ifルート★黒崎慧吾編 第四章
土曜日。
白石愛香はクローゼットの前で三十分悩んでいた。
「……なんでこんな緊張するの」
相手は黒崎慧吾。
会社で毎日会っている人だ。
なのに今日は違う。
**休日のデート** だから。
しかも前回の帰り道で抱きしめられてから、愛香の中で何かが完全に変わってしまった。
安心する人。
落ち着く人。
そう思っていたのに、今は一番どきどきする人になっている。
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待ち合わせ場所の駅前に着くと、慧吾はすでにいた。
白シャツに黒のジャケット。
細身のパンツ。
シンプルなのに、異様に似合っている。
(……格好いい)
思わず立ち止まる。
慧吾が気づいて近づいてきた。
「おはようございます」
「お、おはよう」
「どうしました」
「なんでもない」
「顔赤いです」
「なんでもないってば!」
少し笑う慧吾に、愛香の心拍数が上がる。
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「今日はどこ行くの?」
歩きながら聞くと、慧吾は答えた。
「水族館です」
「えっ、意外」
「そうですか?」
「もっと……図書館とかかと」
「俺を何だと思ってるんですか」
「静かな理系男子」
「間違ってはいません」
真顔で返され、愛香は吹き出した。
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館内は薄暗く、青い光に包まれていた。
大きな水槽の前で魚たちがゆっくり泳いでいる。
「きれい……」
愛香が見上げる横で、慧吾は魚ではなく愛香を見ていた。
「……何?」
「楽しそうでよかったです」
「私じゃなくて魚見なよ」
「見てます」
「絶対見てない」
図星なのか、少しだけ視線を逸らす。
それが可愛い。
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クラゲのコーナーで、人混みに押されて愛香がふらついた。
その瞬間、腰に手が回る。
「危ない」
慧吾だった。
至近距離。
「だ、大丈夫」
「大丈夫じゃないです」
腰に添えた手が離れない。
「人多いので、このままで」
「このまま!?」
「はい」
無表情なのに、やってることが大胆すぎる。
周囲から見れば完全に恋人同士だ。
「慧吾くん……」
「なんですか」
「平然としてるのずるい」
「してません」
「してるよ」
「心拍数、かなり高いです」
その低い声に、愛香まで鼓動がうるさくなる。
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ランチは館内のカフェ。
愛香はカフェラテ、慧吾はブラック。
「結局そこは変わらないんだ」
「信頼と実績です」
「何それ」
ふふっと笑い合っていると、突然、隣の席のカップルが写真を撮り始めた。
女性が彼氏に寄りかかり、男性が肩を抱く。
それを見た愛香が何気なく言う。
「いいなあ、仲良しで」
慧吾の動きが止まった。
「……白石さん」
「ん?」
「写真、撮りますか」
「え?」
「仲良しっぽいやつ」
「なにその言い方!」
珍しく少し不機嫌そうだ。
「別に撮りたくないならいいです」
「撮りたい!」
即答してしまい、自分で恥ずかしくなる。
慧吾はスマホを取り出した。
「こっち来てください」
隣へ座るよう促される。
近い。肩が触れる。
カメラを向けた瞬間、慧吾の腕が自然に背中へ回った。
「えっ」
「仲良しっぽく」
耳元で囁かれる。
シャッター音。
画面を見ると、真っ赤な愛香と、少し満足げな慧吾が写っていた。
「……これ保存するの?」
「当然です」
「消して!」
「無理です」
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帰り道。
夕方の街を並んで歩く。
少し風が冷たくなってきて、愛香が肩をすくめると、慧吾が立ち止まった。
「寒いですか」
「ちょっとだけ」
無言で自分のジャケットを脱ぎ、愛香の肩にかける。
「え、いいよ!慧吾くん寒いでしょ」
「俺は平気です」
「でも」
「白石さんが寒い方が嫌です」
さらっと言われ、また言葉を失う。
(この人ほんとずるい……)
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駅前に着く頃には、別れたくない気持ちが膨らんでいた。
「今日はありがとう」
「こちらこそ」
「すごく楽しかった」
慧吾は少しだけ目を伏せ、静かに言った。
「俺も、かなり」
そのあと、珍しく言葉を探すように沈黙する。
「……白石さん」
「うん?」
「たぶん今日、俺、少し壊れてました」
思わず笑う。
「少し?」
「かなり、かもしれません」
「自覚あるんだ」
「あります」
一歩近づく。
「でも原因、白石さんです」
胸が高鳴る。
「責任取ってください」
「えっ」
「また会ってください」
その言い方がずるいほど真剣で、愛香は頷くしかなかった。
「……うん」
慧吾はほっとしたように、やわらかく笑う。
その笑顔を見た瞬間、愛香は確信した。
もう私は、かなりこの人に弱い。
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改札へ向かう直前、後ろから呼ばれる。
「白石さん」
振り返ると、慧吾が静かに立っていた。
「次は、手つないでもいいですか」
不意打ちすぎて、愛香の顔が一気に熱くなる。
「……先に言うの反則」
「嫌ですか」
「……嫌じゃない」
慧吾は珍しく、嬉しそうに笑った。




