第39章 分からないことを持っていく
ロゼットはロレ村の人々の名前を紙に並べていく
ユーゴはロゼットの手元をのぞいた。一枚には誰がいつ寝込んだか、もう一枚には、どんな処置をしてどう変わったかが書かれている。村外で昨夜楽になった木こりの名も、その中にあった。
「この人は、森で木を切っていたんだよな」
「ええ。でも、森へ入ったことだけを見ては決められないわ。次に寝込んだ家と、順番を合わせたいの」
ロゼットは机の上の器を寄せ、村の家の位置を書いた紙を広げた。ここは物置の奥で、外からは袋を下ろす音がする。領都の人たちが荷の受け渡しを引き受けてくれたので、ようやく記録を並べる場所ができていた。
白髪を束ねた女が、紙の端へ指を置いた。
「初めは、ここと、ここの家だった。二人は別々に暮らしてる。仕事で森側へ行くのは同じだがね」
「そのあとに、その家の方が倒れのね」
「そう。看病に行っていた。もっとも、いつから調子を崩したか、本人にもはっきりしないんだよ」
ロゼットは言われたまま、日を一つに決めず幅を残した。ユーゴが見覚えのある家を指すと、女はそこにはまだ病人がいないと答えた。
森に近い家が順に倒れたわけではない。森へ行った人がいて、その人を世話した人がいる。同じ村の中でも、紙の上に残る順は違っていた。
エステルは診療の記録を横に置いた。
「最初の方たちと、その後に寝込んだ方たちで、熱や痛みの出方が似ています。けれど、王都や領都で知っている病気としては、今のところ説明がつきません。使える医療の品を使っても、また悪くなる」
「薬が合わないのか?」
ユーゴの問いに、彼女はすぐ頷かなかった。
「役立っているところはあります。食べられるようになったり、眠れたり。でも、その先へ進むための知識が、私たちには足りていないのかもしれない」
ロゼットは最初の日の記録を開いた。村の女が話した、森へ入った猟師の例の横には、今の患者と違うところも聞く、と小さく書き添えてある。
「前に話した猟師は、長く寝込んでも戻ってきた。熱の戻り方まで、今と同じだったかねえ」
女が椅子の縁を握った。
「同じだと決めなくていいです。今の患者さんの経過と合わせて、もう一度聞かせてください」
エステルが紙を寄せた。女は、確かに覚えていることと、家族から聞いただけのことを分けて話した。途中で曖昧になった所は、ロゼットが書かずに問い直した。
話し終わると、女はエステルの手元を見た。
「似ているとだけ言って、別の病を決めつけさせるのが怖かったんだよ」
「だから、違うところも一緒に残しましょう。何が同じかは、照らし合わせて考えられます」
エステルは新しい記録を、最初に寝込んだ家の紙へ重ねた。
黙って聞いていた村長が、森へ向いた窓を見た。
「森の民に、尋ねてみるのはどうだろう」
エステルが顔を上げた。
「森の民、というのは?」
「あの森の奥に暮らしている人たちだ。こちらとは違う薬草の使い方や、古くからの魔法を伝えていると聞く。森から来た病なら、何か知っているかもしれん」
リシュアンも、書きかけの報告から目を上げた。
「その方々のことは、初めて聞きました。領主様から支援を求めれば、来ていただけるのでしょうか」
「こちらの村と同じにはいかん。森には森の長がいて、自分たちで決めて暮らしている。頼んだから来てくれるかも、俺には約束できない」
村長はエステルへ向き直った。
「だが、まず聞くだけでも、できんだろうか」
*
エステルは机の上で手を組んだ。
「私も、その方たちのことは知りませんでした。どんな手当てをしているかも、今のお話だけでは分かりません。でも、森で同じ症状を見てきた方がいるなら、この記録を確かめてもらいたいです」
村長は少し身を乗り出した。
「なら、薬を持ってきてもらえれば」
「薬だけを頼んでも、使い方や、ほかに必要なことを知らなければ危ないわ」
ロゼットが言った。村長は口を閉じ、頷き直した。
リシュアンが、書きかけの報告へ目を落とした。
「今のお話も含めて、領主側へ相談します。相手に判断していただくなら、何に困って、何をお願いしたいのかが必要です。現地からの書面も、一緒に用意しましょう」
ユーゴは机に広がった紙を見た。これを読める人の所へ持っていく。そう考えると、今までのどの荷よりも、置き忘れてはいけないものに思えた。
「俺が、行ってくる」
ロゼットが顔を上げた。
「森の中までよ。道を知っているの?」
「境までなら、教えてもらえる。そこから先は、勝手に入らず人を捜す。俺が病気を治す話をしに行くわけじゃない。これを届けて、分かる人に会いたいって言う」
「それだけで済むとは限らないわ。途中で聞かれたら、どう答えるの」
ユーゴは一度、紙へ視線を戻した。
