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我が飼いヒトよ、おまえはどこへも行かせない  作者: 明石竜


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第十六章 使節の来訪

 その日、魔王城に掲げられた旗は、白だった。

 敵意を示す色ではない。

 降伏でもない。

 交渉のためだけに用意された、人間側の正式な印だった。

 城門前の広場に、少数の一団が進み出る。

 武装は最小限。剣も槍も携えているが、刃はすべて鞘に収められている。

「使節だ」

 ヴェルタは、回廊の高所からそれを見下ろしていた。

 玉座には座っていない。

 必要がないと判断したからだ。

 一団の先頭に立つ男は、年の頃三十代後半。

 姿勢がよく、歩調に一切の乱れがない。

 恐怖も、虚勢も、その視線には含まれていなかった。

 城門が開く。

 軋む音が、ゆっくりと響いた。

 男は一歩、前へ出る。

 跪かない。

 だが、無礼でもない。

「王国外務院首席使節、レオンハルト・ヴァイス」

 名乗りは、明瞭だった。

 玉座の間に足を踏み入れた瞬間、

 使節レオンハルトの視線が、ほんの一瞬だけ下がった。

 床の中央。

 かつて拘束具が置かれていた位置だ。

 彼は、すぐに視線を戻す。

 何事もなかったかのように。

「魔王ヴェルタ殿に、謁見を願います」

 その呼び方に、周囲の魔族がわずかにざわめいた。

 "殿"。

 怪物ではなく、王でもなく、対等な存在としての呼称。

 ヴェルタは、すぐには応じなかった。

 使節の後方に、視線を移す。

 そこに、若い少年がいた。

 まだ成長途中の体躯。

 だが、背筋は真っ直ぐで、目だけは逸らさない。

「......勇者候補か」

 誰にともなく呟く。

 観察対象ではない。

 少なくとも、これまでは。

 ヴェルタは、ゆっくりと階段を下りた。

 足音が、城内に一つ分だけ響く。

 玉座の間に入ると、空気が変わった。

「顔を上げろ」

 命令だったが、威圧ではない。

 レオンハルトは一礼し、まっすぐにヴェルタを見た。

 感情を測ろうとする目ではない。

 価値を量ろうとする目でもない。

 ただ、対話を前提にした目だった。

「本日は、敵対の意思を示すために参りましたわけではありません」

 レオンハルトは、そう前置きした。

「魔王殿が、勇者を殺さず保護している件について、

 国家としての正式な確認と、提案を行うためです」

「......話せ」

 短い許可だった。

「まず、確認から」

 レオンハルトは一歩進み出る。

「貴殿の城には、現在、元勇者が複数名滞在している」

「そのうち一名は、現在も観察対象として保護されている」

 ヴェルタは否定しなかった。

「事実だ」

「殺害していない理由は」

「不要だった」

 即答だった。

 レオンハルトは、わずかに眉を動かす。

 驚きではない。

 興味だった。

「合理的判断、という理解でよろしいですか」

「そうだ」

「感情的理由ではない?」

 その問いに、ヴェルタは一拍、間を置いた。

「......記録上は、そうだ」

 言葉を選んだのは、初めてだった。

 レオンハルトは、その違和感を見逃さなかった。

 だが、追及はしない。

「理解しました」

 あくまで、穏やかに頷く。

「では、提案に移ります」

 そう言ってから、背後を一瞥する。

「こちらは、次代勇者候補の一人です」

 少年が、一歩前へ出た。

「カイ、と申します」

 緊張はある。

 だが、恐怖はない。

「魔王様」

 そう呼ばれて、ヴェルタの胸が、わずかに鳴った。

「お会いできて、光栄です」

 純粋な敬意だった。

 そこには、討伐対象としての視線がなかった。

「......用件は」

 ヴェルタは、少年から視線を外し、レオンハルトを見る。

「端的に申し上げます」

 レオンハルトは言った。

「勇者エイル氏の、返還を求めます」

 空気が、わずかに張りつめた。

「返還?」

「人間社会において、

 彼は未だ"勇者"という役割を持つ存在です」

「個人としての意思は尊重しますが、

 国家としては、彼をこのまま放置する選択は取れません」

「......理由は」

「混乱を防ぐためです」

 即答だった。

「勇者が魔王城に留まり続けるという状況は、

 象徴として強すぎる」

 ヴェルタは、黙って聞いていた。

「代替は、用意しています」

 レオンハルトが言う。

 カイが、少しだけ前に出た。

「エイルさんが戻らなくても」

 少年は、はっきりと言った。

「僕が、頑張ります」

 善意だった。

 疑いのない言葉だった。

 だからこそ、

 ヴェルタはすぐに答えられなかった。

「......その必要はない」

 ようやく出た言葉は、それだった。

「理由を」

 レオンハルトは、穏やかに促す。

 ヴェルタは、口を開いた。

 合理。

 効率。

 安定。

 いつもなら、すぐに並べられる言葉。

 だが――

「......」

 言葉が、出てこなかった。

「感情は尊重します」

 レオンハルトは、静かに言った。

「ですが国家は、感情で動きません」

 ヴェルタは、その言葉を否定できなかった。

 否定できない理由が、

 感情ではない、と言い切れなかったからだ。

「......今日は、ここまでだ」

 ヴェルタは、会談を打ち切った。

 命令でも、拒絶でもない。

 ただの中断。

 レオンハルトは、深く一礼した。

「ご検討を」

 その言葉に、圧はなかった。

 それが、最も厄介だった。

 使節団が去ったあと、

 玉座の間には、静けさが戻った。

 だが、以前と同じ静けさではない。

 ヴェルタは、玉座の前に立ち尽くす。

 世界が、

 自分の内側に踏み込んできた。

 理由を、問われた。

 答えられなかった。

 それだけで、

 十分すぎるほどの変化だった。


*間章 エイルへ、その夜


 夜、エイルは中庭の縁に座っていた。

 空は晴れていて、星が多かった。

 魔王城の上空は、人間の町よりも暗い。だから星が多く見える。それを、エイルはこの城に来て初めて知った。

 今日の会談を思い出す。使節レオンハルト。勇者候補カイ。返還という言葉。自分が「象徴」になっているという事実。

 エイルはそれを不快とは思わなかった。ただ、重かった。

 象徴は、場所を持たない。象徴であることは、どこにいても誰かの都合に属するということだ。

 ここにいることは、ヴェルタの都合に属すること。外にいることは、世界の都合に属すること。どちらでも、誰かの何かになる。

「……自分の都合で、どこかにいることはできないのか」

 独り言が落ちた。答えは出なかった。

 だが、一つだけはっきりしていることがあった。

 ここにいる間、少なくとも今夜は。

 星を知っている場所に、いたかった。それだけが、自分の都合だった。

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