ifルート★黒崎慧吾編 第一章(黒崎視点)
白石愛香は、放っておけない人だと思っていた。
最初にそう感じたのは、入社初日だった。
コピー機の前で固まっているのに、誰にも声をかけられずにいる。助けてほしい顔をしているくせに、自分から言えない。
面倒なタイプだと思った。
それでも、気づいたときには横に立っていた。
操作を終えても、特に礼は求めなかった。
彼女が「ありがとうございます」と言う前に、その場を離れる。そういう距離感が、一番楽だった。
白石は、よく笑う。
誰に対しても、同じようにやわらかく。
受付でも、営業でも、清掃員でも。
相手によって態度を変えない。
それは長所だと思う。
同時に、危ういとも思った。
気づいたのは、いつだったか。
たぶん、昼食を抜いた日にカフェラテを置いたときだ。
「黒崎くん、ありがとう」
そう言って笑った顔が、わずかに違って見えた。
他の誰かに向ける笑顔と、同じはずなのに。
なぜか、残った。
それから、視線が増えた。
仕事中でも、無意識に探している。
声が聞こえれば反応する。笑っていれば、少し安心する。
面倒だと思った。
感情は効率を下げる。
必要ないものだと、ずっと思ってきた。
森下に言われた。
「黒崎、あんたそれもう好きでしょ」
否定はしなかった。意味がないからだ。
「なら動きなよ。ああいう子は、待ってると取られるよ」
その言葉が、妙に残った。
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土曜。
指定したカフェに向かうと、白石はすでに席に着いていた。
ラベンダー色のニットに、細かいプリーツのスカート。柔らかい色合いが、そのまま似合う。
こちらに気づいて、少しだけ嬉しそうに笑う。
その瞬間、来てよかったと思った。
合理的ではない判断だと理解しながら、それでも。
会話は、いつもと変わらなかった。
白石は時々よくわからないことを言って、勝手に笑う。それに対して軽く返す。
そのやり取りが、思っていた以上に心地いい。
仕事では見ない表情がある。
それを知っているのが自分だけだと思うと、わずかに満たされる。
公園を歩く。
風に揺れる髪。光を受ける白い肌。
視線を逸らそうとして、やめた。
もう隠す必要はない。
「なんでカフェラテなんですか」
どうでもいい質問だった。ただ、会話を続けたかった。
白石は少し考えてから、笑って答える。
「甘いのと苦いの、両方あるから」
その発想は理解できない。
けれど、嫌いではなかった。
「余計な味がしないから」
自分の答えは、いつも通りだった。
無駄を排除する。それが正しいと思ってきた。
だが、そのまま言葉を切らなかった。
ここで言わなければ、また同じになる。
待っているだけで終わる。
それはもう選ばない。
「でも」
一拍置く。
「白石さんといる時間は、甘くてもいいと思ってます」
言ったあとで、自覚が追いつく。
顔が少し熱い気がした。
効率が悪い。
それでも、言うべきだった。
その瞬間、背後から声がした。
「……へえ」
振り返る前にわかる。
空気が変わる。
刈谷恒一。
営業先で何度か見ている。
仕事ができるタイプで、人の懐に入るのがうまい。
そして――白石を見る目が、明らかに違う。
「デート?」
軽い調子で言うが、距離が近い。
白石が慌てる。
その反応で理解する。
この男は、過去を知っている。
一歩前に出る。
自然な動作で距離を詰める。
遮る位置に入る。
「その認識で問題ありません」
あえて否定しない。
牽制だ。
「強気じゃん」
試すような視線。
問題ない。
「学習しました」
「何を」
「待ってるだけじゃ、取られると」
事実を述べただけだ。
刈谷は笑った。
余裕のある表情。
だが、目は笑っていない。
「ずいぶん自信ありますね」
「あるよ」
刈谷は即答だった。
迷いがない。
厄介だと判断する。
白石を見る。
反応がわかりやすい。
名前を呼ばれるだけで揺れる。
あの男のやり方は、効く。
直感的に理解する。
去り際、刈谷は白石にだけ笑った。
ああいう笑い方をする男は、引かない。
静かになったあと、白石が息を吐く。
「……なんなの今日」
巻き込んだのは事実だ。
「すみません」
謝罪は必要だと思った。
「慧吾くんが謝ることじゃないよ」
そう言うところが、やはり甘い。
負ける気はない。
それだけははっきりしている。
「俺、負ける気ないので」
言葉にすることで、輪郭がはっきりする。
白石を見る。
少し驚いた顔。
そのまま踏み込む。
「今度は、夜、二人で行きませんか」
選択肢ではなく、意思として提示する。
白石はまだ気づいていない。
自分が「安心する人」から外れ始めていることに。
それでいい。
むしろ、その方がいい。
安心だけでは、選ばれない。
知っている。
過去に一度、それで失ったから。
だから今回は違う。
正しさではなく、選ばせる。
白石愛香は、こちらを見る。
その目が、わずかに揺れている。
十分だ。
ここからは、もう待たない。




