ああ。そうなる」
蒼の質問にエメライドは軽く頷きながら部屋の奥に歩を進める。その後ろを海と蒼は手を繋いでついて行く。それを視界の端で見ながらエメライドはさらに奥へ進んでいく。
「だが、その前にお前たちに見せたいものがある」
ぴたりと一人の肖像画の前で足を止める。海と蒼はその肖像画を見上げて、驚きに息を呑む。
二人は、その人物に見覚えがあった。見覚えどころか、誰よりもよく知っていると言えるほどの人物だった。
「これって、そんな、嘘だろ……?」
「おとう、さん……?」
その肖像画に描かれていたのは海の育ての親、水郷藍。そのはずだった。しかし、エメライドから告げられた真実は、まったく予想だにしていないことだった。
「彼の名はシリアス・シュタルム。シュタルム家の当主で俺とアクアマリアの父、ジェイル・シュタルムの弟だ」
2章終了です。
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