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初恋の先輩と再会したら、同期に好きだと言われました 〜あの日のミサンガがほどけない〜  作者: 黒猫と珈琲


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番外編  甘やかしたい朝(黒崎視点)

翌朝、黒崎慧吾はいつもより少し早く目を覚ました。


隣には、白石愛香が眠っている。

昨夜は、少しだけ近い距離で眠った。


けれど完全に元通りになったわけではない。

そう思っているのは、自分だけかもしれない。


それでも、胸の奥にはまだ小さな引っかかりが残っていた。

予定を共有してほしいと言った。


どこにいるのか、誰といるのか、どれくらい遅くなるのかを知りたいと言った。

心配だから。

それは本当だ。


けれど、それだけではないことも、もうわかっている。

見えない時間が怖い。


自分の知らない場所で、愛香が誰かに笑っているかもしれない。

自分の知らない会話をして、自分の知らない表情を見せているかもしれない。

そう考えるだけで、落ち着かなくなる。

かなり、重い自覚はあった。


眠っている愛香の髪が、頬にかかっている。

落ち着いた茶色の髪は、寝起きのせいで少しだけ乱れていた。

いつもより幼く見えるその横顔に、胸の奥が静かにやわらぐ。


昨夜、彼女は言った。

嫌いじゃない、と。

それだけで、だいぶ救われた。


けれど同時に、さらに困ったことにも気づいた。

嫌いじゃないと言われると、もっと近づきたくなる。


少しだけなら許されるのだと、勝手に安心してしまう。

本当に、扱いが難しい感情だ。


黒崎はそっと体を起こし、寝室を出た。


キッチンに立ち、コーヒーを淹れる。

自分用のブラック。

愛香用のカフェラテ。

牛乳を温めながら、砂糖の量を少し迷う。


昨日は少し泣きそうな顔をさせた。

なら、今日は少し甘くてもいい。

そう判断して、いつもよりわずかに多く入れた。


トーストを焼き、卵を焼き、サラダを皿に盛る。

普段より少しだけ丁寧にした。


償いというほど大げさではない。

ただ、甘やかしたかった。

理由はそれで十分だった。


「……いい匂い」


背後から、まだ眠気を含んだ声がした。


振り向くと、愛香が寝室の入口に立っていた。


ゆるく乱れたミディアムヘア。

眠たそうな目。

少し大きめの部屋着の袖からのぞく指先。

朝の光の中で見る彼女は、ひどく無防備だった。


「おはようございます」


「おはよう……早いね」


「目が覚めたので」


「また考え事?」


答えに詰まる。

本当に、この人は変なところで鋭い。


「少しだけ」


「昨日のこと?」


「はい」


愛香は気まずそうに眉を下げた。

その顔を見た瞬間、胸が痛む。


「責めているわけではありません」


黒崎はすぐに言った。


「むしろ、昨日のことを踏まえて、今日は甘やかすことにしました」


「……え?」


愛香が瞬きをする。


「何その宣言」


「宣言しておいた方が、意図が伝わるかと」


「仕事みたい」


「得意なので」


そう返すと、愛香はようやく笑った。

その笑顔を見て、少しだけ呼吸が楽になる。


朝食の席に着くと、愛香はカフェラテを両手で包んだ。


「今日、いつもより甘い」


「はい」


「わざと?」


「はい」


「なんで?」


「昨日、少し苦い日だったので」


言ったあとで、自分でもずいぶんらしくない言い方をしたと思った。

案の定、愛香は目を丸くする。

それから、頬を少し赤くして笑った。


「慧吾くん、たまにすごいこと言うよね」


「そうですか」


「うん。しかも真顔で」


「本音なので」


愛香はカップに口をつける。

その仕草を見ているだけで、胸の奥が満たされていく。


同じ家で朝を迎えて、同じテーブルで朝食をとる。

それはひどく穏やかで、同時にひどく欲深いことだった。


毎朝こうしていたい。

毎晩、帰ってくる場所を同じにしたい。

誰より先に「おかえり」と言いたい。


そして、できることなら。

自分の知らない時間を、少しでも減らしたい。

そこまで考えて、黒崎は内心で息を吐いた。

やはり、かなり重い。


「慧吾くん?」


「はい」


「また考えてる顔してる」


「顔に出ていましたか」


「少しだけ」


愛香が笑う。


黒崎は箸を置いた。


ごまかすこともできた。

けれど、昨日決めたばかりだった。

大事なことは、ちゃんと共有する。


「昨日、愛香さんに束縛みたいと言われて、少し考えました」


愛香の表情が真面目になる。


「うん」


「俺は、心配しているだけだと思っていました」


「うん」


「でも、違いました」


ゆっくりと言葉を選ぶ。


「心配もしています。ただ、それ以上に、独占したいと思っているんだと思います」


言ってしまうと、思ったより重い響きだった。

けれど、もう引っ込められない。


愛香は黙ってこちらを見ている。

責める顔ではなかった。

だから続けられた。


「誰といるのか知りたいのは、安全確認だけではありません。知らない誰かと長く一緒にいるのが嫌なんです」


「……うん」


「遅くなる時間を知りたいのは、迎えに行くためでもあります。でも、それだけじゃなくて、いつ自分のところへ帰ってくるのか知って安心したいんです」


言葉にするたび、自分の狭さが見えてくる。

それでも、愛香は逃げなかった。


「重いですね」


