第41章 足りない手を重ねる
空になった水の器を返しに立つと、フィンが呼びに来た。
「話がまとまった。戻ってくれるか」
ユーゴは器を置き、長のもとへ向かった。待つ間に傾いた日が、木の間を斜めに照らしていた。
「村へ手を貸す」
長はそう言ってから、治療者の前に置かれた荷を示した。
「ただし、ここで必要な物と人は残す。村にいる治療者とも相談して、できる仕事を分けてもらいたい」
「はい。ありがとうございます」
ユーゴは頭を下げた。顔を上げると、治療者が包みを一つ、荷から戻していた。
「それは、持っていかないんですか」
「こちらで使う分だ。全部持って出れば、今度はこちらへ取りに戻ることになる」
代わりに別の小さな包みが選ばれた。必要な物を詰める手は早かった。
フィンは巡回の担当者と、戻る道について話していた。森に残る人が頷き、別の人が治療者へ確かめに来る。ユーゴは背負える物を尋ねた。
「重ければ、二つでも」
「重さより、潰さないことを頼む」
治療者は一つだけ渡した。肩紐を直そうと押さえた手に、中の乾いた物の感触が伝わる。ユーゴは手を離し、包みが傾かないよう置き直した。
準備が終わる頃には、道の根を見分けにくい暗さになっていた。
フィンが森の入口を見た。
「出るのは朝だ。薬も、使う者も、無事に着かなければ意味がない」
ユーゴは村の寝床を思い浮かべた。ここから暗い道を三時間。自分だけなら急げるかもしれない。だが、今は抱えた荷を、自分の足元と同じように気に掛けなければならなかった。
「分かりました。明るくなったら、すぐ運べるようにしておきます」
その夜は、家々か少し離れた場所へ案内され、一人で休ませてもらった。目を閉じる前に、荷紐の結び目をもう一度だけ確かめた。
*
翌朝、フィンを先頭に森を出た。
来た道でも、荷を背負うと枝の低さが違って感じられた。フィンが立ち止まる場所では、後ろの治療者と術者が通るまで待つ。ユーゴは邪魔になりそうな枝を押さえ、通り過ぎてからゆっくり戻した。
森の境を越えて一時間ほど歩くと、ロレの屋根が見えた。
村の入口にいた支援員へ声を掛ける。やがてロゼットが、道具袋を押さえながら走ってきた。途中で歩みに変え、ユーゴの姿と、その後ろの人たちを見る。
「来てくださったのね」
「ああ。病気を知っている人たちだ。こっちの治療をどう続けているか、見たいって」
ユーゴはフィンたちを紹介した。森で聞いた結界の話を続けかけると、ロゼットは頷いてから、先に荷を受け入れる場所を示した。
「それも聞きたい。でも、まずこちらへ。治療の担当者を呼んできます」
ユーゴは荷を下ろした。肩が軽くなると、運んでいた時間が急に長かった気がした。
ロゼットが戻ってきて、留め具を外す手元を見た。
「どこか、怪我は?」
「大丈夫。昨日は暗くなったから、向こうに泊めてもらった」
「ええ。遅くなったら泊まると約束して出たからって、村長さんにも話しておいたわ」
その返事で、ユーゴは初めて息をついた。遅くなったことを謝る代わりに、荷の中から記録を出した。
「話せたこと、あとで全部聞いてくれ」
「聞くわ。まず、手を洗ってきて」
*
森の治療者が包みを開こうとすると、エステルが今まで使った薬と処置の記録を差し出した。
「加える前に、これを見ていただけますか。今も続けているものがあります」
「こちらも、それを確かめたい。どこまで楽になり、何が残ったかを聞かせてほしい」
二人は机の両側に立った。ユーゴは水の器を置き、近くで待った。
最初に診るのは、村に残っている患者だった。移動に耐えられないため、村内でも作動を確認できた一部のスクロールと薬で支えているという。森の治療者は診察を終えると、エステルに問い、使ったスクロールの順を確かめた。
「この処置は、続けてもらいたい。こちらで病に対する手を加える。その間、体がもたなくなっては困る」
エステルは頷き、隣にいた領都の治療員へ伝えた。
乾いた葉の匂いがした。森から来た人が包みを分け、別の人が用意した器を見て、ロゼットへ置く場所を尋ねている。
森の治療者は、調合した薬を患者のそばへ運んだ。エステルが寝床に寄り、飲める状態かを確かめる。患者は差し出された器を見て首を横に振った。
「さっきの薬とは、違うのか」
「違います。今までの薬を聞いたうえで、この病に使ってきたものを加えます。飲めそうですか」
治療者が問い、返事を待った。患者は唇を湿らせてから頷いた。器を支える手はエステルのもので、中を確かめるのは森の治療者だった。
飲み終え、患者が床に体を戻すのを二人で助け、その後の様子を、同じ記録へ書き足した。
ユーゴは、荷を運び終えればすぐ治療が進むと思っていた。けれど、前に何をしたかを聞き、患者を見て、使う分を選ぶ。そのために渡される紙や器にも、人の手が要った。
「俺、何をすればいいですか」
「その水は、こちらへ。使った器とは離してほしい」
森の治療者が指した方へ置くと、村の女が寄ってきた。
「布の扱いも、聞いていいかね。今までのやり方で足りない所があるなら、家を回る者にも教えたい」
森でこの病を扱ってきた人が、処理を終えた物と、まだの物を確かめた。領都の支援員も加わり、いま村で行っている手順と突き合わせる。直すところが決まると、女は印をつけた籠を持ち、受け渡しをする人の所へ向かった。
