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第37章 届くところまで

村長が開けた箱には、封を残した筒と、すでに開いた筒が分けて収められていた。


「これを使おうとした。何度やっても、始まらなかった」


 机へ置かれたスクロールは、破れていなかった。ロゼットが端を持ち上げ、明かりに透かす。村長は使った順をたどり、途中で、自分ではなく管理を任された者が試した分を指した。


「そちらは本人にも聞きたいです。書いた文は、残っていますか」


 村長が別の紙を出した。病人が増えたこと、治療の品が働かないことが書いてある。


 ユーゴはその文字を見た。今、自分たちが頼もうとしていることだった。


「送る前に、止まったんですか」


「送れたと分かる反応がない。だから別のも開けた。誰かを走らせることも考えたが……」


 村長は窓の方を見た。


「領都まで行けば、片道だけで一日半はかかる。戻りを待つなら、もっとだ。ここを離れられる者を探している間にも、寝込む者が増えていった」


 ユーゴはベルフォンまで歩いてきた道を思い浮かべた。そこからグランジュへ、さらに領都へ。軽い荷でも、走り続けてすぐ戻れる距離ではない。


 ロゼットは開いたスクロールと未使用の筒を比べた。


「スクロールが壊れたとは限りません」


「治療のものと、同じか」


「可能性はあります。フルーリでも、領都では動いたものが村で止まりました。少し離れたところへ持っていければ、ここで繰り返すのとは違う結果が出るかもしれない」


「どこまで行けば」


「それは、まだ分からないです。まず街道沿いで試したい。宛先も、書く内容も変えずに」


 村長はスクロールへ手を伸ばしかけ、止めた。


「村の外で使っても、領都へ届くんだな」


「起動できれば、領都へ連絡できます」


 村長はしばらく黙っていた。やがて箱の蓋を大きく開き、まだ封のある筒も差し出す。


「持っていってくれ。許可は俺が出す。今、開けた分も記録しておく」


     *


 ロゼットは物置へ戻り、今日まとめた家ごとの紙を机へ並べた。


 患者と重い状態の者の数を照らし合わせる。村の治療担当者が戻ると、亡くなった者の記録も確認してもらった。


「まだ数え切れていない家がある」


 女が言うと、ロゼットは数字の前に、確認できた範囲だと分かる言葉を添えた。


 使える文字は長い手紙ほど多くない。村の場所、いつから広がったか、昨夜から新たに寝込んだ者が出た家、死者が出ていること。医療備蓄が働かず、手持ちの処置では一時的にしか楽にならないこと。必要な薬、食料、衛生用品。そして、診る人と交代する人。


 ユーゴは、彼女が短い行へ直すのを横で見ていた。


「森から来たかもしれない話は?」


「まだ推測だから、それは書かない。今すぐ必要なものを優先して伝えたい」


 ロゼットは一度書き終え、声に出して読んだ。村長が場所と人数を、女が治療と人手の不足を確かめる。最後に、村内では緊急通信も作動しなかったと加えた。


 家の方から人が来た。ロゼットに緩和のスクロールを頼みたいと言う。


 彼女が椅子を引くより先に、ユーゴは筒へ手を伸ばした。


「俺が行く。ロゼットは村の人を見てあげて」


「森の方へは向かわずに、街道を戻る方へ行って」


「分かった。動かなかった場所と、動いた場所を覚えて戻る」


 ロゼットは頷いたが、すぐには筒を放さなかった。


「遠くまで行くなら、日が落ちる前に戻れるか考えて。途中で何かあっても、一人で片づけようとしないで」


「ああ。無事に戻ることを優先する。スクロールが動いても、そこで助けを待つなんてことにならない様に考えてるよ」


 その返事を聞いてから、彼女の手が離れた。


 村のスクロール管理者から使い方を教わり、村長の許可で一枚の封を切り、今回の文を記した。ユーゴも手順を確かめて試したが、村内では起動しなかった。そのスクロールを包み、未開封の予備とは分けて持つ。使い切りで宛先は変えられないことを言い返し、文面の控えを別へ収めた。


