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我が飼いヒトよ、おまえはどこへも行かせない  作者: 明石竜


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第十七章 合理の対話

 会談は、非公式の場で続けられた。

 玉座の間ではない。

 かといって、応接室でもない。

 城の中庭に面した、半屋外の回廊。

 風と光が入り、完全に閉じない場所。

「ここを選ばれた理由は」

 レオンハルトが、静かに尋ねた。

「密閉空間は、情報が滞留する」

 ヴェルタは即答する。

「開放されている方が、思考が整理しやすい」

「合理的です」

 レオンハルトは頷いた。

 二人の前には、簡素な卓が置かれている。

 茶は出ていない。

 必要がないと、双方が判断したからだ。

「本題に入りましょう」

 レオンハルトが言った。

「昨日の件について、

 魔王殿のお考えを伺いたい」

「考えは、変わっていない」

「エイル氏を、返還しない?」

「現時点では、不要だ」

 言葉は明確だった。

「"不要"とは、誰にとってですか」

「私にとって」

 即答だった。

 レオンハルトは、少しだけ目を細める。

「それは、国家としての判断ではない」

「当然だ」

 ヴェルタは言う。

「彼は、私の管理下にある」

「管理」

 その単語を、レオンハルトは繰り返した。

「所有、ではなく?」

「所有ではない」

「保護?」

「......近い」

 わずかな間があった。

「観察対象だ」

 レオンハルトは、ペンを取り出した。

 紙に、短く何かを書き留める。

「観察の目的は」

「変数の確認」

「何の」

「人間」

「特定の?」

 ヴェルタは、一瞬だけ視線を逸らした。

「......現時点では、一名」

 その沈黙は、雄弁だった。

 レオンハルトは、追及しない。

「では、仮定の話を」

 声を落とし、続ける。

「もし、エイル氏がこの城を去った場合」

「――考慮に値しない」

 ヴェルタの否定は、即座だった。

「仮定です」

「無意味だ」

「合理性の検証には、仮定が必要です」

 その言葉に、ヴェルタは否定できなかった。

「......続けろ」

「エイル氏が去った場合」

 レオンハルトは、淡々と続ける。

「城の統治、軍事、外交に、

 直接的な支障は出ますか」

「出ない」

 短い答え。

「魔王殿ご自身の判断能力は」

「低下しない」

「記録精度は」

「......誤差の範囲だ」

 その一言だけ、少し曖昧だった。

 レオンハルトは、静かに頷く。

「つまり、国家機能としては、問題がない」

 ヴェルタは、反論しなかった。

「それでも、不要ではないと?」

「......不要ではない」

「では、必要だと?」

 ヴェルタは、言葉を探した。

 必要。

 その語は、論理の中で使えば、意味が定まる。

 だが今、

 どの定義にも当てはまらない。

「......比較対象が不足している」

 ようやく出たのは、それだった。

 レオンハルトは、少しだけ笑った。

 嘲笑ではない。

 理解の笑みだった。

「比較対象は、すでに存在しています」

「何だ」

「他の元勇者たちです」

 ヴェルタの指先が、わずかに動いた。

「彼らが去っても、

 魔王殿は同じ判断をされましたか」

 答えは、すぐに出なかった。

 ――去った。

 ――見送れなかった。

 ――城が、少し広くなった。

「......同じだ」

 だが、その声は低かった。

「では、もう一つ」

 レオンハルトは、間を置かずに続ける。

「勇者候補カイが、

 エイル氏の代わりになるとしたら」

「ならない」

 即答だった。

「理由は」

 ヴェルタは、口を開いた。

 閉じた。

「......質が違う」

「能力?」

「違う」

「経験?」

「違う」

 沈黙。

「......観察結果だ」

 苦しい言い方だった。

 レオンハルトは、それ以上突っ込まなかった。

「分かりました」

 そう言って、ペンを置く。

「魔王殿」

「何だ」

「あなたは、非常に合理的だ」

 ヴェルタは、肯定も否定もしなかった。

「ですが」

 レオンハルトは、静かに言う。

「合理性とは、

 "説明できる選択"のことです」

 言葉が、空気に沈む。

「説明できない選択は、

 感情と呼ばれます」

 ヴェルタは、視線を上げた。

「......それは、価値判断だ」

「ええ」

 レオンハルトは頷く。

「だから、国家は扱いません」

 ヴェルタは、言い返せなかった。

 感情は、否定できない。

 ヴェルタは、玉座の間を出た後、すぐには動けなかった。回廊の端、窓の外を見る。城の庭が、夕暮れの光に染まっている。

 今日の会談で、レオンハルトは一度も声を荒げなかった。圧をかけなかった。ただ、問い続けた。合理的な問いを。

 合理的な問いには、合理的な答えを返せるはずだった。それが自分の領域だ。三百年間、感情ではなく論理で世界と向き合ってきた。

 だが今日、言葉が出なかった。

「……記録すれば良かった」

 呟いてから、苦笑いをした。自分でも、その言葉が苦し紛れだと分かっていた。

 記録していれば答えられたか? 否。記録の量の問題ではない。エイルの記録は、他の誰より多い。だが、「なぜ彼は必要か」への答えは、記録のどこにもない。

 なぜなら、それは観察で得られる答えではないから。

 玉座の間を振り返る。さっきまで、使節と向き合っていた場所。レオンハルトが言った言葉が、まだ残っている。

「合理性とは、説明できる選択のことです」

「説明できない選択は、感情と呼ばれます」

 ヴェルタは、静かに息を吐いた。

 感情。

 その語に、もう逃げる気はなかった。

 ただ、感情だと認めることと、感情に名前をつけることは別だ。名前をつければ、それは世界が使える言葉になる。今は、そうしたくない。

 名前のないまま、胸の中にあるものを、ただ抱えておく。

 それが、今夜のヴェルタの答えだった。

 だが、肯定もできない。

「本日の対話は、ここまでにしましょう」

 レオンハルトは立ち上がった。

「結論は急ぎません」

「......なぜだ」

「急げば、

 あなたはより不合理な選択をする」

 それは、忠告だった。

 あるいは、期待。

 レオンハルトは一礼し、その場を去った。

 ヴェルタは、一人残された。

 合理の言葉は、すべて使った。

 論理は、破綻していない。

 それでも、

 説明できないものだけが、残った。

 ヴェルタは、空を見上げた。

 開放された場所は、

 思考を整理するために選んだはずだった。

 だが今は、

 逃げ場のない広さに感じられた。

 合理的でない選択。

 それを、

 まだ、選んでいないはずなのに。

 胸の奥では、

 すでに答えが、動き始めていた。

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