ユーゴも、空の籠を持ってついていった。
家ごとに伝える言葉を変えないよう、女が説明したあとで、相手が置き場所を示すのを待った。聞いたつもりの男が違う籠へ布を入れかけ、途中で止める。
「こっちか。食器を取りに来る人とは別に渡すんだな」
女が頷いた。ユーゴはその手が正しい場所へ戻るまで、籠を下ろさなかった。
物置へ戻ると、フィンが小さな包みを並べていた。患者の寝床へ運んだものとは、結ぶ紐の色が違った。
「こちらは、まだ感染していない者に使う予防の薬だ」
フィンは名を書いた紙を確かめ、一包みずつ分けた。
「飲んでおけば、うつらないのか」
ユーゴが尋ねると、隣の森の治療者が顔を上げた。
「感染を必ず防ぐわけではない。使ってから感染しても、ほとんど症状が出ないか、軽く済む者が多い。だが、すでに病にかかっている者をこれだけで治せる薬ではない」
「元気に見える人が、まだ感染していないかは?」
ロゼットの問いに、治療者は配る先を書いた紙を示した。
「見ただけでは言い切れない。体の具合と、誰に接してきたかを確かめて使う。飲んだ後も見るのをやめない」
エステルは森で聞いてきた日数を記録へ書き込み、村の治療者とも読み合わせた。ユーゴとロゼットも、一人ずつ体調とこれまでの仕事を尋ねられた。
「お二人にも使います。飲んだら仕事を増やしていい、という意味ではありませんよ」
「分かってます。さっきも、桶を分けてきました」
ユーゴが答えると、エステルは頷いた。
フィンは二人の名を確かめて薬を渡し、受け取った印をつけた。ユーゴは教えられたとおりに服用した。舌に残った苦みを、自分の水袋の水で流す。
そばで包みを受け取った村人が、これで親類の所へ行けるかと尋ねた。エステルは紙を閉じずに首を横に振った。
「まだです。症状が出るまで待っている病気を、連れていくかもしれません。いつ誰と接したかも見て、出られる時を一緒に決めましょう」
ユーゴはロゼットを見た。彼女も、行商用の帳面を開くところだった。
「俺たちも、先へは行けないな」
「ええ。次に会う人へ渡すのは、品物だけにしたいもの。ここで待つ間の仕事を、分けましょう」
ロゼットは巡回予定の横に印をつけた。フィンは次の人を呼び、エステルの確認が済むのを待ってから包みを渡した。
*
村外の治療場所へ移った時、木こりはまだ寝床にいた。
家族の男がユーゴを見つけ、すぐ立ち上がった。森から来た人たちを見て、何かを尋ねかける。その前にエステルがそばへ寄った。
「これまでの処置に、新しく加えられるものがあります。途中で様子を確かめながら進めます」
「今日、良くなるのか」
男の声は小さかった。
「今日の約束は、まだできません。でも、病気を知っている人に来てもらえました」
ユーゴは男のそばへ行き、二人で入口の脇に退いた。
森の術者が寝床のそばに座り、患者の様子を見ながら手をかざした。そばで治療者が声を掛ける。ユーゴには言葉の意味も、何を確かめているのかも分からなかった。
やがて、布を握り続けていた患者の指が少し緩んだ。
家族の男が前へ出かける。ユーゴは場所を空けたが、術者の手が止まったのを見て足を止めた。
「短いな」
術者が呟いた。もう一度、患者と自分の手元を確かめる。森の治療者が顔を寄せ、二人で低く話した。
ロゼットが、道具を持つ手を止めた。
「今、何か変わったんですか」
「普段なら、もう少し保てる。同じように施しても、力が続かない」
「ここだけで?」
「森でもだ。長く使ってきた者たちに、同じことが起きている。急に皆が手順を忘れたわけではない」
ロゼットはすぐ返事をせず、患者と道具を順に見た。
エステルが術者へ椅子を寄せる。治療者は別の処置を続け、患者の様子を確かめた。途中で働きが弱まったからと、全員が手を止めることはなかった。
「この道具で、休む間を少し埋められるかもしれません。こちらは私が見ます。必要な強さを教えてください」
ロゼットが申し出た。森の治療者は器と道具を見て、エステルとも相談した。ユーゴは使い終えた器を引き取り、新しい水を入口で渡した。
患者は目を閉じていた。家族の男も椅子へ戻り、さっきよりゆっくり息を吐いた。
*
夕方、荷をまとめるフィンのそばで、ユーゴは森で聞いたことをロゼットへ話した。
内にあるものを外へ出さない結界。その弱まりと、枯れる草木。話し終えても、ロゼットは帳面を閉じなかった。
「正しいはずの使い方で、働きが足りなくなる。さっきの話、私たちのスクロールと似て聞こえたわ」
「同じことが起きてる?」
「そこまでは、まだ。村で確かめた医療のスクロールは、起動しなかった。でも、森の術は弱くなっても働いていた。違うところも書いておく」
フィンが縄を巻く手を止めた。
「調べるなら、森の方で起きていることも伝える。だが、明日はまず足りない物を取りに戻る」
「俺も運ぶよ。どこまで持てばいい?」
「行く前に決めよう。ここにも手が要る」
ユーゴは頷いた。
治療場所から、空の器が出てきた。ロゼットは帳面を閉じ、それを受け取る人へ場所を譲った。
明日の朝、熱が戻るかどうかは、まだ分からない。今夜の世話をする人が、次の人へ声を掛けていた。




