↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
35/48

第35章 閉じた戸の向こう

葡萄畑の端を過ぎると、道へ落ちる木の影が増えた。


 ユーゴは荷紐の位置を少しずらした。歩くたびに揺れていた荷が背に落ち着くと、前を歩くロゼットが振り返る。


「荷、落ち着いた?」


「ああ、もう揺れない。そっちは、軽くなったな」


 彼女の荷に括られた筒は、村へ入る前より少なかった。


「置いてきた品と、送った品があるからね。全部売れたわけじゃないけれど」


「それでも、仕事は終わった」


「ええ。次に行ったら、使ってどうだったかを聞ける」


 ロゼットは前を向いた。


 ユーゴは、今朝の井戸を思い出した。自分たちが出発するときにも、人が水を汲んでいた。二人が見ていなくても、あの村の仕事は続く。


 水袋を揺らしながら歩いていくと、石の多い道が土へ変わった。轍が深いところでは、荷をぶつけないよう縁を選ぶ。


「ロレでは、何から始めるんだ」


「頼まれていた品を渡して、交換する分を聞いて。それから、使いづらいところがないか見て回る。全部、今日のうちとは限らないわ」


「また、俺が灯りを持つか」


「明るいところなら、ほかを頼む。村でやることを聞いてから、分けましょう」


 ユーゴは頷いた。ベルフォンでも、手を出す前に置き場所を聞くだけで、仕事が早く済むことがあった。


 途中で一度腰を下ろし、村でもらった食べ物を分けた。ロゼットは包みを戻す前に、納品するものを確かめている。ユーゴが水袋を渡すと、帳面を膝へ伏せて受け取った。


 また歩き出し、ベルフォンを出発して二時間を越えた頃、木々の間に畑が見えた。


     *


 畝の端に、農具が一本置かれていた。


 使うために寄せてあるのだろうと思った。けれど、近くの畑にも人がいない。道へはみ出した枝が、そのまま車輪の跡へ垂れている。


 ユーゴは耳を澄ませた。


 葉が擦れる音の奥で、家畜が鳴いた。


 囲いの中に頭が見える。餌を入れるところの底は露出し、柵へ結ばれた縄の先が地面へ落ちていた。誰かが中へ来るのを待つように、獣が道の方へ首を伸ばした。


「いつも、こんなに静かか」


 ロゼットも歩みを緩めた。


「前に来たときは、ここで人に会ったけれど」


 家の煙突へ目を向けた。煙の上がるものもあったが、道へ出てくる者はいない。


 木材を積んだ場所に小さな荷車が止まっていた。材を載せかけたまま、片側に縄が垂れている。ユーゴは車輪の手前で立ち止まり、家々へ声をかけた。


「こんにちは。行商の方と来たんですが」


 返事はなかった。


 もう一度呼ぼうとすると、遠くで戸が動いた。細く開いたところから顔が見え、すぐに隠れる。


「今、いたよな」


「ええ。まず、村の人に話を聞きましょう」


 ロゼットは荷を下ろさず、彼の横へ並んだ。


 道の先から男が一人、早足で来た。上着の前を留めず、片手をこちらへ突き出す。


「そこで止まってくれ」


     *


 ユーゴは足を止めた。男は近寄りきらず、道の向こうに立った。


「今日は商売にならん。引き返した方がいい」


「ロゼットです。前にも、交換と点検で伺いました。村長さんはいらっしゃいますか」


 男は彼女の顔を見た後、背負った荷へ目を動かした。


「覚えてる。だから言ってるんだ。中で病人が出てる。入って、あんたまで寝込んだらどうする」


 背中の荷が急に重く感じられた。


「どちらのお宅ですか」


 ユーゴが聞くと、男は家の方へ手を向けた。指した先で止めず、そのまま別の戸へ動かす。


「そこだけじゃない。向こうもだ。隣へ世話を頼みに行ったら、その家でも起きてこられなくなってた」


