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第8章 背中で聞いたこと

村長から受け取った書付と代金を、ユーゴは旅の荷の内側へ入れた。


 村を出てからも、何度か包みの上から確かめた。腰には借りた剣がある。右足を出すたびに鞘が少し揺れ、歩幅を変えると膝に当たった。


「留めるところ、もう少し後ろへずらしたら。歩くたびに当たってると、そこだけ擦れるから」


 ロゼットに言われて、留める位置を直した。


「これでいいかな」


「うん」


 それきり、また足音だけになった。


 グランジュ村へ続く道には、荷車の轍が二本残っていた。雨のあとに固まった凹みを避けると、伸びた草が脛を擦る。村の家並みが見えなくなると、風の音のほうがよく聞こえた。


 前を行くロゼットの革のリュックは、歩くたび左右に動いた。彼女は肩紐を短く持ち、足元を見て進んでいた。


「いつも、この道?」


「こっちの村を回ったあとはね。グランジュまで行けば、道も歩きやすくなる。いつもは、そこまでにどれだけ荷が軽くなったかで……」


 リュックを持ち上げ直し、彼女は口を閉じた。


「ゴブリンが出るって、師匠が」


「最近、この先で増えたって聞いた。前は、こんなに気にしなくてよかったんだけど」


 ユーゴは道の先を見た。今は、草の間を風が渡っているだけだった。


     *


 水の音が聞こえてから、ほどなく道が途切れた。


 川へ下りる場所に、丸太の端が突き出していた。向こう岸まで渡してあったはずの一本は、途中で折れて水に浸かっている。隣の一本も斜めにずれ、踏める幅は残っていなかった。


 ロゼットが足を止めた。


「橋が壊れてる」


「向こうに乗ってた端が、ずれてる。残ったほうも踏まないほうがいい」


「この前は、渡れたの」


 ユーゴは岸を見回した。少し下流で川幅が広がり、水が低くなっていた。丸い石が透けて見える。流れに逆らわず、斜めに渡れそうだった。


「あそこなら、歩ける」


 ロゼットは水を見た。それから自分の裾を見た。


「背負って」


「……何を?」


「私」


 ユーゴは彼女の背中のリュックを見た。


「それも?」


「服も荷物も濡らしたくないの。書きつけも入ってるし、ここで一つずつ出して包み直すのは……。私も、向こうまで運んで」


「一緒に落ちたら、全部濡れるよ」


 ロゼットは何も言わなかった。肩紐を握る手に、少し力が入った。


 ユーゴはもう一度、水を見た。深くはない。だが濡れた石に乗れば滑るし、背負ったままでは足元も見づらくなる。


「先に荷物を運ぼう。どこを歩けるか、確かめてくるから」


 自分の包みを岸に置き、ロゼットにもリュックを下ろすよう促した。


「重いよ」


「知ってる。祭りの日、下ろすの手伝った」


 口にしてから、少し間が空いた。


 ユーゴはリュックを背負い、食糧の包みを持った。剣の鞘を高く寄せ、浅瀬へ入る。


 冷たさが靴に染みた。


 足裏で石を踏み、ぐらつけば戻す。二歩先の平らな石へ移ると、流れが脛を押した。腰を低くし、急がず進む。


 対岸の乾いた場所へ荷を下ろした。書付の包みも濡れていない。振り返ると、ロゼットはまだ同じところに立っていた。


 通った足場を戻る。今度は、足を置く場所が分かった。


「こっちへ」


 岸に上がり、背中を向けてしゃがんだ。


「首は締めないで」


「分かってる」


 肩に手がかかった。ユーゴは彼女を背負い、ゆっくり立ち上がった。荷物とは重さのかかる場所が違う。片足ずつ位置を確かめ、体を起こす。


「もう少し、つかまって」


 腕が肩へ回った。


 ユーゴは水へ足を戻した。


     *


 最初に渡った石を、順に踏んだ。


 ロゼットは何も言わなかった。水が靴の中で動くたび、小さな音がした。肩に回された腕が、ときどき強くなる。


「揺れる?」


 返事はすぐには来なかった。


「……大丈夫」


 いつもより、耳に近い声だった。


 平らな石に足を置き直したとき、襟の上に温かいものが触れた。川の水ではなかった。


 ユーゴは前を見たまま、歩幅を小さくした。


「マルタンさん」


 背中で声がした。


「私のせいだったのかな」


 ユーゴは足を止めた。両足を置ける、浅い砂利の上だった。水が足首の周りを流れていく。


「私が、あの獣除けを置かなかったら」


 ロゼットの指が、シャツをつかんだ。


「二か月前、もっと弱くしてたら。よく効いたって言われて、それでよかったと思ってたけど、私が気づかなかったことがあったら……。あの人、昨日も家に帰れたのかなって。何をしてても、そこへ戻っちゃうの」


