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第36章 渡す先を決める

台に置かれた籠には、布をかけた椀が入っていた。


 ユーゴが持ち上げようとすると、物置へ入ってきた女が手を伸ばした。灰色の混じる髪を後ろでまとめ、前掛けの紐を結び直している。


「それは、戻ってきた方だよ」


 ユーゴは手を止めた。


「まだ配っていないものかと」


「紛らわしいね。さっきまで、あっちへ置いてたんだが」


 女が示した場所には、薪の束が積まれていた。通りかかった者が空いたところへ置き、別の仕事の場所を塞いでしまう。ユーゴはまず薪を動かし、戻った器を置く場所を空けた。


 村を取りまとめている男が、村長だと改めて名乗った。女は普段から村の手当てを担っているという。


 ロゼットは荷を閉じたまま、二人へ話を聞いた。


「どの家に、誰が運んでいますか」


「決めてはいる。でも呼ばれると、近い者が行く。戻ってきたときには、別の者も同じ家へ向かってる」


 治療を担う女は、台へ両手をついた。


 ユーゴは籠を見た。運べるかどうかより先に、渡す先を知らなければならない。


「家の前で待つ人を決められますか。俺はそこまで運びます。終わったら、こっちへ戻って伝える」


 ユーゴは籠の中を確かめ、縁からはみ出しかけていた椀を戻した。


「一度に積むと、途中でこぼしそうです。量を分けて運びます」


「中で寝ている人を抱える仕事も要るが、あんたはまず食事の方だね。病人のいるところへ行く者と、こちらで扱う者を行ったり来たりさせたくない」


 村長が家の並びを紙へ描いた。ユーゴが道を指で辿り、女が受け取る人を書き添える。


「この家は、空の器を持ち帰らなくていい。戻すときは別に集める。迷ったら、そこで聞いてくれ」


 ユーゴは頷いた。今度は女が選んだ籠を持つ。中の椀が傾かないことを確かめてから、戸口で渡す相手の名をもう一度聞いた。


     *


 最初の家では、男が戸の内側から出てきた。


「遅くなって、すみません。食事です」


 言うと、男はすぐ籠へ手を伸ばした。中を見てから、ユーゴの顔を見る。


「ほかにも、まだ待ってる家があるんだろ」


「はい。次は隣の道です」


「なら、ここの分は俺がやる。器も、言われたところへ持っていく」


 男は籠を受け取り、引き返しかけて止まった。


「……誰か来てくれるだけでも、違うな」


 ユーゴは返す言葉を探したが、男はもう中へ声をかけていた。食事が来たぞ、と言っている。


 その声を聞いてから、次の家へ向かった。


 物置へ戻ると、ロゼットが机の上にスクロールを広げていた。売り物を並べるときとは違い、使ったものと未使用のものを離している。村の管理者が、棚から出した筒を一つずつ渡していた。