「いつからですか。どんな具合に?」


 ロゼットが聞いた。


「あんたらが来る、ずっと前からだ。高い熱が何日も下がらん。肌に赤いものが出て、それが水ぶくれになる。かさぶたになったところもあるのに、まだ寝てる者もいる」


 ユーゴは、男の指した戸へ顔を向けた。ロゼットの手が、彼の前へ出る。


「近くで見に行かないで。まず、ここで聞きましょう」


「ああ。分かった」


 彼女は自分も距離を詰めず、道の端へ寄った。


 男が手を下ろす前に、背後から別の声がした。


「道を空けてくれ」


 布を巻いた荷を抱えた男が来た。足を止めずに抜けようとし、二人を制した男に肩を向ける。


「どこへ行くんだ」


「姉のところだ。ここにいたって、誰も来ない」


「よその村へ、そのまま行ってどうする。何の病気かも分かってないんだぞ」


「じゃあ、ここで誰を待てばいい。俺が飯を運んでた家に、今日はまだ行けてない。自分の家だけでも手が足りないんだ」


 声が上ずった。荷を押さえ直した拍子に、布の端から椀が滑りかける。男は慌てて肘で挟んだ。


 ユーゴは一歩出かけて止まった。荷を持ってやるだけで、この話が片づくわけではない。


 脇の道から女が現れた。


「ロゼットさん?」


 呼ぶ声に、ロゼットが顔を向ける。


「帰さないで。せっかく来てくれたんじゃないか」


 女は空の籠を腕へ掛け直した。


「食事を持っていく先が増えてるんだよ。作る人が戻ってこない。家で起きられない人を置いて、ずっとここにもいられないんだ」


 上着を留めていない男が目を伏せた。


「分かってる。でも、来た人まで」


「分かってるなら、追い返さないでよ」


 ユーゴはロゼットを見た。彼女は女へ向けていた身体を戻し、男にも顔を見せた。


「私たちが入らない方がいいと思って、止めてくださったんですね」


「ああ」


「事情を教えてください。今は家へ入らず、ここで聞きます。食事を用意している場所と、病人を診ている方は、別ですか」


 女が籠を下ろした。


「食事は、あそこの家を借りてる。診てる人は、家を回ってるはず。今どこにいるかまでは……」


 説明しかけたところで、奥の戸が開き、女の名を呼ぶ声がした。女は振り向き、すぐ行くと答えた。


「ごめん、また後で」


 空の籠を拾って走っていく。


 ユーゴはその背を見送った。籠へ入れるものを受け取らないまま、女は戻っていった。


     *


 村を出ようとした男は、まだ荷を抱えて立っていた。


「お姉さんは、どちらに?」


 ロゼットが聞くと、男は村を出る道の方角を示した。


「お姉さんから、人を頼めそうですか。今、お一人で運んでいる分だけでも」


 男は答えかけ、口をつぐんだ。


「人がいれば、誰か来てくれると思った」


 荷の布を、指で握り込んだ。


「寝てる者へ飯を持っていくと、隣からも呼ばれる。そっちへ行けば家の世話が止まる。どこへ戻っても、まだ来ないのかと言われるんだ」


 ロゼットは男の言葉が切れるまで待った。


「今、運べていない食事は、作る材料が足りないんですか。それとも、作る人と運ぶ人?」


「どっちもだ。あるものを分ける相談さえ、途中になる。家畜を見に行った者が戻らなくて、探しに行くと自分の家で倒れている」


 ユーゴは来る途中の囲いを思い出した。鳴いていたのは、通りがかった自分を呼んだのではない。いつもの人が来なかったのだ。


 道を止めていた男が、低い声で言った。


「最初は、隣同士でなんとかしてた。今は年寄りだけじゃない。働きに出る者も、世話をしてた者も寝込んでる。治療のスクロールがあればと思ったが、それも役に立たんと言う」