 ユーゴは対岸の荷物を見た。大きな革のリュック。祭りの日には、あれの前に村人が並んでいた。


 何か言わなければと思った。けれど、肩へ伝わる息が途切れている間は、次の言葉を待った。


「ルネは、ちゃんと調べてなかった」


「でも、私にも、違うって言い切れなかった。何をどう変えたかなら、いくらでも話せるのに。あの人が死んだことには、何も答えられない」


「うん」


 肩の指が、一度緩んだ。


「俺にも魔導は分からない。だから、あの場でうまく言い返せなかった」


 ユーゴは言った。


「でも、あの人は、止まった巻物も調べずに決めた。俺たちが話しても、順番をちゃんと書かなかった」


 背中から、小さく息を吸う音がした。


「あのとき、ロゼットが来る前から、結界は止まってた。熊も来てた。昼に回収したのは、そのときまで箱の中にあったんだろ」


「うん。そこは確か。でも、それより前に、ずっと使ってた。止めて箱に入れたから大丈夫って、そこまでは……」


「そこを、ちゃんと調べてもらおう。分からないところがあるなら、あの報告だけで決めてほしくない」


 言葉を切り、足場を確かめて一歩進んだ。もう岸は近かった。


「俺はあのとき、マルタンさんを運ぶ手が空かなかった。ロゼットが来て、熊が戻って、ようやく持ち上げられた。そこは、俺が見たことだから。助けに来てくれたことまで、悪かったことにされるのは、嫌だ」


 ロゼットは答えなかった。


 ユーゴの耳の後ろで、また息が止まった。肩がかすかに震える。その顔を見ようとはしなかった。


「ロゼットの魔導が原因じゃない証拠を、俺が必ず見つける」


 言ってから、彼女を支える腕に力を入れ直した。


「買い付けに行って、相談して。それで分からなかったら、何を調べればいいか聞く。俺が見たことも、何度でも話す」


 背中に額が触れた。


 ユーゴは次の石を見た。急いで岸へ上がろうとせず、一歩ずつ進んだ。


 肩に回された手は、もう強くシャツを引いてはいなかった。それでも、離れなかった。


     *


 乾いた岸へ上がってから、ユーゴはしゃがんだ。


「下ろすよ」


 ロゼットが背中から降りた。軽くなった分だけ体が前へ傾き、ユーゴは手を地面についた。


「ありがと」


 後ろで声がした。


 彼はうなずき、靴の留め具を緩めた。片方ずつ脱ぐと、溜まっていた水が土へ落ちた。


「足、濡れたね」


「これは、仕方ない」


 振り向かずに答えた。背後で布を取り出す音がし、しばらくしてから、リュックの留め具が鳴った。


 ユーゴは靴を履き直した。まだ冷たかったが、歩ける。食糧と書付の包みを確かめ、持ち上げる。


 ロゼットは岸の先で、肩紐の長さを直していた。顔は道のほうへ向けている。


「領都に着いたら、あの獣除けの使い方も、私から話す。売ったときにどう考えたかも。役人の前みたいに、途中で言えなくならないように」


「うん」


「書付だけじゃ、分からないこともあるから。もし、私が言い落としてたら……あなたが見たところを、足してくれる?」


「分かった。俺が見たところは、俺が話す」


 ユーゴは彼女の横まで歩いた。


 川の先でも轍は続いていた。道の端に傾いた枝を持ち上げ、リュックが通るまで待つ。ロゼットは肩をすぼめて抜け、その先で足を止めた。


 ユーゴが追いつくと、また歩き始めた。


 濡れた靴の音に、もう一人の足音が重なった。


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