黒崎が先に言うと、愛香は少しだけ笑った。


「自分で言った」


「事実なので」


「うん。重い」


正面から言われると、やはり少し胸にくる。

けれど次の瞬間、愛香はテーブル越しに手を伸ばした。

指先が触れる。


「でも、昨日よりちゃんとわかった」


「何をですか」


「慧吾くんが、ただ管理したいわけじゃないこと」


愛香の声はやわらかかった。


「怖いんだよね。見えない時間が」


その言葉に、黒崎は一瞬だけ黙った。

情けない、と思う。

けれど否定はできなかった。


「……はい」


「じゃあ、私も言うね」


愛香は少し照れたように視線を落としてから、もう一度こちらを見る。


「私は、信じてもらえてないみたいに感じると苦しい。でも、慧吾くんが心配してくれるのは嫌じゃない。ちゃんと帰りたいって思う場所があるのは、嬉しい」


胸の奥が、静かに熱くなる。


「だから、全部じゃなくていいけど、大事なことは言う。遅くなりそうな時も、できるだけ早めに連絡する」


「はい」


「その代わり、慧吾くんも不安になったら黙らないで」


「努力します」


「また努力」


「できない約束はしません」


愛香は呆れたように笑った。

その笑顔に、また救われる。


朝食を終え、二人で食器を片づける。

洗い終えたカップを棚に戻そうとした愛香の袖が、少し濡れていた。

黒崎は手を伸ばし、そっとその手首を取る。


「濡れています」


「ほんとだ」


タオルで拭く。

指先まで丁寧に。

愛香がくすぐったそうに笑った。


「甘やかすって、こういうこと?」


「はい」


「過保護とも言うよ」


「知っています」


「直す気は?」


「調整します」


「直す気ないでしょ」


「完全には」


愛香が吹き出した。

その笑い声が部屋に広がる。

昨日の夜、あれほど重く感じた空気が、少しずつほどけていく。

黒崎はそのまま、愛香の手を離さなかった。


「慧吾くん?」


「少しだけ」


「何が?」


「補給です」


言ってから、以前よりずいぶん自分の欲求を口にするようになったと思った。

愛香も同じことを思ったのか、少し赤くなる。


「朝から?」


「昨日、足りなかったので」


「足りなかったって何が」


「距離です」


真顔で答える。

愛香は困ったように笑ったあと、少しだけこちらに近づいた。


「じゃあ、少しだけ」


その言葉を合図に、抱き寄せる。

昨日の夜よりも、迷いなく。

強すぎないように気をつけながらも、確かに腕の中へ閉じ込める。


愛香の髪から、いつものやわらかな香りがした。

落ち着く。

同時に、手放したくないと思う。


「……また重い顔してる」


胸元で愛香が言う。


「見えますか」


「なんとなく」


「すみません」


「謝るところじゃないよ」


愛香は少しだけ顔を上げる。


「ちゃんと言ってくれれば、大丈夫」


その言葉は、昨夜の答えのようだった。

黒崎はゆっくり頷いた。


「じゃあ言います」


「うん」


「今、かなり好きです」


愛香の顔が一気に赤くなる。


「急にそれ?」


「言った方がいいかと」


「そうだけど、限度がある」


「調整します」


「絶対しないやつ」


「善処します」


愛香が笑いながら、額を胸に押しつけてくる。

その仕草があまりにも愛おしくて、黒崎は腕に少しだけ力を込めた。


その日の午前中、二人は特にどこへも出かけなかった。

洗濯をして、掃除をして、コーヒーを淹れて、ソファで少しだけ映画を流した。

愛香は途中で眠そうになり、クッションを抱えたままうとうとしていた。

黒崎は隣で本を開いていたが、内容はほとんど入ってこなかった。


視線は何度も、彼女へ向かう。

自分の部屋着を着ていること。

髪が少し乱れていること。

安心しきった顔で眠りかけていること。

全部が、自分だけのもののように思えてしまう。


その考えが危ういことはわかっている。

人は所有物ではない。

愛香は愛香の時間を持つべきで、自分がすべてを知る必要はない。

理屈ではわかっている。

それでも、腕を伸ばせば触れられる距離にいる彼女を見ると、どうしようもなく思ってしまう。

この人を、誰にも渡したくない。

昨日よりさらに、はっきりと。


黒崎は本を閉じた。

自覚したところで、なくなる感情ではない。

なら、扱い方を覚えるしかない。

重すぎて苦しめないように。


けれど、軽いふりをして自分を殺さないように。

二人で決めた通り、すり合わせていくしかない。


「……慧吾くん」


うとうとした声が聞こえる。


「はい」


「そこにいる?」


「います」


「ならいい」


それだけ言って、愛香は安心したように目を閉じた。

胸の奥が、静かに満たされる。


そこにいるだけでいいと言われることが、こんなに嬉しいとは思わなかった。

黒崎はそっと彼女の肩にブランケットをかける。

起こさないように、静かに。


「いますよ」


もう一度、小さく言った。

返事はない。


けれど愛香の寝顔は、少しだけ笑っているように見えた。

黒崎はその横顔を見つめながら、あらためて思う。


独占欲は、消えない。

きっとこれからも、自分は少し重い。

けれどこの人を大切にしたい気持ちも、同じくらい確かだ。

なら、その重さごと、ちゃんと彼女に見せていこう。


隠して黙るより、言葉にして、少しずつ近づいていく。

そう決めた朝だった。

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