 ロゼットは戸口で振り返った。


「お願い」


「大丈夫、ちゃんと戻るよ」


 ユーゴは、今度はそれだけ答えて、街道へ出た。


     *


 家畜の囲いを過ぎ、遠くに葡萄畑が見える方へ急いだ。


 後ろで呼ぶ声がした気がして、振り返る。村の屋根はまだ見えている。自分が運ぶはずだった籠は、今頃、ほかの誰かが持っているのだろう。


 ユーゴは歩く速さを上げかけたが、腕が引いた。荷紐を直し、足元を見る。


 村から外れた広い路肩で、一度スクロールを取り出した。


 教わった手順を、一つずつ確かめる。


 反応はなかった。


 折れ曲がったところはない。字も濡れていない。ユーゴはスクロールの端を触ろうとしてやめ、元の包みへ戻した。


 自分が間違えたのかもしれない。


 そう思うと、その場で何度もやり直したくなった。けれど、村でも繰り返して働かなかった。場所を変えるために、自分は来ている。


 道の脇の大きな石を覚え、さらに進んだ。


 木立で屋根が隠れた。聞こえるのは靴が土を踏む音と、葉の擦れる音だけになった。


 ユーゴは空明るさをちょっと見た。今から引き返せば、明るいうちに村へ戻れる。道を外れず、もう一度だけ試すことにした。


 包みを開いたとき、風がスクロールの端を持ち上げた。膝へ乗せた板で支え、教わった場所へ手を添える。


 細い線が灯った。


 ユーゴは息を止めた。文字のある側から光が走り、広げたスクロールの内側へ集まる。村で見た、始まらないままのスクロールとは違う。


 何事もなかったかのように、最後までスクロールは展開した。


 光が消えた後、使い終えた術式の跡が残った。担当者から教わった通りだった。


「動いた」


 声に出すと、誰もいない道へ短く響いた。


 返事は来なかった。誰かと話せる道具ではない。届いた先で、今、誰が知らせを受け取るのかも見えない。


 ユーゴは使ったスクロールをしまった。立っている場所から見える曲がり角と木立を控えへ書き、村へ向き直る。


 今度は、戻って伝えることがあった。


     *



 届いた電文を、クラリスは机の手前へ置いた。


 領都の緊急受信所に届き、領主である父から王都のクラリスへ転送されたものだった。領内の救援を手配し始めたという添え書きがあった。原報告の最初の行にロレの名がある。数字の脇には、確認できた範囲だと分かる短い注記がついていた。


 死者あり。


 そこを読んだとき、紙を押さえる指に力が入った。


 通信を取り次いだ職員が、机の向こうで待っていた。


「医療のスクロールも、通信も動かなかったということですか」


「村の中では、とあります。この要請が届いたこととは矛盾しません。送った場所を変えたのでしょう。詳しい経緯は追加で確認します」


 クラリスは原文を脇へよけず、そのまま写しを作るよう頼んだ。


「魔導局のレイモンさんに緊急で連絡をとります。推測を含め原文のまま渡してください」


「医療のスクロールを足しても使えないなら、何を積むべきでしょうか」


「スクロールの選定は、医療の担当者にこの報告を見て判断してもらいます。薬と衛生用品も必要です。調査の返事を待たず、診られる人の準備を進めてください」


 クラリスは机上の行程図を開いた。領都からロレへ至る道を指で辿る。父が手配を始めた人と物が、どの道を通るか。王都から出す荷が着くまで、何が足りないか。


「領都からは、治療のできる人と、すぐ運べる物資を先に出すそうです。周辺村への注意と、道の出入りを管理する人手も、領主様が手配しています。こちらは専門の人員を選んでもらい、不足分を後続で出します」


 職員が書き留め、顔を上げた。


「人も物も、一緒に集めて出す形ではなく?」


「荷が揃うのを待って、人まで遅らせたくありません。先に行く人には、何が後から届くか分かるようにしましょう」


 クラリスは電文の必要品の行へ戻った。


 種類も数も、これだけで足りると決められるものではない。けれど、まだ分からないからと紙を置けば、今ある手まで止めてしまう。


 衛生と医療を担う窓口への要請を書き、原報告を添えた。領内側へ出す連絡にも同じ不足を書き、片方で手配したものが分かるよう控えを残す。


 職員が紙を受け取って出ようとしたところで、クラリスは呼び止めた。


「現地には、支援を手配していることを伝えたいです。ただ、今日すぐ着くとは書かないでください。出発が決まった分から、伝えられる時刻を確かめて」


「承知しました」


 戸が閉じる。


 クラリスはもう一度、死者があると書かれた行を読んだ。そこから目を離し、次に連絡を取る先の紙を引き寄せた。


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