「分からなければ、分からないって答える。だから、今、俺が伝えられる所を教えてほしい」
ロゼットは何か言いかけ、隣の家から届いた呼び声に振り向いた。支援員が道具の調整を求めている。彼女が立つと、ユーゴも椅子を引いた。
「一緒に行きたいんだろ」
「私が書いた記録だから、私が話した方が早いところはあると思う。でも……」
彼女は道具袋へ手を掛けた。家の入口で待つ支援員が見える。その向こうには、物資の割り振りを書き足した板もあった。
「今、ここを離れられない」
「じゃあ、俺が聞いて持っていく。ロゼットはここで、あの人たちを頼む」
言ってから、自分だけで決めたように聞こえなかったかと、ユーゴは彼女の顔を見た。
ロゼットは頷く前に、村長とエステルを見た。
「この人に伝えることを、一緒に確かめてもらえますか」
*
その日のうちに、リシュアンは村外から領都へ短い要請を送った。現状と、森の知識を求める必要があること。詳しい記録は手元に残し、クラリスにも判断を伝えてもらうよう頼んだ。
待つ間にも、鍋は空になり、布は汚れた。ユーゴは運搬を続け、空いた時にエステルの話を聞いた。書かれた病人の名を、単なる行の頭として覚えることはできなかった。椀を渡した家、桶を受け取った男の顔が、それぞれ浮かんだ。
翌日の夕方、領都からの使者が着いた。
届けられた書面には、領主側が森の民へ協力を求める方針と、王都へ転送された報告に対するクラリスの賛同が記されていた。村へ返信が届くと決めつけず、人が運んできたのだった。
村長はそれを読んだあと、治療責任者とともに現地の要請書を仕上げた。どんな支援が必要かを書き、差し出す先を確かめて封をする。
「頼みます、と書いた。森の人たちにも、暮らしがあるからな」
村長は、ユーゴの前に包みを置いた。
「頼むぞ。できると言わせるためじゃない。まず、こちらの話を聞いてもらってくれ」
ユーゴは両手で受け取った。
*
出発前に、体も装備も洗うよう言われた。
村の治療者に教えられた場所で、ユーゴは靴に残った土を落とした。革の継ぎ目に、乾いた泥がこびりついている。今までは村と村の間にいくらでも運んでいたものだ。
体を洗い、着替えを済ませたあと、剣の鞘や荷紐も指示された手順で清めた。用意のできた物は看護に使う品から離して置く。翌朝、出る前にもう一度確認してもらうことになった。
ロゼットが、清潔な布で包んだ記録を持ってきた。
「それを着け直す前に、こっちを確認して。原本は残して、持っていく分をまとめたわ。村長の手紙と、治療の記録。読み合わせが終わったら、外の包みも封じましょう」
ユーゴは靴を置き、手を洗って戻った。
「最初に、何て言う?」
ロゼットに聞かれ、少し考えた。
「ロレで、森の病気が広がっているから」
「そこは、まだ」
彼女の指が記録の一行で止まった。
ユーゴは口を閉じた。話を聞いているうちに、疑っていることと、決まったことが同じになっていた。
「森から来た病気かもしれない。だから、知っている人に確かめてもらいたい」
「ええ。それなら」
彼は続きを言った。薬や医療のスクロールで楽になる人はいる。それでもまた熱や痛みが戻る。村の外でスクロールが動いても、病気は終わっていない。
ロゼットは途中で口を挟まず、最後まで聞いた。
「私の言い方を、全部覚えなくていいわ。見たことを、自分の言葉で伝えて」
「木こりの人が、自分で椀を持てたことも?」
「そう。何も効かなかったみたいに言わないで。その時間をつないでいる人たちが、今もここにいるから」
ユーゴは包みを荷の奥へ収めた。
最後にエステルが体調を確かめに来た。熱も、肌の変化もないと答えると、彼女は記録へ書き込んだ。
「今、症状がないことは伝えてください。でも、病気を持っていないという約束はしないで。救援をお願いするための往復です。向こうの方が決めた場所で待って、家々へは入らないこと」
「洗ってきたから平気だ、とは言わない」
「ええ。先方にも判断してもらいましょう」
村長に聞いた道では、森の境まで歩いて一時間ほど。そこから集落までは、慣れた人でもさらに二時間ほどかかるという。今から出ては、話をする前に暗くなる。
「朝に出る。向こうで話が長くなったら、泊まれるか頼む。暗い森を勝手に戻らない」
「会えなかった時は、境から戻ってきて。奥へ進めばいつか見つかるなんて、考えないでね」
ユーゴは頷いた。
以前、狼を狩りに行くと言った時、誰と行くかまでは伝えなかった。今は、一人で行くということも、どこで引き返すかも、彼女が知っている。
「帰ったら、聞けたことを全部話すよ。分からなかったことも」
「待ってるわ」
ロゼットは荷の留め具を確かめ、手を離した。
ユーゴは洗った靴を、朝まで乾く場所へ並べた。