 ロゼットの目が男へ戻った。


「使った方に、会わせてもらえますか」


「直せるのか」


 すぐに問い返された。


 彼女の手が、背負った筒へ触れた。一本を確かめた後、腕を下ろす。


「見ないうちには、約束できません。持っているものも限られています。それでも、何が起きているかは聞きたいんです」


 ユーゴも筒を見た。ベルフォンでは、一枚ずつ試し、動くものを残せた。だが、ここで必要なのは、水の出る場所を一つ直すことだけではない。


 閉じた戸が幾つも道に面していた。そのどれへ食事が届き、どれに人の手が足りないのか、外からは分からなかった。


「村長さんを呼んでくる」


 道を止めた男が言った。


「待ってる間、勝手に入らないでくれ。呼ばれても、どこの家か、まずこっちへ言ってほしい」


「分かりました」


 ロゼットが答えると、上着の男は、道を出ようとしていた相手の包みへ目を向けた。


「あんたも、少しだけ待ってくれ。出ていくなと言うだけで済まそうとしたのは、悪かった」


 荷を持つ男は返事をしなかった。しばらくして、腕の中の包みを道端の石へ下ろした。


     *


 ユーゴはロゼットの隣へ寄った。


「食事を運ぶなら、俺にもできる。でも、勝手に回るのは駄目なんだな」


「ええ。それと、手を洗ってから。病人の使った器や布を、食べ物と一緒には持たないでね。水を飲む時も、自分の器を使いましょう」


 ロゼットは自分の水袋を荷の脇へ戻し、手を洗う水を少しずつ注いだ。ユーゴも両手を出す。食事の前には畑の泥を落としていたが、今は目に見える汚れがなかった。


「洗えば、運びに行っていい?」


「それだけで大丈夫とは言えないわ。何の病気かも分からないもの。どこで渡せばいいか、診ている方に聞いてからよ。私も同じにする」


 ユーゴは拭いた布を自分の荷へしまった。呼ばれた戸へそのまま駆け込む前に、できることが幾つもあった。


「どこへ何を届けるか、分かる人と話してからにしましょう。私たちまで行き違うと、待っている家が増えてしまう」


「お前は、スクロールを見に行く?」


「まず、診ている方の話を聞きたい。誰に何が必要か、私だけで決められないもの」


 ロゼットは肩の紐を緩めたが、荷はまだ地面へ置かなかった。


 ユーゴは、その手を見た。


「二人じゃ足りないな」


「ええ」


 返事はすぐに来た。


「でも、今、俺たちが帰ったら」


「帰るために言っているんじゃないでしょう」


 ロゼットがこちらを見た。


 ユーゴは頷いた。ここへ来る途中に休んだことさえ、もう遠いことのようだった。昨日、一緒に荷を運んでくれた村人の顔を思い出す。あの手が、この村では足りなくなっている。


「どこから手をつけるか、聞こう」


 ロゼットは頷き返し、帳面を取り出した。


 道の奥から、呼びに行った男が戻ってきた。村の取りまとめをしているという年長の男が一緒だった。


 ロゼットが名乗り、二人でできることを確かめたいと伝えた。男は家々を見回した後、道脇の物置を示す。


「品を受け渡すのは、あそこにしている。空いた台があるから、まずそこで話してくれ。診て回っている者にも、来てもらう」


 ユーゴは教えられた方を見て、荷を背負い直した。家の戸へ向かう道を外れ、物置の前へ回る。


 台の上には空の籠があった。先ほどの女が持っていたものと、よく似ていた。


「荷は、ここへ置いてもいいですか」


 男が頷いてから、ユーゴは自分の荷を下ろした。ロゼットも隣へ腰をかがめる。


 戸の向こうから、誰かを呼ぶ声がした。


 ユーゴはそちらへ走らず、上着の男に家の方を示した。


「あそこは、何を待っているんですか」


「食事を取りに行った者を、呼んでるんだと思う。俺が聞いてくる。台の手前を空けておいてくれ、運んできたものを置くから」


 ユーゴは頷き、自分の荷を脇へ寄せた。空いた場所へ運ぶものを教えてもらうため、ロゼットとともに、村を取りまとめる男へ向き直った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。