番外編 理性の限界(先輩視点)
愛香を家に呼ぶと決めた日から、正直ずっと落ち着かなかった。
営業先で商談していても、頭の片隅にいる。
信号待ちでも、コンビニでも、風呂でも。
「次の土曜、うち来る?」
平静を装って送ったメッセージに、返ってきたのは短い一文。
**行きたい**
その四文字を見た瞬間、スマホ落としかけた。
二十八にもなって、我ながら情けない。
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当日。
部屋を必要以上に片づけた。
ソファの位置まで直した。
普段使わないディフューザーまで置いた。
何やってんだ、俺。
鏡を見ると、顔が少し強張っていた。
「……落ち着け」
そう言い聞かせたところで、インターホンが鳴る。
終わった。
もう無理だ。
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ドアを開けた瞬間、愛香が立っていた。
白いワンピースに薄いカーディガン。
自然な茶色の髪が肩に落ちて、少し緊張した顔で笑う。
「おじゃまします」
その笑顔だけで心拍数が跳ね上がる。
「……どうぞ」
たぶん声、少し低かった。
平気なふりをしたが、内心は全然平気じゃない。
可愛すぎるだろ。
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部屋に入った愛香が、きょろきょろ見回している。
「きれい……」
「普通だろ」
「先輩の部屋ってもっと散らかってるかと」
失礼すぎる。
でもそんなこと言いながら笑う顔が好きで、何も言えなくなる。
コーヒーを入れて、映画を流して、ソファに並んで座る。
近い。
近すぎる。
甘い匂いがする。
シャンプーか、香水か、わからない。
わからないけど理性に悪い。
映画の内容なんか一秒も入ってこない。
横を見ると、愛香も画面じゃなく、やたらカップを見つめている。
緊張してんの、同じか。
それが嬉しくて、少し笑いそうになった。
「愛香」
名前を呼ぶと、びくっと肩が揺れる。
「……はい」
敬語混じりなのも可愛い。
「さっきから映画、一回も見てねぇだろ」
「恒一さんこそ」
ばれてた。
「見れるわけない」
本音だった。
もう限界だった。
腕を引いて膝の上に乗せると、軽い。
細い身体が腕の中にすっぽり収まる。
「せ、先輩……!」
「先輩じゃねぇ」
「恒一さん……」
その呼び方。
反則だろ。
胸の奥を素手で掴まれるみたいに響く。
「それ、ずるい」
そう言いながら抱き寄せた時点で、たぶん俺の負けだった。
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キスした瞬間、頭が真っ白になった。
柔らかい。
少し震えてる。
でもちゃんと受け止めてくれる。
もっと欲しくなる。
首筋に口づけると、小さく息をのんだ。
「……敏感すぎ」
耳まで赤くして視線を逸らす。
だめだ。可愛い。
何しても可愛い。
抱き上げて寝室へ連れていくと、愛香が俺のシャツを掴んだまま離さない。
それだけで、理性がまた削られる。
ベッドに座らせて見下ろす。
不安そうで、でも逃げない目。
「今ならまだ帰せる」
本当は帰す気なんかないくせに、最後の確認だった。
「帰らない」
即答。
……無理。
そんな顔でそんなこと言うな。
「ほんと、煽るの上手くなったな」
頬に触れると、すぐ熱くなっていく。
「大事にする。でも止まれないかもしれねぇ」
本音だった。
愛香は俺のシャツを掴んで、小さく言う。
「……私も、止めない」
その瞬間、完全に終わった。
理性が。
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あとはもう、必死だった。
怖がらせたくない。
雑にしたくない。
でも触れたい。もっと欲しい。
その全部が一気に来る。
名前を呼ぶたびに反応する。
抱きしめると寄ってくる。
恥ずかしそうにしながら、ちゃんと俺を見てくる。
可愛すぎて、たまに本気で天井見た。
落ち着けって。
無理だったけど。
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少し意地悪を言えば、すぐ困った顔をする。
「隠すな」
顔を覆う手をどけると、涙目で睨んでくる。
それすら可愛い。
「ちゃんと見せろ」
「やだ……」
「なんで」
「恥ずかしい」
その声が甘くて、また余裕がなくなる。
俺、こんなに独占欲強かったか?
たぶん愛香限定だ。
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全部終わって、腕の中でやっと静かになる。
髪を撫でると、猫みたいに寄ってくる。
「……先輩」
「だからそれやめろ」
「恒一さん」
「ん?」
「さっき、余裕なさすぎて怖かった」
思わず笑った。
怖かったのに、こうして胸にくっついてる。
「おまえ相手に余裕ある男いねぇだろ」
本気でそう思う。
可愛くて、素直で、無防備で。
好きな男には致命傷だ。
抱き寄せて耳元で囁く。
「次から覚悟しとけ」
「えっ」
「もう遠慮しねぇから」
真っ赤になる顔を見て、また笑う。
「……いじわる」
「今さら気づいた?」
額にキスを落とす。
そして心の中で、あの日の自分に言う。
中二の団地のベンチで、ミサンガを渡したガキの俺。
おまえ、見る目あったな。
この子を好きになったの、
人生でいちばん正解だ。




