ifルート★黒崎慧吾編 第七章
付き合って二週間。
白石愛香は、また一つ新しい悩みを抱えていた。
黒崎慧吾と——
まだキスしていない。
手はつないだ。
抱きしめられた。
名前も呼ばれるようになった。
なのに、そこだけ進まない。
(……なんで?)
彼が慎重だから?
大事にしてくれているから?
それとも、そういう対象として見られていない……?
そこまで考えて、愛香は首を振った。
(いや、それはない。たぶん)
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昼休み。
給湯室でカフェラテを作りながら、愛香は森下千鶴に相談していた。
「まだしてないの!?」
千鶴の声が響く。
「しーっ!声大きいです!」
「え、あの黒崎慧吾が?意外すぎる」
「私もよくわからなくて……」
千鶴は腕を組む。
「なるほど。慎重か、理性で止めてるか、もしくは——」
「もしくは?」
「キスしたら止まらないタイプ」
愛香の手が止まる。
「……え?」
「静かな男ほど危ないのよ」
そこへ給湯室のドアが開いた。
慧吾だった。
ブラックコーヒー片手に入ってきて、二人を見る。
「何の話ですか」
千鶴が即答する。
「キスの話」
「先輩!!」
愛香は真っ赤になる。
慧吾は一瞬止まり、無言でコーヒーを入れ始めた。
耳だけ少し赤い。
千鶴は満足げに去っていった。
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その日の帰り道。
駅まで並んで歩く空気が妙にぎこちない。
愛香は勇気を出して聞いた。
「……さっきの話、気にしてる?」
「してません」
即答だった。
「嘘」
「……少しだけ」
「やっぱり」
慧吾はため息をつく。
「森下先輩、余計なことを」
「でも」
愛香は足を止めた。
「私も少し気にしてた」
慧吾がこちらを見る。
「何をですか」
「……その、まだ……」
最後まで言えない。
すると彼は静かに近づいた。
「白石さん」
「う、うん」
「言わせたいんですか」
低い声だった。
心臓が跳ねる。
「い、言わせたいわけじゃ」
「なら、それ以上いじめないでください」
耳まで熱くなる。
(この人、最近ほんとずるい)
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「今日、少し寄り道しませんか」
連れて行かれたのは、駅近くの小さな展望デッキだった。
夜景がきれいに見える場所。
人も少ない。
風がやさしく吹いている。
「こんなとこあったんだ」
「前に調べました」
「デート用に?」
「……はい」
素直すぎる。
愛香は笑ってしまう。
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手すりにもたれて景色を見ていると、隣に慧吾が立つ。
距離が近い。
肩が触れそうで触れない。
「白石さん」
「なに?」
「俺が慎重なのは」
少し間があく。
「雑にしたくないからです」
その言葉に、胸が締めつけられる。
「……うん」
「でも」
彼の声がさらに低くなる。
「我慢してるのは事実です」
振り向いた瞬間、目が合った。
逃げられない。
「慧吾くん……」
「今日、してもいいですか」
真っ直ぐすぎる問いに、愛香の呼吸が止まりそうになる。
「……うん」
小さく頷くと、慧吾の喉が動いた。
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そっと頬に手が添えられる。
大きくて温かい手。
「嫌だったら、すぐやめます」
「嫌じゃない」
「……それは助かります」
少しだけ笑って、彼が近づく。
触れる寸前で止まり、額がこつんと当たる。
「……緊張してます」
「私も」
「たぶん今、白石さんよりしてます」
「うそ」
「本当です」
そのやり取りのあと。
やっと、唇が重なった。
やわらかくて、短くて、でも息が止まるほど甘い。
離れたあと、愛香は呆然とする。
(……今、キスした)
すると慧吾が額を押さえた。
「……無理」
「また!?」
「想像以上でした」
真顔なのに声が少し震えている。
「もう一回していいですか」
「えっ」
「さっきのは確認みたいなものなので」
「確認ってなに!?」
笑ってしまう愛香の肩を抱き寄せ、今度は少し深く口づける。
さっきより長い。
指先が震える。
離れた時、慧吾の呼吸も乱れていた。
「……やっぱり」
「な、なに」
「キスしたら止まらないタイプでした」
千鶴の言葉が脳裏をよぎる。
愛香は顔を覆った。
「先輩、正解……」
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帰りの電車では、二人ともほとんど喋れなかった。
改札前で別れる時、慧吾が小さく言う。
「次会うまで、たぶんずっと思い出します」
「なにを」
「……さっきの」
愛香は真っ赤になる。
「言わなくていい!」
「共有です」
「いらない共有!」
でもそのあと、慧吾はやわらかく笑った。
「嬉しかったです」
その一言で、全部許してしまう。
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キスの前ほど、静かな男は危ない。
そしてキスの後は、もっと危ないと知った。




