番外編 かなり、結婚してください
同棲を始めて一年。
白石愛香は、十分すぎるほど幸せだった。
朝は一緒に起きて、
夜は同じ家に帰って、
休日はソファでくっついて映画を見る。
黒崎慧吾は相変わらず静かで、少し嫉妬深くて、かなり優しい。
だからこそ、愛香は最近少しだけ不思議に思っていた。
(なんか最近、そわそわしてる?)
きっかけは小さな違和感だった。
スマホを見て慌てて伏せる。
休日に一人で出かける。
書斎にこもる時間が増える。
「……怪しい」
ソファで呟くと、森下千鶴が電話越しに笑った。
『あんたそれ、浮気疑ってる嫁みたいよ』
「いやでも、絶対何か隠してるんです」
『黒崎慧吾が?器用に浮気できると思う?』
「……できない気がする」
『でしょ。あいつ一人でテンパってるだけよ』
妙に納得した。
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その土曜日。
「今日、少し出かけませんか」
珍しく慧吾の方から誘ってきた。
「いいよ。どこ?」
「内緒です」
「え、怖い」
「怖くないです」
でもネクタイまで締めている。
明らかに気合いが入っていた。
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連れて行かれたのは、海の見えるホテルのレストランだった。
窓一面に夕焼けが広がっている。
「すごい……」
「来てみたかったので」
「私も」
料理も美味しく、会話も穏やかだった。
でも、慧吾がずっと落ち着かない。
水を三回飲み、ナイフを持ち直し、ブラックコーヒーもいつもより減りが早い。
「……慧吾くん」
「はい」
「緊張してる?」
「してません」
即答。
「嘘」
「……かなりしてます」
正直だった。
食事のあと、ホテルの屋上テラスへ案内される。
夜景が広がり、風がやさしく吹く。
人も少ない。
愛香はそこで確信した。
(これ、もしかして……)
隣を見ると、慧吾がまっすぐ前を見ている。
手が少し震えていた。
「愛香さん」
名前を呼ばれる。
いつもより低く、慎重な声。
「うん」
「少し、聞いてください」
「うん」
彼は深く息を吸った。
「初めて会った時、正直、ここまで好きになると思ってませんでした」
愛香の胸が熱くなる。
「静かに一人で生きていくタイプだと思ってました」
「自分で言うんだ」
「事実です」
少しだけ笑って、また真面目な顔に戻る。
「でも、愛香さんに会って変わりました」
一歩、こちらへ向く。
「毎日会いたいと思って、嫉妬して、眠れなくなって」
「うん」
「一緒に住んだら、もっと好きになりました」
喉が詰まりそうになる。
そして彼はポケットから小さな箱を取り出した。
開くと、繊細なリングが光る。
慧吾が片膝をつく。
「……えっ」
愛香の目に涙が滲む。
「白石愛香さん」
そのフルネームの呼び方が、ずるいほど真剣だった。
「かなり、結婚してください」
涙と笑いが同時にこみ上げる。
「かなりって何……!」
「最大級です」
真顔だった。
でも耳が真っ赤だった。
「……はい」
言った瞬間、慧吾が固まる。
「……本当ですか」
「うん」
「取り消し不可です」
「しないよ」
「……無理」
額を押さえる、いつもの癖。
愛香は泣きながら笑った。
「また?」
「嬉しすぎます」
指にリングをはめてもらう。
少し震える手。
「サイズ、大丈夫?」
「かなり調べました」
「いつの間に!?」
「寝てる間に」
「怖い怖い!」
でも、その不器用な努力が愛しかった。
次の瞬間、抱きしめられる。
強く、でもやさしく。
「幸せにします」
耳元で囁かれる。
愛香も彼の背中に腕を回した。
「もう十分幸せだよ」
「まだ足りません」
「欲張り」
「愛香さん相手だとそうなります」
何度聞いたかわからない言葉。
でも今日が、一番胸に響いた。
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帰り道。
つないだ手には、指輪が光っていた。
ブラックコーヒーの彼氏と、カフェラテ好きの彼女。
違う二人が出会って、
恋をして、
同じ未来を選んだ。
そしてこれから先も、きっと。
少し嫉妬して、
たくさん笑って、
変わらず手をつないで歩いていく。