「留め方も、保管も、いつもと変えていないんですか」


「この棚から出してる。湿らせてもいない。別の箱も開けたが、同じだった」


 ロゼットは端の番号を確かめ、術式面へ灯りを寄せた。欠けているところは見えない。治療担当の女が正しい手順を示し、彼女もそれを見届ける。


 スクロールは働かなかった。


「ここにある分は、全部こうなのか」


 ユーゴが聞くと、女が頷いた。


「起こしても始まらない。少し反応したと思っても、それきりのものもある。今までに開けて確かめた分で、使えるものはないよ」


 ロゼットは未確認の筒を別へ置いた。


「残っている分も見ます。持ってきたものは、混ぜずにおいてください」


 ベルフォンでは、次の一枚が動いた。


 ユーゴは筒の並びを見た。ここで同じように待っている間にも、家々では食事や手当てを待つ者がいる。


 戸口から、女を呼ぶ声がした。


     *


 呼びに来たのは、先ほど食事を受け取った男だった。


 ロゼットは治療担当の女の指示を聞き、手と持ち物を整えてから家へ入った。ユーゴは戸口で道具を渡す側に残る。開いた戸の向こうに、寝台が見えた。


 寝台の上に、ユーゴより年上の男が横たわっていた。働き慣れた太い指が、掛け布の端を握り込んでいる。


「痛むところは、さっきと同じかい」


 女が尋ねると、男は頷いた。声を出そうとしたが、顔をしかめてやめる。


 ロゼットはすぐには道具を出さなかった。何を使ったか、いつから動けないのかを女に聞き、触れてよいところと、してほしいことを確かめた。


「手持ちのもので、少し楽にできるかもしれません。ただ、治ったことにはならないので」


「分かってる。起きられるところまで、とは言わないよ。まず、この痛みを」


 ロゼットは回復用のカートリッジを確かめた。銃を持つ手を見て男の家族が身を硬くすると、彼女は用途を説明し、女の指示を受けてから使った。


 布を握っていた指が、わずかに緩んだ。


 ロゼットは持参した緩和用の品も、働くか確かめながら使う。女が額の熱を確かめ、男へもう一度呼びかけた。


「少し、楽かい」


「ああ。……すまん。木を、積みかけで」


 ユーゴは入口で見た荷車を思い出した。


「外の材ですか。置き場所が分かれば、あとで村の人と動かします。今は、ここにいてください」


「雨に、濡らしたくないんだ」


 家族の男が寝台の脇へ膝をついた。


「俺が場所を教える。分かったから、起きなくていい」


 掛け布へ押しつけていた手が開いた。ユーゴはその手を見た。話ができるようになっただけで、部屋の中にあった重さが少し変わる。


 ロゼットは女へ使った品を示し、記録を渡した。


「効いている間に、見てもらえるところをお願いします。私の手持ちだけでは、続けられません」


 女は返事をして、寝台へ向き直った。


     *


 午後が傾く頃には、物置の台に家々の記録が並んでいた。ロゼットと管理者が残っていた医療品の確認も終え、開けた箱の記録を閉じる。村の当初備蓄には、働くものが一枚も見つからなかった。


 ユーゴは女に教わった通りに手と道具を整え、また運ぶ側へ戻った。食事の後は水、空いた時間に薪を渡す。家畜の世話へ回る村人には、まだ餌が届いていなかった囲いを伝えた。


 全部を自分で運ぶことはできなかった。一軒へ届けて戻る間にも、別の家へ持っていく籠が増えている。代わってもらえる者を探すにも、誰が今どこにいるかを聞かなければならなかった。


 ロゼットは村長と治療担当の女から、寝込んでいる人、特に手の要る人、亡くなった人の有無を聞いていた。家ごとの紙を突き合わせ、同じ人を二度数えないよう確かめる。


「亡くなった人も、いる」


 村長が紙の一か所へ指を置いた。ロゼットはすぐに次の問いへ移らず、名の書かれた行を確かめた。ユーゴも、抱えていた薪をそっと下ろした。


「最初の日は、覚えていないんだ。あの家を診たのが、先だったか」


 女が額へ手を当てた。


「日が分からないところは、そのままで。何の仕事をしていた頃かは?」


「森の方へ薪を取りに行った者が、戻ってから倒れた。その後に、あちらの畑の家でも。最初に森に行った者の家族ではないよ」


 ロゼットが紙を寄せ、村長に場所を示してもらう。後から寝込んだ者には、家族や世話をしていた人が多かった。


「最初から、家の中で広がったわけじゃなさそうですね」


「昔、森へ深く入った猟師が、似た具合になったことはあった。そのときは一人で済んだ。だから、今度もと思ってしまったんだ」


 女の手が紙の端を押さえた。


 ロゼットは筆を止めた。


「似ているだけかもしれません。でも、診た方の覚えていることですから、残しておきたい。今の人たちと違ったところも、後で聞かせてください」


 村長が窓から森の方を見る。


「森から来た病なのか」


「その可能性を調べたいです。何を通って来たかまでは、分かりません。私だけで病気を決めることもできないので」


 ロゼットは、聞いた話と自分の考えを別の行へ記した。


     *


 家から戻った男が、物置の入口で立ち止まった。


「さっき楽になったのに、また痛むと言ってる」


 ユーゴは持っていた空の椀を置いた。


 ロゼットが女を見る。女は椅子から立ち、途中で机へ手をついた。膝が伸びきるまで、少し時間がかかった。


「行くよ。今、行く」


 彼女が戸口へ向かうと、ロゼットも立った。荷の中へ手を入れ、残る品を確かめる。その手はすぐには出てこなかった。


「また、さっきのを使えるか」


 ユーゴが尋ねた。


「少しは。でも、今夜、それから明日も同じことになったら」


 言葉の途中で、彼女は荷を閉じた。


 ユーゴには、空になった器を並べる場所が見えていた。器は戻ってくる。けれど、それを洗い、食事を入れ、また運ぶ人の方が、次々にいなくなる。


「俺がもう少し運ぶだけじゃ、間に合わないな」


「ええ。食事だけでなく、診られる人と、交代できる人が要る」


 ロゼットは村長へ向き直った。


「領主様の方へ、支援を頼みましょう。私たちからも、クラリス様へ現状を伝えます。村から知らせるための通信のスクロールはありますか」


 村長は、戸口へ向かう女を見ていた。


「ある」


 返事の後に、短い沈黙があった。


「あるんだが……それも、見てもらいたい」


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